鬼丸昌也(地雷・小型武器・子供兵・平和教育に取り組むNGOテラ・ルネ
ッサンス代表)さんのメルマガで、彼が「現地に行かれた方のメッセージ
で私自身、強く実感した事があるので、紹介します」という文章があった。
“街を見て一つ思った事は、報道で「瓦礫」の山とよく耳にするが、
街全体がなくなったこの街の人にとっては、これは「がれき」ではない。
街の人達の思い出が詰まったものだから・・・
瓦礫の山なんて、簡単には口できない。
そんな事を強く思いました”
デジタル大辞泉の解説によれば、「瓦礫」とは、
1. 瓦と小石。破壊された建造物の破片など
2. 値打ちのない物、つまらないものの喩え
被災地の報道を見ていると、記者が「ここ一帯は、瓦礫の山と化しています」
とレポートしているが、よくよく眼を凝らせば、その足元には家族の写真や
思い出の品々など、貴重品が大量に埋もれている。阪神大震災の時もそう
だったが、家族のアルバムを探している姿が印象的だった。
大きなフレームでは、瓦礫とひとくくりにされても、フォーカスすれば、決して
瓦礫ではない。つい最近まで、家族の日常を支えていた生活必需品の数々
でもある。人々の当たり前と思われていた普通の生活を、一瞬にして木端
微塵にした「自然」の猛威。人間はあまりに無力だ。
宮崎駿監督が「もののけ姫」のインタビューで、「人間と自然は、基本的に
共存できない。山にできた遊歩道を見て、『やっぱり自然はいいね』なんて
思ったら大間違いで、あれは人間が作り出したものでしょう。遊歩道なんて
自然じゃないですよ。自然が大好きなんて、とんでもない。自然は人間を
襲う恐ろしいもので、だからヨーロッパでは戦う相手だった訳でしょう」と
いうような事を話していた記憶がある。
あれだけの大津波や大地震を見せつけられると、やはり荒れ狂った自然
とは恐ろしいものだと痛感する。とても人間が太刀打ちできる相手ではない。
津波の地域は、人間の住む場所を高い所に移すのが、一番現実的だろう。
一日も早い復興に向け、同じ日本人として今、私に何ができるのか?