2011 年 4 月 のアーカイブ

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最後の横浜spima

2011 年 4 月 10 日


ずっとお世話になった横浜spimaですが、
空庵の出展は、今回が最後となりました。

引き続き、東京、埼玉、三島spimaには
出展しますが、横浜spimaは祝●ご卒業!

今まで本当に多くの方々に来て頂き、
心から感謝しています。長い間、お世話に
なりました。本当にありがとうございました!

次回の出展は、4/24(日)東京spimaです。
今後ともよろしくお願いしますね。非常謝謝!

瓦礫

2011 年 4 月 9 日

鬼丸昌也(地雷・小型武器・子供兵・平和教育に取り組むNGOテラ・ルネ
ッサンス代表)さんのメルマガで、彼が「現地に行かれた方のメッセージ
で私自身、強く実感した事があるので、紹介します」という文章があった。

“街を見て一つ思った事は、報道で「瓦礫」の山とよく耳にするが、
街全体がなくなったこの街の人にとっては、これは「がれき」ではない。
街の人達の思い出が詰まったものだから・・・

瓦礫の山なんて、簡単には口できない。
そんな事を強く思いました”

デジタル大辞泉の解説によれば、「瓦礫」とは、

1. 瓦と小石。破壊された建造物の破片など
2. 値打ちのない物、つまらないものの喩え

被災地の報道を見ていると、記者が「ここ一帯は、瓦礫の山と化しています」
とレポートしているが、よくよく眼を凝らせば、その足元には家族の写真や
思い出の品々など、貴重品が大量に埋もれている。阪神大震災の時もそう
だったが、家族のアルバムを探している姿が印象的だった。

大きなフレームでは、瓦礫とひとくくりにされても、フォーカスすれば、決して
瓦礫ではない。つい最近まで、家族の日常を支えていた生活必需品の数々
でもある。人々の当たり前と思われていた普通の生活を、一瞬にして木端
微塵にした「自然」の猛威。人間はあまりに無力だ。

宮崎駿監督が「もののけ姫」のインタビューで、「人間と自然は、基本的に
共存できない。山にできた遊歩道を見て、『やっぱり自然はいいね』なんて
思ったら大間違いで、あれは人間が作り出したものでしょう。遊歩道なんて
自然じゃないですよ。自然が大好きなんて、とんでもない。自然は人間を
襲う恐ろしいもので、だからヨーロッパでは戦う相手だった訳でしょう」と
いうような事を話していた記憶がある。

あれだけの大津波や大地震を見せつけられると、やはり荒れ狂った自然
とは恐ろしいものだと痛感する。とても人間が太刀打ちできる相手ではない。
津波の地域は、人間の住む場所を高い所に移すのが、一番現実的だろう。

一日も早い復興に向け、同じ日本人として今、私に何ができるのか? 

まずは、今日一日を悔いなくやり切ろう!

巣鴨の線路脇には、桜のアーチができている。絶好のお散歩コースだ♪

一歩、抜きん出るには

2011 年 4 月 8 日

10歳の頃、

僕にとって、忘れられない出来事があります。

ある日、友達の家に行ったらハーモニカがあって、

吹いてみたら、すごく上手に演奏できたんです。

無理だと知りつつも、家に帰ってハーモニカを買ってくれと親父にせがんでみた。

すると親父は、

「いい音なら、これで出せ」

と神棚の榊(さかき)の葉を1枚取って、

それで「ふるさと」を吹いたんです。

あまりの音色の良さに、僕は思わず聞き惚れてしまった。

もちろん、親父は吹き方など教えてはくれません。

「俺にできて、お前にできない訳がない」

そう言われて学校の行き帰り、葉っぱをむしっては、一人で草笛を練習しました。

だけど、どんなに頑張ってみても、一向に音は出ない。

あきらめて、数日でやめてしまいました。

これを知った親父がある日、

「お前、悔しくないのか。

俺は吹けるが、お前は吹けない。

お前は俺に負けたんだぞ」

と僕を一喝しました。

続けて

「一念発起は誰でもする。

実行、努力までなら、みんなする。

そこでやめたら、どんぐりの背比べで終わりなんだ。

一歩抜きん出るには、

努力の上の辛抱という棒を立てるんだよ。

この棒に花が咲くんだ」

と。

その言葉に触発されて、

僕は来る日も来る日も、練習を続けました。

そうやって何とか、メロディーが奏でられるようになったんです。

草笛が吹けるようになった日、

早速、親父の前で披露しました。

得意満面の僕を見て、親父は言いました。

「偉そうな顔するなよ。

何か一つの事ができるようになった時、

自分一人の手柄と思うな。

世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。

錐(きり)だってそうじゃないか。

片手で錐は揉めぬ」

努力する事に加えて、

人様への感謝の気持ちが生きていく上で

どれだけ大切かという事とを、

この時、親父に気づかせてもらったんです。

翌朝、目を覚ましたら枕元に、新聞紙に包んだ細長い物がある。

開けて見たら、ハーモニカでした。

喜び勇んで、親父の所に駆けつけると、

「努力の上の辛抱を立てたんだろう。

花が咲くのは当たりめぇだよ」

子供心に、こんなにうれしい言葉はありません。

あまりにうれしいものだかち、お袋にも話したんです。

するとお袋は、

「ハーモニカは3日も前に買ってあったんだよ。

お父ちゃんが言っていた。

あの子はきっと、草笛が吹けるようになるからってね」

僕の目から、大粒の涙が流れ落ちました。

今でもこの時の心の震えるような感動は、

色あせる事なく、心に鮮明に焼きついています。

かつての日本には、

このような親子の心の触れ合いが息づいていたんです。

/桂 小金治
 「致知」人生を支えた言葉より
 http://www.chichi.co.jp/

巣鴨橋から見る桜は満開だ。青空に映えて美しい。

救援物資到着\(^o^)/

2011 年 4 月 7 日


ココロ優しき友人が、大ユタの先生に祈祷して頂いたというプレシャス
ソルトを、アメジストの原石入りで送ってくれた。救援物資はオマケと
の事だが、彼女の細やかさと温かさがにじみ出ている。全て有り難く
頂戴した。いつもありがとうございます!

被災地以外の安全な場所であっても、懐中電灯や電池類が品薄に
なる等の傾向が出てきているらしい。また、印刷や流通にも影響が
出ていて、新学期までに教科書の納品が間に合わないという異例
の事態も発生したんだとか。

東京も相変わらず揺れているが、だいぶ慣れてきた。でも、この気
の緩みが命取りなんだよね。喉元過ぎればが一番危険だ。

先日は夜、東京在住のクライアントの方と電話リーディングの最中、
お互いの携帯のエリアメールが同時に鳴ってビックリした。いつでも
どこでも、備えあれば憂いなしだ。

彼女の手紙には、「4月はアイドリング期間と割り切って、ムリなく
新年度をスタートします」と書いてあった。そうだね、お互い体に
気をつけて、ステキな春を満喫しようね♪ 非常謝謝!

JR巣鴨駅前の夜桜

2011 年 4 月 6 日


線路脇の桜並木は見頃かな。今年は開花が遅いよね。
花冷えとはよく言ったもんで、こんな風の強い時に
お花見なんて気分じゃないわ。今年はいよいよ未空
弟1号が花粉症にかかったらしい。未空家初だね。

おかげ様で私は、3月の出張スケジュールが無事に
終わった後は、喉の調子も良くて、薬いらず。ヤク
漬けから解放されて、安堵の毎日を過ごしとります。

咳は出ないし、喉は痛くないし、もうそれだけで感謝
の日々。桜を愛でる事ができるのも、身体健全だから
こそ。咳地獄の時は、外出もままならなかったもんね。

考えてみると、桜の時期って必ず、大きな転機の後で、
一件落着になってるパターンが多いんだよね。空亡の
時期でもないんだけど、不思議と桜の咲く頃に落ち着い
てる感じ。心身が健やかというのは、ただ有り難い。

全てに感謝! 4/3のセミナー以降、新たなスタートを
切って、年内の目標設定もバッチリ。これからが本番。

・期限をつけない大きな目標 → 流れを受け取る
・期限をつける目標 → 自分が動く

いずれにしても、私の意志の強さと生命力、生きる力が
試される2011年。結果を出す事よりも、難しい事がある
とすれば、それは行動を習慣化し、継続する事だろうね。

大丈夫、全てはうまくいっている。何があっても、大丈夫!

初めて見たゾ in 巣鴨SEIYU

2011 年 4 月 5 日


通常より、20円ぐらい安いのかな? ってコトは、かまぼこって
原材料が高いのね(笑)。震災の影響で、魚のすり身が間に
合わなかったのか? それとも・・・

でも、わざわざかまぼこ抜きとか言わなくても、気がつかない
んぢゃん? あっ、それだとやっぱ偽装になっちゃうのかな。
かまぼこ抜きはインパクトあるみたいで、売れてないんだよね。

どん兵衛ファンにとって、やっぱかまぼこは定番なのか(笑)

続・てんでんこ

2011 年 4 月 4 日

「てんでんこ」という言葉の持つ意味は深い。実は就活や婚活などにも
言えるのではないだろうか? 人はそれぞれ顔が違うように、持って
生まれた運命も、しょーもない性格も(笑)、ものの考え方も全く違う。

この世に一人として、同じ人はいないのだから、人のアドバイスも、
必要なものは取り入れ、関係のないものはサッサと聞き流す。

心を安定させて、幸せに生きていくためには、「心の免疫力」を高める
事が不可欠だ。それは、自分と他人との区別をハッキリさせる事が
原点。まさに「てんでんこ」なのだ! 

免疫力がなくなると、異物が身体の中で暴れ始めて、自分がガタガタ
になっていく。これをココロに置き換えてみれば、他人の考えや情報が、
無制限・無防備に自分の中に入り込んできて、自己判断ができなくな
る状態だろう。つまり、他人のエネルギーの垂れ流し放題。

つまり、セパレーションができてないって事なんだよね。

“免疫とは何となく、「病氣を治す力」と思われているが、その本質は
「自分と他者(非自己)を区別する力」のことだ”という文章を読んで、
ハッとさせられた。差別ではなく区別=セパレーションが重要なのだ。

しっかりした軸を持って、それを振っていれば、自分にとって必要な
情報が引っ掛かり、不要な情報が自然に捨てられていく。

今、みんなで力を合わせる事も、もちろん大切だけど、一人一人の
力を最大限に出し切って、「てんでんこ」に強くしていかないとね。

グラウンディングを意識しながら、瞑想の時間を増やしていこう。

絶妙なタイミングで色々なお話が聞けて、貴重な資料を見せて頂いたり、御本まで永久貸与して下さった。まさにサプライズ続きで、本当に有り難いなぁ。この「縁(えにし)」に心から感謝だ。

偶然にも、牡羊座の新月の日のセミナー in 新宿

2011 年 4 月 3 日

後から考えたら、牡羊座の新月の日に行われたセミナーだった。だから、
新しい物事の始まりを強く感じたのか。それにしても自分が驚くほどの
大幅な方向変換だ。

たった一度のセミナーで、こんなにも意識が変わるとは!? 私にして
みれば、たまたま応募して当たった程度だったのに。2月の咳地獄や
人間関係のご卒業、去年の夏からずっと避け続けていた事etc.

そうか、これが答えだったんだ!

4月の千葉出張は震災の影響で、急遽、先送りとなり、2月の咳地獄
の時も、奈良出張が3月に変更された月だった。不思議な事に、私は
大きな転機を迎える時は、いつも独りでいるのだ。

大変な時は「大きく変わる」時というのは、クライアントの方にはよくお話
するが、今回、大きく変わったのは、私自身だった! 死ぬかと思うほど
の咳地獄には、ある重大な意味が隠されていた。それも事務所を立ち
上げて、たったの2ヶ月というところがミソだ。

前々から気になっている事も、ようやく腑に落ちた。やっぱ間違ってなか
ったのか。色々な出来事がおもしろいように繋がって、未来予想図が
大きく変わってきた。それもかなりのバージョンUP! 有り難いなぁ。

去年の夏から、何かと理由をつけて避け続けていた事も、自らピリオド
を打つ事ができた。これでもう障害はないね。意識が変われば、世界
が変わる。自らのエネルギーが変わり、引き寄せるものも変わる。

すると、立て続けにお食事会のお誘いが! それも一つは、一年越しだ(笑)。
こんなシナリオを一体、誰が書いているのか? 全て仕組まれていると
しか思えない。牡羊座の新月のお願い事リストは、スラスラと書けて、
あっという間に埋まった。人生、ますますおもしろくなってきたなぁ。

春の大地のうねりは、すぐ足元まできている。タイミングはバッチリだ!

黄色い5本指の青い熊ちゃん in 新宿東口。何気にハードなんだけど(笑)。「人生は“青い熊”ですよ。アセるな。オコるな。イバるな。クサるな。マケるな。この頭の文字を順に並べると、“アオイクマ”になります」by 中村 幸昭(鳥羽水族館館長) 納得ですっ。

てんでんこ

2011 年 4 月 2 日

「津波てんでんこ」という言葉がある。「津波てんでんこ」は、津波から
身を守る方法として、古くから三陸地方に伝わるもので、記事によれば、
概要は以下の通り。

(前略)死者・行方不明者が1,200人以上に上った釜石市では、全小
中学生約2,900人の内、地震があった3/11に早退や病欠をした5人
の死亡が確認された。

しかし、それ以外の児童・生徒については、ほぼ全員の無事が確認
された。市は2005年から専門家を招いて、子供達への防災教育に
力を入れており、その一つが「てんでんこ」だった。

度々、津波に襲われた苦い歴史から生まれた言葉で、「津波の時は、
親子であっても構うな。一人一人が、てんでばらばらになっても、
早く高台へ行け」という意味を持つ(後略) 3/28読売新聞

三陸の人々は、「老幼の者を助けようとして、一家共倒れに」なったり
「家族を探しているうちに、逃げ遅れ」たり、「点呼を取っている間に、
津波にのまれ」たりしてきた苦い経験から、緊急時にあっては、とに
かく「個人の判断と責任において、一刻も早く逃げる」という方針を
徹底してきたというのだ。

より詳しい解説をする人は、「てんでんこ」は、「たった一人でも生きて
いかねばならない」という決意、及び「家族や周りの者を助け切れな
かった者(自分も)を責めてはならない」という事後の心構えをも含ん
でいるのだという。

で、この「てんでんこ」の教えが、結果として、大船渡や釜石で、その
教えに沿った避難訓練を繰り返してきた子供達を、津波の被害から
救う事になった。と、そういう話だ。

印象的なエピソードだ。何より実践的である点が素晴らしい。避難
訓練というと、「一糸乱れず」に、「全員が一致」して、「整然と」避難
する過程をイメージしがちがだが、実体験からくる知恵は、訓練の
ための訓練とは、発想の根本が違っている。

非常時にあって、決断を他人に委ねたり、周囲の状況に安易に
同調する事は、命取りになりかねない。普段から、自分の状況
に合った避難の方法と経路を、自分のアタマで考えられるように
しておかねばならない。そういう事なのであろう。

/「日経ビジネスオンライン」より抜粋、引用
 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110331/219253/?P=4

つづくーっ。

「東京に原発を!」と平行に、食品に関する小冊子なども読み漁っている。かといって、肉は大好きだし、スイーツやジュースもやめられない。ただ、天才バイオリニストTさんの言う「無知が一番、恐ろしいんだよ」というのは、全てに通じると思う。未空よ、貪欲に学べ!

東京に原発を!

2011 年 4 月 1 日

今から何十年も前、私の周りには平和運動をされている方がいた。
その方達は言わば、ヒッピーの最後の世代で、反核を掲げ、様々
な活動をしていた。どの人も年齢、職業不詳といった感じで、私は
その怪しげなインド綿系の姿が、どーしても好きになれなかった(笑)。

その中にTさんという天才バイオリニストがいて、17歳の頃、夜中
に突然UFOが現れ、ベランダからそれに乗り込み、宇宙人から
地球の未来像を見せられたという。彼には数時間に感じたが、
実際はほんの数分だったらしい・・・つーか、き、キテますっ(笑)。

その中には核に関する映像もあり、その影響もあったのか何な
のか、彼はその後、年上の奥さんとも離婚して、全ての人間関係
を断ち切って一人、自給自足の村に行ってしまった。

私はそれを聞いた時、自給自足というライフスタイルが信じられず、
ただただ何で?と思ったが、彼は農作業をしながら、必要な電気
は風力発電と言っていたような・・・ 今、考えれば時代の最先端
を行っていた人だと思う。

Tさんは平和運動をされている方だけあって、原発にもとても詳し
かった。当時の私の原発の知識といえば、原子力発電所の略で、
電気を作っている巨大な施設ぐらいの程度だった。

そんな私にTさんは、「無知が一番、恐ろしい事なんだよ。国民は
何も知らされていない。東電は悪の権化なんだよ」と冷静な口調
で怒っていたのを、今でもハッキリ覚えている。

核の恐ろしさを色々と教えてもらったが、残念ながら何一つ覚えて
いない。だが、そんな私でも、たった一つだけ覚えている事がある。

それは「広瀬隆氏が書いた『東京に原発を!』という本を読んで
ごらん」と言われた事だ。本は昔から大好きだったので、すぐに
買い求め、夢中で読んだ。真夜中、明かりを煌々とつけながら・・・

1981年に出版された原発反対派として有名な広瀬隆氏の「東京
に原発を!」では、原発が本当に安全であると言うならば、何も
田舎ではなくエネルギー効率、送電効率の一番いい東京湾に
こそ作るべきだ、と述べている。

2004年公開の映画「東京原発」は見ていないのだが、今回、
広瀬さんの言っていた原発の危険性が、まさに現実のものと
なった。私は再度、この名著を真剣に読み返している。

Tさんは今、どこで何をしているのだろう? 是非、お目にかか
って、心から感謝の気持ちを伝えたい。ありがとうございます。

予言されていた「原発震災」 広瀬隆氏インタビュー
http://www.videonews.com/interviews/001999/001771.php

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