記庵 未空ブログ「幸せな人ほどI Love Me♪過去は感謝」

深く深く感化な話

2005 年 6 月 26 日

毎朝、同じコースを同じ時間に、自転車で散歩する管長さんは、道場に差し
かかる前、別な場所でやはり、毎朝会うおじいさんがいたらしい。そこで管長
さんは、毎朝「おはようございます」と丁寧に挨拶するのだが、おじいさんは
答えなかった。しかし次の日も、またその次の日も、管長さんは変わらず
に挨拶をする。それでも、相手は答えない。それが3年続いたらしい。

どれだけその事態が珍しい事か、考えてほしい。答えない相手に挨拶し
続ける事は、そう簡単にはできないはずだ。大抵は腹を立て、自分も
挨拶を止めてしまうか、教育的な言辞を吐いてしまうだろう。

例えば「あんた、挨拶ぐらいしたらどうなんだ?」とか。人によっては、
「人間とは?」などと、説教する人だっているだろう。しかし、管長さん
はまるで、昨日の事を覚えていないとでもいうように、相変わらぬ挨拶
をし続けた。

しかし、相手もさるものである。不機嫌であったり、悩んでいたり、何か
挨拶したくない事情があったとしても、それが3年続くというのは尋常で
ない。そうして、3年後のある朝、そのおじいさんは管長さんの挨拶に
立ち止まり、近づいて来て号泣したのだった。

その時、おじーちゃんの中で、どんな変化が起こったのか? それは誰に
もわからない。変化というよりは、事件といって良い事なのかもしれない。

そこで起こった事に関して、私達にわかるのは、3年間挨拶し続けたり、
それを無視し続けた時間があって、初めてそんな深い感化があったの
だろうという事だ。それ以後のおじいさんは、人が変わったように
明るくなったらしい。

よく学校などで「挨拶しましょう」と教える場面を目にするが、そんな事を
指導するくらいなら、黙って挨拶し続けたらどうかと思う。深く深く感化
するためには、指導に走ってはいけないのだと思う。

ってゆー話を読んで、知らぬ間に指導に走ってる自分に気がついた次第・・・

どーでもいーけど今日は、右から読んでも左から読んでも626なんだね(笑)
20050626
♪お初の神社 前から気になってて、とーとーお参りできた。それにしても、階段がかなり急なんだよね。怖っ。

続・遠隔

2005 年 6 月 25 日

未空母は祖母譲りの高血圧のため、降下剤を飲んでいる。また眠りが浅い上に、
深夜ノドが乾いて、水を飲む事に苦痛を感じていた。私が祈りの瞑想の話を
すると、「是非やってほしい」と言う。

最近、気がついたのは、瞑想の際、私が何回か会ってる人は、顔より声の方が
思い出しやすい。顔が浮かぶのと同時に、声が聞こえる。声からくるイメージ
は想像以上に大きいのだ。

太極拳のS先生曰く、「瞑想中に唱える真言(マントラ)を始め、大事なのは音。
声も音でしょ。つまり波動なのよね。全ては波動でできてるんだから」。そっか。
それなら家族は毎日、声を聞いてる訳だし、物理的にもそばにいるので、結果
が出やすいのかなと思った。

だが、ヴェーダの世界では、「気にすべきは行動そのものであって、行動の結果
ではない。成すべき事を成した後は、その行為は神に預け、自らは結果を思い
煩うべきでない」とされる。未空母には、「私に一切の気兼ねをせず、結果は
全て正直に伝えてほしい。また、どんな小さな変化でも教えて」と頼んだ。

今、私の周りに体を病んで、苦しい思いをしている人がいる。一番辛いのは患者
本人だが、それを支える家族も心身共に疲労困憊し、共倒れになりかねない。
私にできるのは、祈る事しかないだろう。それぞれに合った文言を頭の中で唱え、
その人の笑顔を思い浮かべながら瞑想する。時間の観念がなくなるので、気が
つけば20分ぐらいしか経っていない時もあれば、1時間の時もある。

未空母がうれしそうに、且つ不思議そうな顔で、「気がついたら、水を飲まなか
ったのよ!」と言ったのは2日間。3日目はダメだった。そんな中、「2回目の動注
が決まりました。1回目で腫瘍が24%も小さくなっており、皆様のおかげと感謝
しています」というMailを頂いた。化学療法、すなわち抗癌剤の投与は通常、
全身療法に分類される。しかし、抗癌剤を癌が存在する部位に限って投与する
「動注化学療法」は、局所療法という事になる。

何度も言うが、もちろん私のつたない迷走で、未空母が水を飲まずに済んだり、
この方の腫瘍が小さくなった訳では、間違ってもない。人間は365日、体調は
違うし、投与された薬との相性や食事、精神状態、気候etc. 様々な要因が
考えられる。そんなコトは百も承知だ。

だが、ご縁のある人達が今よりラクになり、少しでも良い方に向かうのであれば、
それだけでうれしい。私のDharma(ダルマ:サンスクリット語で「本分、意義」)
のヒントが空庵に、未空に、瞑想に、ヴェーダにある。意識の深まりの度合いに
よって、瞑想も進化してくるのは必然だ。

ちなみに未空母は、水を飲まない夜の方が多くなった。とにかく続けてみよう。
20050625

遠隔

2005 年 6 月 24 日

友人が「名(迷)物を送ります」と言っていたのは、このコトだったのか(笑)。
分厚い封筒の中から出てきたのは「馬油」だった。それにしても、どうして
私にコレが必要だってわかったんだろ?

実は最近、手の平に原因不明の水疱ができて痒いのなんの。まさに陣内
の「カユミ~、泊めてくれ~」の世界(笑)。皮膚科に行ったって、どーせ
ステロイド剤を出されるだけだと思って、しばらく放っておいた。その間
にも色んな物を塗ってみたのだが、ずぇんずぇんダメ(泣)。

痒いといっても、毎日痒いワケではない。ある時、突然気が狂ったかのように
痒くなるから、始末が悪い。特にお風呂ね。ふやけてくるから、手の皮がボリ
ボリ剥けるんだよ。ついついリキ入ってこすると、お風呂上りに化粧水を使っ
た時が悲劇。もうヒリヒリ地獄なんだもん(泣)。

しばらく根性で耐え、ずいぶん良くはなったものの、完治には至らなかった。
そろそろ皮膚科に行かなきゃダメかなぁと思っていた矢先、友人からこの
「馬油」が届いたのだ。おぉ、コレこそ神のお恵みだぁ。

彼女は以前、電子治療の特設コーナーで、「血管美人」という左手薬指
にマイクロスコープのような物を当てる、血管内レントゲンのような機械を
使って、自分の血管を見せてもらったそうな。そして、ぬわ~んと血管
美人度90点だった!

Congratulations! 血が薄いという事以外は、よじれのないきれいな
血管だそうで、「未空さんが瞑想で、私の事も祈ってくれたおかげです」
というMailをくれた。

もちろん、私のつたない迷走で、彼女の血管がキレイになったワケでは
間違ってもない。そんなコトは百も承知だ。だが、血管美人度90点の内
のたった1点、いや0.5点でも私の祈りが届いてくれれば、と思う。

何よりそんな風に思ってくれる友人の優しい気遣いがとってもうれしかった。
そんな彼女が送ってくれた「馬油」を塗ってみた。すると、カユミも治ま
ってきて、だんだん傷も小さくなってきたのだ(号泣)。本当に助かった。

どうもありがとうございます! 馬油の効果はもちろんだが、やはり彼女
の想いが傷を癒してくれたんだと信じている・・・
20050624

コトオリ

2005 年 6 月 23 日

以前、セミナーの帰り、夜道で突然「あなどるな、とらわれるな」という言霊
が下りてきた。一瞬、えっ? 何?って訳がわからなくて・・・ でも、アレは
どう考えても、心に湧いたというより、天から降って来たとしか思えなかった。

その後、「とらわれるな」は覚えていたのだが、最初の言葉が思い出せない(泣)。
その場に立ち止まって、う~むう~むと頭を抱えていたら、「あなどるな」と
また降りてきた。もう慌ててシステム手帳にメモった。

言霊が降りて来たので、略して「コトオリ」と勝手に命名させて頂いた(笑)。
そして数日後、また「コトオリ」があって・・・ その時は降りてきたという
より、矢のようなものでビューンと飛んで来て、頭に突き刺さった感じ。

そして、「識、死期」という墨で書かれた文字が見えた。

「識」とは、意識のこと。同じ発音の「死期」「四季」「色」が浮かんで
きて、PCで変換すると、「始期」「指揮」「志気」「式」「私記」「若き」etc.
色々出てくるのだが、全てつながっているように感じた。

こんな事を考えたのは、太極拳のS先生から借りた「生きる極意(野中
日文著:潮文社刊)」の影響で、その中に「万人に等しく備わっている
思いの働きであって、それはあたかも上に向けていた手の平を下向き
に変えるような、何らのエネルギーの消費もいらぬ、一瞬間の意識の
転回をもって可能となるのである」という部分にピンときたからだった。

これは絶版本なので、コンビニでコピーをした後、先生に返したら、「絶対
そうすると思ってたわよ」と笑っていた。全てお見通しなのだ。

古い意「識」が「死期」を迎え、新たな「四季」が始まり出した。自ら「指揮」
していかなければならないが、ココロは入学式のような「志気」に満ち、こう
やって「私記」を書いている(笑)。

まるでコトバの一人遊びだが、コトオリ様の言う通り。なーのーなーのーな、
たーまーてーばーこ(笑)
20050623

コツン

2005 年 6 月 22 日

「もっとワクワクした人生を送りたいな」「もっと楽しいことを経験したいな」
そういう時、一番効果があるのは「他者に働きかける事」。私はそう思っ
ています。

人生はビリヤードのようなものだ、と想像して下さい。自分がキューで
突かれる玉だとします。自分が他の玉に当たります。すると、当たった
玉は色々な動きをして、他の玉をたくさん動かしたり、遠くに行ったり、
穴にスポンと落ちたりします。

自分の玉は、最初の1つに当たっただけで、止まっているかもしれません。
けれど、自分が動いて、誰かに働きかけた事によって、自分が触れられ
ないどこかで、世界を動かしているんですね。自分の玉も、最初の玉に
当たるだけでなく、色々な動きをする事もあります。

自分が当たれば当たるほど、知らないところで世界が動くのです。そして、
自分1人が行動したり、考えたりしただけでは、想像もつかなかったような
ワクワクする事や素晴らしい事を起こしたりするのです。全て・・・自分の
最初の「コツン」から起こった事なんですよね。

人が「人間」というのは、人の間にあってこそ、色々な体験をできるから
なのでしょう。時にダルーくて、やる気なーくて、1人で悶々としたく
なる時もあります。それもきっと自分が体験したい事なので、味わえば
いいのですが、それを打破したい!と思ったら、「誰かにコツンとする」
事をお勧めします。

そうすると、ビリヤードのように世界が動き始めるのです。その時「いい
コトをコツン」とすれば、「やった事が還ってくる」ともいいますから、
いいコトが巡り巡って、想像もつかなかったような形で還ってくるのです。

ビリヤードの玉のように、コツン、コツンと人に働きかけてみましょう。
人は、人の間でこそ生き生きする「人間」であり、動く事によってこそ、
自分を発揮できる「動物」なのです。人生はビリヤード。今日もいい
コトを誰かに「コツン」としてみて下さい!

/恒吉 彩矢子
20050622

TONGLEN

2005 年 6 月 21 日

えっ、TONGLEN? 初めて聞いた名前だった。オーストラリアの生理学者ペティグリ
ュー(←キャットフードにこんな名前がなかったっけ(笑))が、その体験を驚きで語る。

麻酔のように痛みを感じなくさせる「トンレン」とは、チベット仏教徒が麻酔の発見
より、800年も前に開発した瞑想法だそうな。火傷のような他者の痛みを思い描いて、
その苦痛を引き取る事で、自分自身の痛みが消える、らしい。この技法の達人は、
負のエネルギーを世界から受け取り、正のエネルギーに置き換える。

ペティグリューは、西洋科学に東洋の内観法という瞑想の技術を取り入れれば、脳の
働きへの理解が深められ、悩み苦しむ人々を実際に救う事ができると考えた。特に、
神経科学の研究が本格化して50年が経つのに、精神病の苦痛の緩和に役立つ技法
は50年前のままだった。

2020年には、癌でも心臓病でもなく、人間が抱える最も厄介な病は「鬱病」といわ
れているそうな。とてもわかる気がする。というのも今日、身近に若い鬱病の患者
さんを抱え、とても苦しみ悩んでおられたクライアントの方にお会いしたばかり
だったからだ。

瞑想は「精神病の苦痛の緩和に役立つ技法」として、その有効率は高いんだろうか?
個人的にはYesだが、もちろんその人によるだろう。麻酔の発見より、800年も前に
開発した瞑想法「TONGLEN」とは、一体どんなものなのか? とても興味が出てきた。

とはいえ、私には火傷のような他者の痛みを思い描いて、苦痛を引き取るだけの
覚悟も勇気も度量も、正直ないなぁ。だって、自分の事で精一杯なんだもん。って
チベット仏教徒の方々、ホント根性なくてスミマセン。残念っ!

「祈りとは神と語らう心の作用」と聞いた時、これはわかる気がする。「瞑想は
自分が神であると気づく心の作用」これも純粋意識に繋がるという事を考えれば、
十分納得できる。だが「瞑想は最高の祈り」というのは、信心深くない私には
あまりに宗教的すぎて、いまいちピンとこなかった。

が、しかし、アノ6.6事件(←通称、未空のロクロク事件(笑)。詳しくは6/18の
未空風呂「Confliction②」を読んでね)を体験して以来、瞑想には実に様々な
可能性が秘められているのでは?と真剣に考えるようになった。今となっては、
私の「究極のサバイバル・ツール」であり、毒性及び副作用、後遺症ゼロの
「ナチュラル・ドラッグ」でもある(笑)。

そしてもし、最高の祈りが深い瞑想だとすれば、それは遠隔ヒーリングにもなる
のではないか? 私はヒーラーではないが、本来人間には「セルフ・ヒーリング」
能力が備わってると信じてる。その能力に気づくか気づかないか、信じるか信じ
ないか、使ってみるか放っておくか、どちらを選んでもO.Kだし、正誤はない。

ちなみに私は、全て前者を選択してみた。たった今、ここで奇跡を起こして
ほしいと思う人がいる。ただただ助けてほしい、と。そこから毎晩の瞑想の際、
私独自の新しい試みが始まった・・・
20050621

続・無所有

2005 年 6 月 20 日

モーゲン族の無所有は、日本の「幸福会ヤマギシ会」と共通してるんだろうか?
私は10年以上も前、三重県にある豊里実顕地まで泊まりがけで行き、「特講」と
呼ばれるセミナーを受けた事がある。ヤマギシズムの大まかな考え方はわかった。

もちろん良い点や勉強になるところも多々あった。だが、私とは根本的に違う、
という事もハッキリした。それだけの事だ。今から思えば、かーなーりー貴重な
体験で、セミナー代や新幹線代を払って下さった方に、心から感謝している。

セミナーの最後に、「研鑚」という新聞の購読を勧められるのだが、もちろん
タダではない。「任意ですから」という事だったのでアッサリ断ったが、それ
をしたのは大勢の受講者の中でも私だけだった(笑)。その時のリーダーの
不満げな顔と態度が忘れられない。だって、いらないモノはいらないんだもん。

決して購読料の問題ではない(←でもなぜかその後、新聞が送られてきて
ナゾだったんだけどね。ずっとタダ読みしてました(笑))。

ヤマギシ会の活動目的は、「人が皆、本当に幸福になれる社会作り」だそうで、
その実践活動は全国津々浦々、会員が居住している地域においての幸福
社会作りと、会員有志によるヤマギシズム社会の実践モデル体として、
ヤマギシズム社会実顕地(通称「ヤマギシの村」)作りがある。

その行動原理とする「ヤマギシズム」は、無所有・共用・共活(あたかも太陽
や空気が誰の所有物でもなく、誰もそれらを所有しているとは考えていない。
生きとし生ける物全てが、その恵みを共に用い、共に活かしている状態)の
生き方によって、全人(自己を含む現在、及び将来の全人類)幸福の「真実
社会」を実現する事ができるとするもの、とか。

ヤマギシ会は特定の個人、あるいは集団が指導・統制している組織ではなく、
会員それぞれの自発的自由意志により活動している団体、だそうな。1953年
(昭和28年)、故・山岸巳代蔵氏の提唱する理念の社会活動実践母体「山岸
会」として発足し、1995年(平成7年)に名称を「幸福会ヤマギシ会」と変更し、
現在に至っている。そーいえばココには、「ありがとう」という概念が存在
しなかったような。

フツーの人が実顕地に参画(=永住)する際には、全財産をヤマギシ会に
寄付しなければならず、脱会する場合には財産を返還されないというオキテ
がある。ってコトは、ヤマギシズムの提唱する「無所有」とはどういう意味
を持つのだろう?

これに不満を持った元村人が、会を相手どって裁判を起こし、勝訴した事で
も有名になった。この元村人は、こっちの世界でも生きられず、かといって
ヤマギシズム社会にもなじめなかった。これからどこに行くのだろう、と
他人事ながらふと考えてしまった。

この事件は、かなり日テレが特集していたような。最近はおとなしいよね。
典型的な農業集団ヤマギシ会と海洋民族のモーゲン族、その「無所有」
の概念の違いは大きすぎる、と思う。彼らは、やはり別物だ。
20050620

無所有

2005 年 6 月 19 日

私がモーゲン族を呼んでいるのか、モーゲン族に私が呼ばれているのか(笑)。
やはりこの方もモーゲン族に感動しているらしく、またもやMailを下さった。

“研究者とCBSの記者が浜にある小舟の上で話している所へ、1人のモー
ゲン族の男性が来ました。記者が彼を背にしている研究者に教えますと、
研究者はその男性に語りかけました。そして、研究者はまた話し始め、
男性はまだ後ろに立っています。CBSの記者は当然、研究者に聞きます。

研究者が言うには、「彼はこの舟の持ち主で、津波で壊れた部分を修理
しに来たと言っています」との事でした。そういえば男性は、手に工具
らしき物を持っていました。

記者の方は舟から降りようとしたらしいのですが、研究者が「いいん
です。彼は修理しようとして、ここへ来ただけですから」と言いました。

モーゲン族の男性は、舟を修理に来たのであって、その舟の上で
話している人を退かしに来たのではないんですね。

それに「欲」「貯める」「所有」「心配」等々のない彼らは、その舟が
「自分の物」ではなく、「今日1匹の魚を釣るための物」なのでしょう。
話が10時間に及ぶかもしれないのに、後ろに立っています。でも、
待っているのではなく、ただ立っているだけなんですね(笑)。

モーゲン族の男性と研究者と記者の立場がおっかしくて、深夜1人
で「最高!イイなイイな」と感動してしまいました。画面の解釈には、
かなり私の主観も入っているかもしれませんが、1つだけ言える事は、
一番神様に近いのは間違いなくモーゲン族の人達という事ですね。

貯金をし、減る事にキリキリし、通帳のゼロの多さが幸せと比例
していると思う「文明人」が、スタコラサッサと逃げていくほど
の極意です。いいえ、モーゲン族にとっては、極意でもなく
「普通」の事なのでは?

毒され切った自分も見えて有り難かったです。フグを捕った時も
何も見えないのに、モリを投げると刺さっていて・・・

与えられた糧を分かち合うので、「めいっぱい」という単位もない
のでしょうね。恥ずかしい~。この時期に頂いた贈り物でした。
私も再放送を問い合わせてみます”とおっしゃって下さった。

ご協力どうもありがとうございます! 淡々と生きるモーゲン族に
見習う事が多いなぁ。この「淡々と」というのが、どれほどムズカ
シイか。どれほど奥深い意味を持つか。まさに、言うは易し行う
は難しだ。この偉大なる民族にココロからの敬意を表したい。
20050619

続・Confliction

2005 年 6 月 18 日

寝る前の瞑想を欠かさず、パニック障害とは無縁な日々を送っていた。だって、
卒業したんだもん。本気でそう思っていた。安心もしていた。事件が起きたのは
6/6(月)の午後、都内の某所。今までにはない超最悪な状況下で、ついにパニ
ック障害が起きてしまった。誰より自分がショックで、何も考えられない(号泣)。

最初は先方の許可を得て、近所を散歩する事で気を紛らわせた。そこでもう大丈夫
と考えていたが、思った以上に事態は深刻だったのだ。狭い狭い部屋の中で、気分
がだんだんおかしくなってくる。本当にどうしよう。思わず泣きそうになった。

すぐ未空母に連絡し、「未空父が倒れた」でも何でもいいから、家族の非常事態と
いうでっちあげ電話をかけてもらおう、と本気で考えたりもした。も、もうダメだ。

これ以上は耐え切れない。今にも外に飛び出して、街中をかけ回りたい衝動にから
れたが、もしそれをやったら、今まで築き上げた信頼関係が一気に崩れてしまう。

仕事的にも終わりだ。それだけは絶対に避けねば! 1分が10分ぐらいに感じ、
体がソワソワし落ち着きもないのだが、周りには一切気づかれない。私の発作は
ピークに達したが、誰にも助けてもらえず、非常時の薬も持ち合わせていない。

もう絶体絶命だった。そこでふと時間が空き、狭い狭い部屋の中で1人になった。
そうだ、瞑想しよう。もう藁にもすがる思いで、それしか思い浮かばなかった。

すぐに目を閉じて、真剣にマントラを唱え始め、天空の神々に「お願い、私を
助けて!」と心から祈った。それはそれは必死で、且つ今までで一番真剣な
瞑想だった。かなり大げさに聞えるかもしれないが、その時、私の命がかかっ
ていたと言っても、決して過言ではない。

今、私にできる事はマントラを唱え続けるだけだ。と同時に「大丈夫大丈夫。
必ず何とかなるから顔晴って!」と自分を励ます。すると、結果が徐々に出始
めてきた。どこかと繋がっているという安心感が、足元から伝わってくる。

だんだん気持ちが落ち着いてきて、見えない膜のようなものが体全体を包み
込む。ここまでくれば大丈夫だ。その瞬間「助かった。救われた」と思った。

もう涙が出るほどうれしかった。やったー! 私は危機的状況を瞑想で乗り
越えたんだ(号泣)。神々に「どうもありがとうございます」と心から感謝
した。その後は、至って冷静で、最後までそこにいられる事ができた。だが、
2度とここには来ないと誓った。

それにしても貴重な体験をしたなぁ。6/6は悪魔の日ではなく(笑)、私に
とっては記念すべき、最高の瞑想成功体験日だ! そうして帰り道、再度、
天空の神々に心からの感謝の笑みを送った。すると、彼らも「本当に良かっ
たね。よく顔晴った。おめでとう!」と微笑みかけてくれたような気がした・・・
20050618

Confliction

2005 年 6 月 17 日

私は前々から、自己の基盤があまりに脆弱で悩み苦しんでいた。閉所恐怖症
(だと思っていたが、実はパニック障害だった。というか誘発するんだよね(泣))
になる度、どうしてこんな風になってしまうんだろう、何が、どこが悪いんだ
ろうとあれこれ考えをめぐらし、一気に落ち込んでくる。

パニック障害になる回数は少ないものの、こういう事に生涯、無縁な人もいるか
と思えば、心底、自分が自分で情けなかった。だが、薬にだけは頼らないように
しようと心に決めていたので、他に手の打ちようがない我が身を呪っていた。

そして、昨年の10月から4ヶ月間は地獄で、仕事、経済etc.全てが空回り状態。
どこにも糸口が見出せず、本当に辛かった。どんなに新月にお願いしても叶わず
(←もちろん全部じゃないよ)。こんなに一生懸命、自分なりに努力している
のに、どうしてうまくいかないんだろう、と親しい友人相手にさんざん愚痴っ
ていた。そんな中、不安定は不安定を呼び、まさに泣きっ面に蜂。

突然、回路が開いたという新生・霊能者から、言いたい放題言われ、自信喪失
と共に怒り炸裂! それはそれはストレスフルな毎日だったが、そのおかげで
瞑想に辿り着けたのだ。全てがうまくいってたら、瞑想は今でもやってなかった
と思う。自分の人生に起きる事に何一つムダはなく、必要だったからこそ体験
したんだと確信した。今では全ての人々、出来事に心から感謝している。

思えば瞑想も不思議なご縁だった。半年間通うはずだったセミナーの初日が、
仕事の都合で行けなかった。2回目の授業は教室が蛻(←もぬけって読むん
だね。知らなかった(笑))の殻。狐につままれた気分で図書館で時間を潰し
た後、このまま帰るのも何だしなぁと思って、ほとんど惰性に近い感じでレク
チャーに行く。でも、その前からやたらとアーユルヴェーダづいてはいた(笑)。

青山先生からは、サイババの話でも聞ければイイかってなレベルで、会場に
入ったのは開演1分前。彼がアーユルヴェーダの研究者であった事も、瞑想
のセミナーをやっていた事も全く知らず。

ただ「外界の何かに依存する幸福は、真の幸福ではない。人間は内面的な
深い幸せ、喜び、平穏を求めている。純粋意識(実在・英知・至福)と繋がる
ため、個人の真言(マントラ)をお教えし、瞑想のセミナーを行っています」
と言われた時に「これだぁ! 私が求めていたものはこれだったんだ!
ようやく巡り会えたんだぁ」と心底思えたBirthdayイブの1月20日。
即申し込んで一番乗り(←だと思う(笑))。

レクチャーが終わった後、サインもしてくれるというので著書を買った。
その時「今日、本当はここに来るはずではなかったんです」と言うと、
青山先生も「僕もそうだったんですよ。これもご縁ですね」と言われた。
そして、この瞑想こそが私の人生を激変させた! あれから3ヶ月・・・
20050617
♪今日の超お得 ぶら下がった白い作業着が、ちょっくら不気味じゃないですか(笑)。この後、たまたま大黒屋の前を通ったら、映画「バタフライ・エフェクト」の劇場株主優待券が売られていた。それも今日まで! おかげで980円で見れたよ~んだ。

モーゲン族その後

2005 年 6 月 16 日

あまりにタイのモーゲン族(←6/11の未空風呂を見てね)に感動した私は、太極拳
のS先生にもすぐMailを送った。S先生もこの民族に関しては全く知らず、メチャメチャ
感動してくれた。そして、彼らに会ってみたいよねという話になった。モーゲン族
を放映したのはTBSの「CBSドキュメント」で、好評の場合には再放送があるらしい。

是非やってほしいと思う。もっと詳しく知りたいと思ったので、アマゾンで本が出て
ないか探したが、該当せず。あきらめきれない私は、ネットで「モーゲン族」を検索
してみた。たった1件の記事だけヒットした。

それによると、彼らは海洋民族で、タイに住んでいるが、話す言語も文化も異なる
らしい。タイにいるが、純粋なタイ人ではないのだ。津波で家屋に被害が出ても、
政府から援助が出ないとか。な~るほどね。だとすれば、ミャンマーのモーゲン
族と大元は一緒なんだろうか?

モーゲン族の長老は、「波がすごい勢いで引いたから、強い波が来ると思って、
皆で高い場所に逃げた」との事。彼らの住んでる島は、3方向から津波に襲われ、
ダイブショップや村人の家50軒、全てが破壊されたが、死者は1人も出なかった。

生きる上で欠かせない情報は、民族全体で共有しているが、それ以外は必要ない
のかもしれない。モーゲン族には時間の概念がないので、自分の年齢を知らない
という。挨拶の言葉もないらしい。

農耕民族は手間隙かけて育ててきた米や麦等の収穫物を、良くも悪くも貯め込む
習慣がある。それに比べ、海洋民族は狩猟民族に属するので、その日に必要な
食べ物を獲っては食し、食べては獲りという生活形態になる。主食がナマ物なら、
貯め込むにも限界があるだろう。

モーゲン族に欲、特に所有欲の概念がないというのは、そういうライフスタイル
が影響していると思う。農耕民族は概して、貯め込む事で安心な反面、それが
心理的に思い煩い、心配するという事にも繋がってくるのではないか。

モーゲン族は禅を知らなくても、難しい哲学書を読まなくても、「瞬間、瞬間に
生きる」という概念がDNAレベルに組み込まれている、と思う。彼らにとっては
それが当たり前であり、それ以外を知らない。そして、代々実践しながら生き
ている。何てシアワセなんだろう。

私は間違いなく農耕民族のニッポン人だ。過去はすでに終わった事だし、未来
はまだきていない。私が生きれる場所はここ、現在しかない。それはアタマで
は十分に理解できるが、「瞬間に生きる」という事を強く意識していないと、
すぐに思い煩い、心配オバケにとり憑かれてしまう。何かある度「瞬間、瞬間」
と呪文を唱える私は、半ば「妄言族」になりつつある(笑)
20050616

一つ光る

2005 年 6 月 15 日

台所を片づけるのがとても苦手な人がいました。食事の後に食器を洗うのが
とても苦痛。部屋の隅には綿埃がたまり、ガスレンジに油が溜まり、冷蔵庫
の中にも色んな物が。そんな台所の姿は、その人の文化そのもののようにも
感じられました。とてもその性格は生涯、直るものではなさそうに見えました。

せめて年末の大掃除くらいはと、頑張ってピカピカにしてみるのですが、
正月休みが終る頃には元の木阿弥。そんな年が毎年続いていました。

台所全体をきれいに管理するなんて、とても無理と諦めたその人は、せめて
食器だけはと、一点集中できれいにする事に決めました。これだけは譲らな
いでやっていこうという最後の決意でした。古いお皿の一枚一枚に愛情を
こめて。お皿の隅々まで、裏も表もキュッキュッと音がするくらい。モノ
がきれいになるのは気持ちのいいものです。新しい習慣には大きな労力も
必要なく、不思議と毎日続きました。立派な成功体験でした。

ある日、そのお皿を入れる食器籠の汚れに気がつきました。せっかくきれい
にしているお皿の籠が汚れているのは許せないと感じたその人は、食器を
洗ったついでに、籠を洗うことにしました。綺麗な籠に入っている食器達
がうれしそうに見えました。

きれいになった食器籠や食器を洗っているシンクも綺麗にしてあげよう
と思いました。そうやって、少しずつ少しずつきれいな所が増えていき
ました。ガスレンジも換気扇も。初めて食器洗いを決意してから、3ヶ月
も経っていました。気がつけば、いつも作業をしているキッチンがピカ
ピカになっています。

その人にとっては大成果でした。ガスレンジはいつも磨く事はできない
けれど、食器だけは、それだけは毎日綺麗にしようと・・・ その習慣
だけは譲らないでいようと・・・ そんな思いがもたらした成果でした。

半年も過ぎた頃、いつもの食器洗いが終わって振り返った時、今まで
気づいていなかった台所のその他のほとんどが、汚れている事に気づ
きました。こんなに汚れていたなんて。半分きれいで半分汚れた台所。

その際だったコントラストが、その人を一気に突き動かしました。
台所は、その夜のうちにピカピカ。半年かけてきれいになった台所
が元に戻る事は、もうありませんでした。相変わらず、食器だけは
きれいに洗おうと、それだけは守っているその人でした。

文化や風土や性格は、なかなか直るものではありません。ただ小さな
習慣を身につける事は、できるかもしれません。小さな成功体験も
悪いものではありません。文化は習慣の総和。ちょっとした事で人生
を変えてみたいものです。

/山本 正樹(経営コンサルタント・株式会社理想経営 代表取締役)
20050615

MVP

2005 年 6 月 14 日

今の私の部屋はキレイに整理整頓され、まさに勝負部屋と呼ぶのにふさわしい(笑)。
フッフッフッ。日々完璧だよ。実に清々しい気分だ。先日出したブラウス&ワンピ
を取りに行けば、いよいよクリアリング大作戦PartⅡも完成となる。

だが、なかなかタイミングが合わない。今日こそアバウト&Funkyクリーニング屋
に行かねばと直感で思ったら、またもや受付にはタメ口を聞くパートのおばちゃん
がいた。実はこの後、思いも寄らぬ展開がっ!?

「あらあら、こんばんは。どーも。えーっと、ブラウスとワンピね。ンっ? あら?」
シルクのワンピにだけビニールがかけられてなくて、工場から戻ってきていたのだ。
「これはどうしたワケ? ほつれ? そんなのあった? 私が見た時はなかったわよねぇ」
「そうですよねぇ・・・」

とシラを切りつつ、再びデーモン未空登場(笑)。ほつれはね、前からあったんだぴょ~ん。
おばちゃんが気づかなかっただけなんだぴょ~ん。彼女はやっとこさ、ほつれの部分を発見し、

「この部分を確認してからでないと、作業ができないってコト? だから戻ってきちゃったのよね」
「でも、コレってすでにアイロンかかってません?」
「そうよね。確かに。かけちゃってから気づいたのかしら」
「としか思えないんですけど。だって、十分着れるぐらいにはなってますよ」
「で、どうする?」
「いや、どうするって言われても・・・」

「それじゃさぁ、1回か2回着たら、また持って来なさいよ」
「えっ、持って来るって?」
「タダでやってあげるわよ」
「ハイ? タダって、えっ?」
「他の人じゃダメだけどさ。アタシは土日いるから大丈夫よ。あっ、このタグを一緒に持って来て。
 コレが証拠だから、ねっ」
「あっ、そうですか。コレを持って来ればO.Kなんですか」
「そーそー大丈夫。だって、もったいないからさ。ちゃんとやってもらいなさいよ」

って、おばちゃんはどっちの味方なんだか(笑)。一応アナタは雇われてるんだし、
店側の人間なんだからさ。でも、うれしいよねぇ。こーゆーヒト。めっちゃスっキだなぁ。
タメ口おばちゃん、非常謝謝! だから、この店はやめられまへ~んAgain&Again(笑)
20050614
♪今日の名物犬 一杯飲み屋で飼われているヨゼフ(←と勝手に呼んでいる(笑))は、デブ犬として有名なんだよね。ジモティ商店街の人気者でもある。今、何歳なんだろ?

ピタゴラス

2005 年 6 月 13 日

前にも書いたが、私のオタク魂に火をつけるメルマガがある。発行者は瞑想実践者で、
内容がかなり偏っており、マニアックなところが好きだ(笑)。難しい内容を優しく、
わかりやすく書いてあるので、いつも感心して読んでしまう。今回の特集は「ピタゴ
ラス」。以下はその抜粋です。さぁ、ここからは久々のキテますラインの登場だ(笑)。
毎度のコトながら、ご興味のある方だけどうぞ♪

————————————————————————-

黄泉の国へと行く途中で、行く手を阻む門番達の心を捉えた「オルフェウスの竪琴」
のメロディー。この門番をうっとりさせた「メロディー」の深い意味は何だろう? 実は、
このオルフェウスの竪琴の秘密を2500年も前に解いていた人がいた。大数学者
として、歴史に名を残す「ピタゴラス」。実は、ピタゴラスの得意としているのは、
数学だけではなかった。彼は瞑想の天才だった。

2500年前といえば、東洋ではブッダが生誕した同時代、そのためか、ピタゴラス
の事を「ギリシアの仏陀」と呼ぶ人もいる。「ドレミファソラシ」って音あるでしょ?
あれを考えたのもピタゴラス。でも、あれってなぜ「ドレミファソラシ(ド)」なのかな?
なぜ7つで、元のドに戻るのだろう? 別に10個でも、20個でもいいのにね。

ドレミの秘密を知るのに、ピタゴラスのこんなエピソードがある。 ある日、ピタゴ
ラスが散歩していると、「鍛冶屋で鉄を打つ音」が聞こえてきた。ガンガン鳴り響く
鉄の音の中に、聞いてて「心地良い音(協和音)」と「そうでない音(不協和音)」
があるのに気づいたそう。

そして、この「心地良い音」の組み合わせには、「ある一定の法則」がある事を
発見する。楽器の弦の長さが2対1と、3対2の時に、最も美しい協和音ができる
とし、それに基づいて7種の音に大別させた。これが「ドレミファソラシ」の起源だ。

人間の耳には不思議な事に、ドレミファソラシの次のドは、元のドと同じ性質の
音に聞こえる。簡単に言えば、全ての音楽は、たった7種類の音から成っている。
この7種類の基礎的な音を「オクターブ」と呼ぶ。この最も基礎的な音階「ドレミ
ファソラシ(ド)」は、「ピタゴラス音階」と呼ばれた。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/s_honma/music/music.htm

実はピタゴラスの話は、ここから本題が始まる。万物は「音楽」でできている。
「ピタゴラス音階」は、弦の長さで考案したものだ。弦の長さの比が2対1、3対2
の時、2つの音が最も美しい協和音を奏でる事を発見した。この7つの音を、それ
ぞれの太陽系惑星の距離に見立て、各惑星が独自の協和音を奏でており、
宇宙全体が「天球の音楽」を演奏していると直観した。

ちなみに、この「音楽」って言葉。現在人の言葉に直すと、量子力学の「波動」と
言う方がいいかもしれない。2500年前に「波動」という言葉はなかった。だから、
音楽と呼んでた訳だ。太陽光をプリズムに通すと「7色の光」に分かれる。

光も最近の研究で、それぞれの色が独自の波動(振動)を持つ事がわかって
いる。つまり、ピタゴラスは「万物は7種類の音(波動)が、無限種類に組み
合わさり、奏でる」音(波動)のマトリックスワールドだ、と考えた訳だ。

————————————————————————

そして、こんな事も書いてあった。

天空の宇宙には、精妙なる「音楽」が流れている。
心が浄化された人には、その「音楽」が聴こえるが、
それ以外の人には聴こえない。
/ピタゴラス(ギリシアの哲学者)

うーむ、瞑想初心者の私にはまだまだムリだが、いずれ「聖なる調べ」が
聴けたらイイなぁ、と本気(と書いてマジと読む(笑))で思っている。
20050613

No, Yes

2005 年 6 月 12 日

先週、友人から電話があったのだが、ちょうど仕事中で、その後のスケジュールも
詰まっており、10分ぐらいで電話を切らざる得なかった。事の顛末は聞いていたが、
その後、新たなる事実が次々と発覚し、想像以上に傷は深くなっていた。

裏切り行為はいつだって、人を悲しみのどん底に陥れ、プライドを傷つけ、魂を
ズタズタにさせてしまう。彼女は人間不信の極みだろう。仕事が決まっていた
にもかかわらず、全く手につかないと言う。今の彼女はとても辛く、苦しんで
いるので、カウンセリングの基本のキである「受容・共感・傾聴」という態度
が最も必要な時期だと思う。私は頷きながら、黙って聞いていた。

そして、アラン・コーエンの「人生の答えはいつも私の中にある(I Had It All
The Time)KKベストセラーズ刊」のある1節を思い出していた。

「“ノー”の背後に“イエス”がある。あなたにはそれが必要ないのかもしれない。
受け取ってもあなたの益にならないものを求めたのかもしれない。だから、あなた
が聞いた“ノー”は、実のところ、高い見地からあなたのために良い事で、その
方向を指し示す恵みの声があなたに“イエス”と言っているのだ。

私達が傷つける事を無理にしようとすると、神の恵みが介在してくれる事に感謝
しよう。あなたへの小包は、別の運送業者から届けられるのかもしれない。願い
を伝えた相手が、あなたの要求に応じる準備ができていないか、対処できない
という場合がある。その人が恐怖や誤解に取り憑かれていて、あなたの願いが
価値のあるものだという事がわからないのかもしれない。

あるいは、あなたが相手に求めた事柄が発するエネルギーや、派生する結果に
対処する力がないのかもしれない。それを実行に移すと、その人の回路に負担
がかかりすぎるのだろう。その人は断る理由として、ごくありふれた事を言う
かもしれない。

しかし、両者の気づかないレベルで、慈しみ深い神がその人を導いている可能
性が高いのだ。そうなると拒否されるのは、あなたにその価値が欠けている訳
ではなく、拒否した人の方に準備ができていない、自覚がない、意欲がない、
あるいは不適切であるという事を物語っているのだ。運送業者がどこである
かは、配送中の中身ほど重要ではない。荷物は届きさえすればいいのだ」と。

今となっては、どんなに祈ろうと、神(=宇宙、純粋意識、天界、大いなる
意志、サムシンググレートetc.)がNoと判断したものは決して叶わないと
いう事に気がついた。そして、それは長い目で見た時には、叶わなくて
良かったもの、私を守ってくれるものなんだという事を実感している。

それにプラス、何かある度「瞬間、瞬間を生きる」という太極拳のS先生の
教えが頭をよぎるので、昔に比べたらずっと執着は減ってきた。そんな私
が心がけてる事は3つ。

1. 自分の直感を信じる
2. 自らコントロールできない事は手放す
3. 今、ここで成すべき事をする

後は天にお任せなのだ。それでいい→それがいい→それしかない(笑)。
そして今は、苦しむ友人の力になりたいと思う。
20050612
♪高尾山シリーズ 私は今、まさに転機を迎えている方とよくお会いする。お互い引き寄せてる感じだ。そんな時「産土(うぶすな)神社」の話をすると、たいていお参りに行かれるようで、その後もっと変化が激しくなるのはなぜ(笑)? やはりどの方もそれぞれ、目に見えない力に導かれてるんだろうなぁ。しみじみ・・・

モウゲン族 in Thailand

2005 年 6 月 11 日

毎日のようにMailを下さる方がいて、今日届いた内容は、まさに私の「課題」そのもの
だと思った。“今朝、タイのモウゲン族の話を聞きました。あの津波の犠牲者が数10
万人を超えた中、海沿いに居住しながら、1人として部族を亡くさなかったのが、タイ
のモウゲン族だったそうです。ミャンマーにもモウゲン族という種族がいるそうですが、
そちらは悲しい事に犠牲者が出てしまったそうです。では、それはなぜか?

タイのモウゲン族には、時間の概念がないそうです。ですから、みんな自分の年
齢を知らないそうです。欲しい物、つまり「欲」という概念もなければ、「こんにちは」
「さようなら」といった挨拶もないそうです。CBSの記者が、アメリカの研究者に
「それでは、私と会った事は?」と聞けば、「あなたはただ来て、帰った人という
だけで、それがいつだったかは、彼らの概念にはないのです」と答えます。

そういう余分なものに捕われないために、彼らには際立った本能があり、津波の数10
分前に、なぜか全員、山に避難して難を逃れたのだそうです。中には、泣きながら
子供を呼ぶ人も多く、それを偶然、居合わせたタイの映画俳優が写真に撮ってあり、
驚きました。文明人とやらは、いかに多くの余分なものを抱えているかがわかります。

彼らには「貯める」という行為もなく、したがって「心配」や「思い煩う」事も存在
しないとか。おもしろかったのは、心配しないので、猛毒のあるフグを平気で食べ
ている事です! もちろん、今食べるものしか捕りません。きっと「混乱」もないの
でしょうね。となると、文明人とは退化した存在という事でしょうか。人生も順調で、
物質的に恵まれていても、幸せでない人って多いんですね。「気づき」は本当に
大切だと思います”

いつも貴重なお話をどうもありがとうございます! タイに行った事はあるんだけど、
モウゲン族は知らなかった。太極拳のS先生に言われた事と、まさにシンクロして
点が線になった。それにしてもモウゲン族、やるじゃ~ん。素晴らしい民族だなぁ。

S先生曰く、「過去を記憶じゃなくて、単なる記録にするの。記憶だと感情が入る
から、どうしてもそこに囚われてしまう。過去に感情はいらないから。ビデオ
テープに上書き上書きしていくような感覚で、どんなにうれしい事も悲しい事も、
一瞬一瞬で味わうだけ。そこに長く浸らない事。いつまでも浸ってると、私達は
ガッツーンとくるわよ。これからは1秒毎に意識を切り替えるぐらいでいて。
それこそが集中力を磨くという事だから」

これは禅で言うところの「Now and Then(今、この時、この瞬間)」の世界観だ。
私は元来ドン臭く、トロいので、この切り替えが異常に下手なのだ。うれしい事
があれば有頂天ですぐハイテンションになり、悲しい事や苦しい事があると、
そこにいつまでも囚われ、ネチっこくズルズルと引きずる。結局、自業自得
なんだよね。ひっくひっく。

S先生は「これも訓練だから。慣れてくれば、できるようになるから大丈夫よ。
もうそうしないとダメなところに、未空さんはきている。それによって瞑想も
変わってくるから。自分の内側に深~く深~く入り込んで。もう求心力しか
ないんだから」と言われた。今後の意識の変化の波は凄まじいらしい。

確かに先日の瞑想では、突然手の平を始め、身体ごと一気に50mぐらい
ガクーンと落ちたような感覚になったっけ。ビックリしたなーモー(笑)。
早速、今日からHalf Malaysian改め、タイのモウゲン族未空になろう。
20050611
♪今日のパンク 何気にアナーキーっぽいアタマじゃないですか? 群生してると、黄色いピストルズ(←知らないヒトは、アタマが鶏冠系〈※とさかと読む〉の兄さん姉さんに聞いてみよう)って感じで、風が吹く度、ヘッドバッキングしてるんだよね(笑)。肝心の花の名前がわからないので、どなたか教えて頂けると、超うれしいです。マジによろしくお願いしますぅ!

クリアリング大作戦PartⅡ

2005 年 6 月 10 日

2年ぐらい前に撮ったオーラ写真は、あまりの真っ黄っ黄で顔が見えず、
ゴールドも入ってたっけ。だが、つい最近撮ったオーラ写真は、全く
別人のようで、その変化に我ながら驚いた。これは順番にファイルしと
こうと思い、前の写真を探したのだが、ない。今すぐ見たいのに、ない。

捨てるはずがないのに、ない。うーむ、こーなったらクリアリング大作戦
PartⅡで、徹底的に探してやるぅ。気合いだぁ(笑)。棚の奥から仕事
の資料や本、雑誌などが入った紙袋を引っ張り出して、逆さまにする。

ドドッとこぼれる中身に、あっちゅー間に床が見えなくなった。今日こそ
カタをつけたるワイ。覚悟しいや、って誰に言ってるんだよ(笑)。机の
上の方にある資料ケースも要点検だな。改めて見てみると、まさに今
の私に必要な情報があり、目からウロコだった。そっか、これを読ませ
るためにクリアリングさせたのか。

数年前にもらった時は他人事、あるいは意識がそこまで追いつかなかった
ので、あくまで斜め読み程度だったと思う。だが、今回はその内容に重大
なヒントがあり、まさに絶妙なタイミングなのだ。まるでビリヤードの玉が
コーナーにストンと落ちるような感覚。えっ、この人の名前がこんな所に?

し、知らなかった・・・ 新たに読みたい本が出てきたり、双子座の新月
のパワーに関連して感動したりetc. スムーズに流れに乗ってるじゃん。

うれしいなったらうれしいなぁ。自然に笑みがこぼれた。こーなると俄然
ヤル気が出てきて、いらない物はサッサと捨て、文房具類をまとめ、新し
い袋に入れ替える等々して、ほぼパーフェクトな状態となった。フッフッフッ。
最後に掃除機をかければ、クリアリング大作戦PartⅡ終了!

キレイに整理整頓され、チリ1つ落ちてない私の“勝負”部屋となった(笑)。
でも、肝心のオーラ写真は出てこない。が、しかし、もーどーでも良くなっ
てしまったんだよ。必要ならいずれ出てくるから大丈夫。クリアリングは
超大変な分だけ、それも振り子の原理で、終わった後はいつも私を大満
足させてくれる。キレイな部屋は眺めてるだけでうれしいよね。気持ちも
ス~ッキリして、梅雨空とは正反対に晴れ晴れした。めでたしめでたし♪
20050610

災難

2005 年 6 月 9 日

数えたら7枚もあるじゃないか。それにシルクのワンピまで。もう限界だった
(←プロジェクトX風(笑))。アイロンが超苦手な私。「不器用ですから」
by 健さん。最近のブラウスを選ぶ基準は、アイロンかけがいらない事!

やっぱ素材は綿が気持ちイイ。でも、これじゃいつまでたっても片付かない
じゃん。自分の苦手な事は、お金を出してプロに任せる。やはり餅は餅屋
だと思い、未空御用達店ことアバウト&Funkyなクリーニング屋にお願い
する事にした。

受付には例のタメ口を聞くパートのおばちゃんがいて、目の前で豪快な
クシャミを連発し、思わず吹き出してしまった。ほとんどスッピンだし、
ちょっと鬼嫁入ってるな(笑)。

「シャツ・ブラウスは高いわよ」「いーです。もうまとめてやって下さいっ」
「これ、麻が入ってるわね。ちょっと縮むかもしれないけどいい?」「ハイ、
大丈夫です」「こーやって素材を確認しなきゃダメなのよね」「はぁ~。まぁ
素材によってもずいぶん違いますから」「そうでしょ。こーやって一言、言っ
とけば良かったのよね。でも、今の若い店員ってそれがわからないから。
アレ、持ち込まれちゃってさ」と奥にあるジャケットをけだるそうに指した。

「アンタ(←手首を振るおばちゃん特有のアクション付き(笑))、弁償よ
弁償。素材が麻でさぁ、縮んじゃったんだって」「ひぇぇぇぇ~」「いくら
すると思う?」「さぁ~。ちょっと見当つきませんね」「(口の脇に片手を
当て)46000円よ!」「うわーっ、ホントですか? 大変だぁ」「そうよ、
大変よ。Yシャツ何百枚かければいいのって感じで、もう参ったわよ」
「そうですよねぇ。ものスゴい損失ですよね」「そうなのよ。この店も大変
なんだから」「いやいや、ご苦労様です。ホントに」ってオイオイ、客が
なだめてどーすんだよ(笑)。だから、この店は止められないAgain♪
20050609

Laburnum

2005 年 6 月 8 日

ここのところずっと噛み合っていなかった。誰と?って自分自身と。とにかくPCが
開けられない日が続く。もちろんカキコもMailの返信もできず。空庵は手薄になる
ばかり(泣)。それにしても、今日こそ大丈夫だぁと思っても、ずぇんずぇんでき
ないのは何ゆえ? 重なる時ってホント重なるんだよね。

この状態はかーなーりつらい。イライラばかりが募るが、気持ちだけ焦っても何も
解決しない。♪あ~わかってくれとは言わないが、そんなに俺が悪いのか~(笑)。

そんな中、カナダに行ってるデザイナーの友人からMailが届いた。何でも今さら
ながら、冬ソナにハマってるらしい(笑)。「全然興味なかったのに、見始めたら
止まらなくなってしまった。おかげで夜更かしだよ。一緒にキャ~とかこの男は
さー、とか批評しながら見てて笑っちゃうよ。ヨン様に惚れるな、アレは。気持ち
わかるわ」だと。そーいえば、美老庵・師匠もハマってたしなぁ(笑)。

イマドキの韓流スターの中では、ヨン様が一番イイもんね。きっとワタシも第1話
を見た段階で、“冬ソナラー(←こーゆー言い方するんだか知らないが(笑))”
になるコト、間違いないっ。

「ラバーナム、すでに終わってました・・・ だけどねぇ~ちょっとKVホテル入っ
てるぜ。あんなに写真で良さそうに見えてるけど、藤棚ってこんなに短い距離
なのか? 調布の植物園の藤棚の方が立派な気がするよ」って、ソレは残念。

ちなみにKVホテルとは、彼女と昔、温泉旅行に行った際、パンフの露天風呂の
写真にホレこんで選んだものの「だ、ダマされた」としか思えなかったホテルだ。

露天風呂は写真の1/3、いや1/4以下ぐらいの大きさだっただろうか。あまりの
ギャップに2人共ショックを通り越し、カメラマンの技術力&パンフ制作会社の
演出構成にほとほと感心してしまったほど(笑)。夜は夜で、フィリピン人
ダンサー“エメラルド・ベルズ”によるショー有りと、これまたイメージを
ドドッと覆され、それ以来、写真と現実のギャップが激しい時には、2人の
隠語で「KV入ってるな。ベルズ来るよ」となったワケである(笑)。

ここで得た貴重な教訓は、「温泉宿はパンフにダマされるな!」。ある意味、
私達を1つ賢くしてくれた名ホテルと言えるかもしれない。

5月の半ばから6月に咲く「ラバーナム(Laburnum)」はマメ科の植物で、
別名「Golden rain」とも呼ばれている。日本名は「キバナフジ」。
http://homepage2.nifty.com/APO1/igirisu18.htm

新聞広告で見て以来、あまりの美しさに一目ぼれ。木に咲く花が大好きな
私の憧れでもあるラバーナム。是非、彼女に本物の感動を味わってきて
ほしかったのだが・・・ これまたKV入ってたのか in Canada(笑)。

モー世界共通だな。「空庵があると、未空の日常がつぶさにわかって近い
ような気がするね。インターネットはすんごいよ。今さらながら関心しちゃ
うね。ほいじゃね。小雨まじりのバンクーバーより。これから釉薬作らにゃ」
と結んであった。そうだね、ネットは20世紀に落ちた隕石だから。世界中で
シェアしてるんだよ。国境ないしね。

なかなか返信できずにごめんよぉ。許してちょ。梅雨空の下の私の分まで、
極上のカナダ生活を味わって下さい♪
20050608

 

教えるほど学ぶ

2005 年 6 月 7 日

事務所で仕事をしていると、窓から窓へ流れていく風がとても心地良く
感じられる季節です。春はもう過ぎたように思いますが、初夏と言うには
まだ少し早い気がする。その狭間がとても気持ちが良い。

そして、この季節はなぜか試験の発表が多い時期でもあります。講師の
仕事の中には資格試験を受けるためのコースもあって、受講してくれた
人達からうれしい知らせが届きます。

今回のテーマに選んだ「教えるほど学ぶ」というのは、受講してくれた
人達の事ではなくて、私自身が感じている事です。

つい先日も、とある資格試験のコースのアシスタントを担当して頂いた方
から、受講者の方々の合格状況が届きました。とてもうれしい知らせです。
また、次回のコースに取り組む元気が出てきます。そして、次のコースは
前回の時にアシスタントをしてくれた方が、私と交代で講師として人前に
立つ事になりました。

その講師の方と講習の進め方などについて打ち合わせをしたり、質問を
受けたりしながら準備をしています。そして、それが私自身が多くを
学ぶきっかけになっているのに気づきました。

彼女はとても熱心な人で、自分でもよく調べているのだと思うのですが、
長い質問のMailを送ってくれます。そして、少し申し訳なさそうです。

確かに、的を得た質問の数々にちゃんと返事を書くには、それ相応の
時間を費やすのですが、不思議と苦になりません。そこには「なるほど」
「へぇ、そうなるのか」「そうか、こうすればいいんだ」といった言葉
をつぶやきながらの自分がいます。

教わる方は、その事柄について学びます。しかし、教える方は質問された
内容について、誰かに説明できるほど正確に学ぶ事ができます。そして、
相手が理解している状況についての感じ取る事も求められる。また、質問
の中で、本当に答えて欲しいのは何なのか、その主訴を見つけ出す事も
磨かれる。加えて、相手が理解しやすい説明とはどんな説明だろうと言葉
も選ぶようになります。

これは、明らかに「質問する人」より「答える人」の方がうれしい状況です。
もちろん、今度講師に立つ彼女が一生懸命質問してくれるからこそだと
思います。

互いに成長するというのは、このような事も意味しているのかもしれませんね。

/尾山 眞(ibrain system creaters代表)
20050607

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