空庵facebookに、仏教会騒然のアマゾン「お坊さん便」①をUP
したら、山梨県北杜市に高野山法徳寺を開創した、大西良空さん
という方から、コメントを頂いた。ありがとうございます。
『中々核心を突くご意見ですね。僧侶の一人として、大いに賛同
いたします。葬式仏教と揶揄されて久しい日本の仏教界ですが、
葬儀もいまや形骸化して、どのお坊さんでもいいという時代に
なっています。その事に気付いていないのか、気付いてない振り
をしているのか分りませんが、形骸化している今の葬式仏教を、
アマゾンがそのまま形にしたに過ぎません。
アマゾンは、仏教界の現状を鏡に映し出しているだけです。
信仰の世界においては、御本尊と信仰する者、或いは僧侶と檀家、
僧侶と信者との信頼関係は絶対不可欠で、その信頼関係がなけ
れば信仰の世界そのものが成り立ちません。これは、引導する
側と引導される側との間でも同じです。
「あのお坊さんに引導して頂きたい。あのお坊さんでなければ
往生できない」と言って頂けるまでの信頼関係の構築があって
こそ、得度式である葬儀が成り立つのです。
その信頼関係の構築を忘れているところに、どのお坊さんでも
構わないという派遣ビジネスが、葬式においても成り立つ土壌
があります。その土壌を作ったのは、アマゾンではなく、
アマゾンを批判している仏教界なのです。
その事に気付く事が出来なければ、今の仏教界はかなり重体
と言わざるを得ないでしょう。その意味で、今回の騒動は、
アマゾンを通じて、今の葬式仏教界に覚醒を促すみ仏の大い
なる慈悲の鞭とも言えます。僧侶自らがその事に気付き、
変らなければ、アマゾンさんのビジネスを止める事は
できないでしょうね』