10歳の頃、
僕にとって、忘れられない出来事があります。
ある日、友達の家に行ったらハーモニカがあって、
吹いてみたら、すごく上手に演奏できたんです。
無理だと知りつつも、家に帰ってハーモニカを買ってくれと親父にせがんでみた。
すると親父は、
「いい音なら、これで出せ」
と神棚の榊(さかき)の葉を1枚取って、
それで「ふるさと」を吹いたんです。
あまりの音色の良さに、僕は思わず聞き惚れてしまった。
もちろん、親父は吹き方など教えてはくれません。
「俺にできて、お前にできない訳がない」
そう言われて学校の行き帰り、葉っぱをむしっては、一人で草笛を練習しました。
だけど、どんなに頑張ってみても、一向に音は出ない。
あきらめて、数日でやめてしまいました。
これを知った親父がある日、
「お前、悔しくないのか。
俺は吹けるが、お前は吹けない。
お前は俺に負けたんだぞ」
と僕を一喝しました。
続けて
「一念発起は誰でもする。
実行、努力までなら、みんなする。
そこでやめたら、どんぐりの背比べで終わりなんだ。
一歩抜きん出るには、
努力の上の辛抱という棒を立てるんだよ。
この棒に花が咲くんだ」
と。
その言葉に触発されて、
僕は来る日も来る日も、練習を続けました。
そうやって何とか、メロディーが奏でられるようになったんです。
草笛が吹けるようになった日、
早速、親父の前で披露しました。
得意満面の僕を見て、親父は言いました。
「偉そうな顔するなよ。
何か一つの事ができるようになった時、
自分一人の手柄と思うな。
世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。
錐(きり)だってそうじゃないか。
片手で錐は揉めぬ」
努力する事に加えて、
人様への感謝の気持ちが生きていく上で
どれだけ大切かという事とを、
この時、親父に気づかせてもらったんです。
翌朝、目を覚ましたら枕元に、新聞紙に包んだ細長い物がある。
開けて見たら、ハーモニカでした。
喜び勇んで、親父の所に駆けつけると、
「努力の上の辛抱を立てたんだろう。
花が咲くのは当たりめぇだよ」
子供心に、こんなにうれしい言葉はありません。
あまりにうれしいものだかち、お袋にも話したんです。
するとお袋は、
「ハーモニカは3日も前に買ってあったんだよ。
お父ちゃんが言っていた。
あの子はきっと、草笛が吹けるようになるからってね」
僕の目から、大粒の涙が流れ落ちました。
今でもこの時の心の震えるような感動は、
色あせる事なく、心に鮮明に焼きついています。
かつての日本には、
このような親子の心の触れ合いが息づいていたんです。
/桂 小金治
「致知」人生を支えた言葉より
http://www.chichi.co.jp/
巣鴨橋から見る桜は満開だ。青空に映えて美しい。