先日、私はある講演会で、
「実は、私もキレそうになる時があるのですよ」
というお話をしたところ、聴衆に大変喜ばれました。
修道者とはいえ、忙しい時の電話や思い通りにならないこと、
「どうして?!」と、イライラする事があるのです。
私はマザー(テレサ)から、キレそうな時に、
キレないで済ませる方法を教えて頂きました。
あれは1984年11月に来日された時の事でした。
岡山駅までお迎えに上がると、
辺りはテレビや雑誌の記者、一般の人で
黒山の人だかりができていました。
マザーがお着きになると、本当に文字通り
「フラッシュの雨」が降ったのです。
その後、どこへ行っても、
「マザー、こっちを向いて下さい」
「次はこちらを」
とビックリするほど、たくさんの写真を撮られて・・・
異国の地での厳しい講演日程に加えて、
新幹線や車など、慣れない乗り物での長距離の移動、
当時マザーは74歳でした。
肉体的にも精神的にもお疲れでしょうに、
マザーは嫌な顔一つせずにニコニコと、
本当にすてきな笑顔で応対していらっしゃったのです。
私は内心
「マザーはカメラ慣れをしていらっしゃるのかしら。
それとも写真がお好きなのかしら」
と思っていましたが、口には出さずにおりました。
夜10時を回った頃だったでしょうか、
ようやく全ての予定を終了して、修道院にご案内し、
2人で肩を並べて歩いていると、マザーがふと、
「シスター、私はフラッシュが一つたかれる度に、
死にゆく魂が神様の御許に
安らかに召されるように
神様と約束をしてあるのです」
とおっしゃったのです。
生きている間、いい事がちっともなくて、
神や人、世間を呪っていた人達の魂が
「サンキュー」
と言って穏やかに、この世と和解して死んでいくために、
煩わしいけれど、疲れているけれど、笑顔をするんです、と。
その上、
「今日はまだ祈っていないから」
と、寒いチャペルでストーブもつけずに、
寝る前に1時間、お祈りを捧げられました。
マザーは祈りを大切にした方でした。
私はそんなマザーの姿を拝見して、人には
「自分の心との葛藤」
と
「自分と対話するゆとり」
が必要なのだと感じました。
日常の中には、マザーにとってのフラッシュのような
「煩わしいもの」や「イライラするもの」
「面倒くさいもの」が、必ず存在します。
そういう時にグッと我慢をして、
「これを我慢しますから、
どうかあの人の病気が治りますように」
と他人を思いやったり、「仕方がないよね」と許す
「ゆとり」を自分の中に作る。
キレそうになる自分を抑えるための、
自分との小さな闘いが必要なのです。
逆に失敗した時は、自己嫌悪に陥るのではなくて、
「今度は、もうちょっと我慢しようね」と自分と話してみる。
マザーが「マザー・テレサ」で
あり続ける事ができたのは、
そういう自分自身との闘いと、ゆとりを
常に持ち続けていらしたからではないでしょうか。
/渡辺 和子(ノートルダム清心学園理事長)
致知出版社の「人間力メルマガ」より抜粋、引用
http://www.chichi.co.jp/
インドの聖者の本は結構、買ってあるんだけど、なかなか最後まで読み切れないなぁ。だって、どれも分厚いんだもん。温泉に行って、読書三昧ってイイよね。食事付きの湯治に、マジで行きたい今日この頃。あの湯気を思いっきり吸ってみた~い(笑)