「人には三種類の師がある」
先生とか師というものは、如何様にも解釈する事ができるので、
たくさんの先生や師といわれる人達を持ってきた。
それは時代、時代によってみな違う。
けれども、私は特定の先生とか師というものは、
むしろ、それほど重要に思っていない。
師には、解釈によって色々な種類があるが、
私は三通りに分けている。
・自分に知識を授けて下さる人
次に
・人生の指針を与えてくれる人
三番目に
・自分の考えている事を実行するのにおいて援助してくれる人
の三通りが師と呼ばれうる人々である。
“知識を与えてくれる師”には、学校の先生がいるが、
私は自分で勉強して、知識を獲得するという事に重点を置いている。
文献を読む事で、知識は得られる。
しかし、もっと大切な対象は、現実の現象そのものである。
言い換えれば、自分の探求心によって求めさえずれば、
誰からも、あらゆる現象のどんな事柄からも、知識は得られる。
従って、自分に知識を与えてくれる師は森羅万象、
全てである。
第二番目の“自分に人生の指針を与えてくれる”師には、
身近な人達や過去の色々な先人の経験談がある。
自分が悩んでいるような時に心の琴線に触れる、
そんな時に強く師を感じる。
これまた、いたる所に師あり、と言って良い。
第三番目の“自分のやろうという事に援助してくれる人々”は、
もしその人を師と呼びうるならば、非常に大切な師である。
特に、自分が誰もやっていないような新しい事柄、
考えを持っている時には、いっそう得難い。
/西堀 榮三郎(理学博士)
「致知」1981年9月号
連載「我が人生の師」より抜粋、引用
日枝神社(ひえじんじゃ)は山王信仰に基づき、比叡山麓の日吉大社より勧請を受けた神社の社号で、日本全国、色々な所にあるんだよね。初詣&来週、溜池山王で行われる初の試みの仕事を始め、様々な成功・成幸祈願を兼ねて、心を込めてお参りする。祈る時は、いつでもどこでも真剣に。これが私の神社仏閣参拝のモットーだ。