天皇誕生日は、1948年(昭和23年)までは「天長(てんちょう)節)」、
皇后誕生日は「地久(ちきゅう)節)」と呼ばれていた事を初めて知った。
「地久節」は、国の祝祭日としては制定されなかったが、母の日に定め
られ、戦前昭和期を通じて、女子校などにおいては休日として祝われた。
フリー百科事典「Wikipedia(ウィキペディア)」によれば、「天長節」の
名前は古く、唐は玄宗皇帝の誕生日を「天長節」と祝った事に由来する。
中国暦開元17年(天平元年、西暦729年)に「千秋節」と改められたが、
20年後の天宝7年には、「天長節」に改められた。日本においては、
27年後の775年(宝亀6年)の光仁天皇の時代、10/13に「天長節」の
儀が執り行なわれ、臣下は天皇の好物の酒を献上し、宴を賜ったという。
「天長地久(てんちょうちきゅう)」とは、物事が窮(きわ)まる〈=終わる〉
事なく、永遠に続くこと。天地自然は絶対的な存在であり、永遠の造化
発展である事から、物事がいつまでも続いて、繁栄するように、という祈り
を込めた言葉に思えた。
出典は老子第七章。「天長地久(天は長く、地は久し)」は老子の言葉
だったんだね。最近、また道教を読み始めたのも、意味があったのかも。
天長地久の深い意味を知れば、天長節や地久節にこだわらず、日本が
いつまでも繁栄しますように、という解釈でいいと思うんだけど、この呼び
名を復活させるとなると、右翼に左翼、その他、喧々囂々(けんけんごう
ごう)になるんだろうね。
日本の戦前の習慣を知ると、新たな世界が見えてくる。昭和の身近な
歴史をもっと知りたいなぁ。
10/20は美智子皇后の78歳の誕生日。おめでとうございます! 未空母方の祖父、故・目白のおじいちゃんは美智子さんのファンだったそうで、ぽっちゃりした女性が好みだったらしい。おめでたい「地久節」という事で、横浜中華街で頂いた萬珍樓の「大海老の紅白作り」。人気メニューだそうで、どっちも美味しかったなぁ(●^∀^●)