ある町に2軒の家が、隣合わせに建っていました。
一軒の家は7人暮らしでしたが、いつも賑やかで、一家団欒の楽しそうな声が絶えませんでした。
もう一軒の家は3人の家族なのに、毎日ケンカが絶えず、面白くない日ばかりを送っていました。
どうして隣は、いつも睦まじく暮らしているのだろうと、
3人家族の主人が、隣の家にその訳を聞きに行きました。
「あなたの家は、いつも仲良く暮らしているのに、
私の家ではケンカばかりです。どうしてなのでしょう?」
すると、隣の家の主人は言いました。
「それはあなたの家が、善人ばかりの家だからでしょう。
それに比べて私の所は、悪人ばかりの家だからなんですよ」
その意味が理解できないので、3人家族の主人は更に聞きました。
「どうしてもよくわかりません。
悪人ばかりの家だったら、
余計にケンカが絶えないはずですし、
逆に善人ばかりだったら、仲良くするはずですよ」
「いえ、そんな事はありません。
例えば夕飯のおかずが少なく、ごちそうじゃないとします。
そんな時、妻がこんな物しか作れなくて、スミマセンと言い、
私は自分の稼ぎが少なくて、いつも悪いなと言い、
両親はいやいや、私達がいるから、おかずが少なくなって申し訳ないと言い、
子供は学校の帰りが遅くなり、お母さんの手伝いができなくって、ごめんねと言うんです。
つまり、みんな自分が悪いと思っているので、ケンカしようがないのです。
それに対して、あなたの家ではおそらく、みんな自分は善人だと思っているから、
それぞれ自分の非を認めたがらないのでしょう」
それを聞いて、訪ねて来た主人は、返す言葉がありませんでした。
郵便ポストは色が違ったり、人形が乗ってたりなど、よくよく見ると、地方色が豊かなのだ。富山はもちろん薬売り。その始まりは、江戸時代の1690年(元禄3年)冬、江戸城内で起こったエピソードに由来しているんだとか。突然、激しい腹痛に見舞われた大名に、富山藩2代藩主・前田正甫(まさとし)公が携帯していた妙薬「反魂丹(はんごんたん)」を与えたところ、たちまち痛みは治まり、同席していた大名達は、その効き目に驚いて、自国での販売を求めたというもの。当時の富山藩は、度重なる河川の氾濫で水害が続発し、その対策で財政が逼迫していた事もあり、正甫公は「殖産興業」の政策を採択した。当時では異例だった「領外勝手」のお触れを出し、全国各地へ出向き、薬の行商販売を行う事にしたんだとか。富山の薬売りのトレードマークともいえる「柳行李(やなぎこうり)」は、重さが20kgもあるんだって。スゴッ!