東京は凄まじい雨で、かなり冷えこんでいた。出発ギリギリまで忙しく、
巣鴨の空庵事務所を出た時、すでに辺りは暗かった。名古屋駅で
名物きしめんを食べた後、東岡崎に向かい、ビジネスホテルに着い
たのは22時半を過ぎていた。
来る途中、乙川を渡る際、遠くにはライトアップされた岡崎城が見える。
1542年(天文11年)12月26日、この城内で誕生した徳川家康は、
6歳で織田信秀(信長の父)、8歳で今川義元の人質となり、少年
時代を他国で過ごした。
1560年(永禄3年)の桶狭間の合戦で、今川義元が戦死した事を契機
に自立。この時、若干19歳。それ以来、岡崎城を拠点に、浜松城に移る
までの11年間、天下統一という偉業への基礎固めを行った。
東海道五十三次の38番目の宿場町「岡崎宿」は、本陣や脇本陣、旅籠
の数から東海道五十三次の中でも、屈指の規模を誇る宿場町だった。
曲がり角の多い町並みは、「二十七曲がり」と呼ばれ、欠町(かけまち)
から伝馬通、材木町から、八帖町(はっちょうちょう)、矢作橋へと繋がる
旧街道筋には、現在でも「二十七曲がり」を示す碑が残されている。
「歴史を学ぶのではなく、歴史に学ぶ」と言ったのは、評論家・森本
哲郎じゃなかったっけ? 歴史にはめっぽう弱い私でも、出張に行った
時だけは、にわかプチ歴女になるのだよ。おーっほっほっほっ(笑)