出張で埼玉・志木へ行くため、池袋から東武東上線に乗った。
こんなシート初めて見たよと思ったら、地下鉄・有楽町線乗り
入れの車両は、このタイプらしい。私の知らないところで、
色々な事が恐ろしいほどの速さで進化している・・・
時代に乗り遅れないように、未空も動け、動け、動け。
出張で埼玉・志木へ行くため、池袋から東武東上線に乗った。
こんなシート初めて見たよと思ったら、地下鉄・有楽町線乗り
入れの車両は、このタイプらしい。私の知らないところで、
色々な事が恐ろしいほどの速さで進化している・・・
時代に乗り遅れないように、未空も動け、動け、動け。
雲取山(2,017m)、白岩山(1,921m)と並ぶ、三峯三山の一つで
ある妙法ヶ岳(1,329m)山上に鎮座している「奥宮(おくのみや)」は、
1741年(寛保元年)に建立された。
昔は三峰ロープーウェイがあったんだけど、今は廃止されちゃったん
だよね。残念。せっかくここまで来たんだから、奥宮まで登らなきゃ。
とにかく一歩一歩、前に進め!
灯籠は普通、石造りか金属製だなんだけど、ぬわ~んとこの灯籠は、
木製なんだよ。精細で見事としか言いようがない。超スゴっ! 彫刻の
モチーフが中国っぽいんだけど、建立されたのは1857年(安政4年)で、
1973年(昭和48年)に修復されたんだとか。これは一見の価値ありだね。
私が愛してやまない巨木。三峯神社の御神木も、それはそれは立派で、
見ているだけでワクワクしてくる♪ 山川草木には精霊が宿ってるよね。
拝殿は1800年(寛政12年)に建立され、1962年(昭和37年)に改修された。
内部の格天井には、奥秩父の花木百数十種が描かれ、左右脇の障子には、
竹林七賢人の透かし彫りがあり、重厚な雰囲気を感じさせる、と三峯神社の
HPには載っているが、思ったよりデーハーで煌(きら)びやかだわ。ほぇぇぇ~。
小社とはいえ、やっぱ伊勢神宮は別格なんだね。フリー百科事典「Wikipedia(ウィキペディア)」
によれば、伊勢神宮には、太陽を神格化した天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る皇大
神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神(とようけおおみかみ)を祀る豊受大神宮の2つの
正宮が存在し、一般に皇大神宮を「内宮(ないくう)」、豊受大神宮を「外宮(げくう)」と呼ぶ。
内宮と外宮は離れた場所にあるため、観光の場合は時間の都合上、内宮のみ参拝する事
もあるが、本来はまず外宮を参拝してから、内宮に参拝するのが正しい方法とされている。
元来、皇室の氏神である事から、皇室・朝廷の権威と強い結び付きがある。
広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた
合計125の社宮を「神宮」と総称する。この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する。
私は内宮だけお参りして帰ろうとしていたら、「本来は外宮からお参りするのが礼儀」と駅に
向かうタクシーの中で、運転手さんに教えられ、慌てて外宮に周ってもらった思い出がある。
三峯神社内には、たくさんの小社が並んでおり、私の産土(うぶすな)神社
である「諏訪神社」に早速、お参りさせて頂いた。霊気に満ちて気持ちいい。
三峯神社内で、下界が一望できる唯一の場所「遥拝殿(ようはいでん)」。
ここから妙法ヶ岳山頂の奥宮を遥拝するんだとか。でも、今回はミルク一色。
前に箱根神社に行った時も、こんな感じだったなぁ。この神秘的な雰囲気が
ものスゴーく得した気分で、何度も何度も深呼吸。その上、誰もいなくて
超ゼータクな時間を過ごさせて頂きました。神様、ありがとうございます!
埼玉・秩父のパワースポットと呼ばれる三峯神社。西武鉄道・特急レッドアローで
西武秩父駅まで1時間20分。三峯神社行きの急行バスで75分。前からずーっと
行きたかった三峯神社。平日の午前中は訪れる人もまばら。ここは随身門。
1792年(寛政4年)に再建されたものを、1965年(昭和40年)の春に改修
されたんだとか。晴天もいいけど、この霧の雰囲気の方が威厳があるよね。
この曼荼羅図絵は、徳川5代将軍綱吉公の帰依僧、東京の霊雲寺開基、
浄厳大和尚が尾道にいらした際、書き遺されたものなんだとか。
住職さんの話によれば、上の山型の切り込みがあるだけで、梵字に雨が
当たらず、掃除をしなくてもゴミが溜まらないんだとか。これを彫ったのは、
仏師だと思うんだけど、切り込みの角度とかをちゃんと計算していたところ
がスゴいよね。こういう工夫を「智慧」と呼ぶんだと思う。
今から300年以上前の梵字に直接、触らせて頂き、私のパワーもUP!
「玉の岩」または「烏帽子岩」と呼ばれ、周り50m、高さ15mもある。
デカッ! 千光寺第3の巨岩で、以下のような伝説があるんだとか。
「往古、この岩上に如意宝珠あり。夜毎に異光遥かに海上を照らす、しかるに
異国人来たりて、この山に登り、寺僧に向かって、我に金あり、汝これを与える
により、この大石を我に与えよと。寺僧それに答え、売る事はできぬが、この
大石を買いて、何にするかと怪しむに異国人は、この僧が岩上に宝石のある
を知らぬ事を確かめ、心中欣び、密かにこの大石に登り、美玉を奪い去りたり」
今でもこの大岩の頂きには、直径14cm、深さ17cmの穴があり、この穴が光を
放つ宝玉があった跡なんだとか。そのため、この山を大宝山、寺を千光寺、港を
玉の浦と言う。現在は岩の頂きに、宝珠の代わりに玉が置かれ、夜になると3色
に輝く。確かに光ってたのを見たわ。もちろん電気ですぅ。
「玉の岩」伝説のショートムービーもあるでよ
http://www.senkouji.jp/story/story02.html
昔、玉の岩の宝珠または太陽、月の光を鏡のように反射させていた
と伝えられていて、「鏡には神が宿る」という信仰の対象であったと
言われているそうな。「銀座まるかん」の創業者・斎藤一人さん曰く、
“日本の神様の場合には、神社に行くとたいがい鏡がある。その鏡
を覗くと、神様が見える事になっている。「かがみ」というのは、真ん中
に〈が〉がある。〈が〉というのは「我」。我をちょっと取り除く。「かがみ」
から〈が〉を除けば、「かみ(神)」が残る。つまり、あなたの中に命と
いう神がいるのです”
広島・尾道市街と標高137mの千光寺山を3分で結ぶのが
千光寺ロープウェイ。楽チンでGoodだわ♪ 高い所ダイスキ♪
個人的にやらなければならない儀式が、6/17に全て終わった。
実は後に、ビックリした事があったのだ!
というのも、弘法大師・空海が密教の経典と共に、日本に持ち帰った
とされる「宿曜経(しゅくようきょう・すくようきょう)」は、インドの占星学
「ジョーティシュ」に由来しているそうな。
このジョーティシュの暦において、6/17は「スカンダ・シャシュティ
(カルッティケーヤの日)」と呼ばれ、「問題を克服し、勝利をもたらす
強さと力を与える」、そのような自然法則が働く吉日とされているん
だとか。まさに、私と最もご縁の深い神様の日を選んでいたのだ。
本当は6/16、ナマ拳の前、ホームレスの方達にお食事を配りに、
上野に行く予定だったのだが、スケジュールが押せ押せとなり、
とうとう行けなくなってしまった。
そこで、6/17に上野へ行った訳だが、達成したい事の障害となって
いる問題に、何らかの形で取り組む事で、自然法則に支援され
「問題を克服し、勝利をもたらす強さと力」を得られる日=私の守護
神の日に無事、全ての儀式は終了。これで心おきなく卒業できる。
改めて、私の守護神のお導きに感謝。どうもありがとうございました!
お世話になっている企業様から、開店祝いのご案内を頂いていたので、
お花を持って、ご挨拶に出かけた。今までと全く違う事業形態だが、
将来性は十分。H社長のビジネスにおける嗅覚は、さすがだと思う。
虎ノ門周辺を散策すると、おーっと、こんな所に金毘羅様がっ!
知らなかったなぁ。私の行く先々には、必ず神仏が待っていらっ
しゃるので、早速お参りさせて頂いた。H社長、この度は開店
おめでとうございます! ますますのご発展をお祈りしています。
ひばりという店名は、美空ひばりから取ったのかなぁ。
とってもカワイイ看板でしょ。当時は最先端だったのかも。
私のじもてぃー商店街の手芸屋さんは、みんな化粧品屋
に商売替えしたけど、この「ひばり毛糸店」は長く続けて
ほしいなぁ・・・って、私は編み物やった事ないんだけど(笑)
San Diegoにいた時、私はデブぢゃないと確信したんだけど、
当時の彼氏から、「基準をアメリカにするな」と何度も言われ
続けてたっけ(笑)。ちなみに、あの頃より今の方が痩せて
るんだよ。ウェイト・コントロールは、私のメンタルと深く関わり
合ってるので、人生の課題なんだよね。適正体重をKeepだぁ。
夕方、やっとこさ尾道に着いて、駅の観光案内所でロープーウェイを発見!
高い所大好きだから、早速行ってみよっと♪ 商店街のおじさんに聞いたら、
この商店街を抜けた先に発着所があるとの事。このレトロな雰囲気が何とも
言えないわなぁ。元は銭湯だったのね。
そーいえば、私が生まれ育った東京台東区谷中にある銭湯が、外観その
まんまでギャラリーになってたっけ。全国的な流れなんだね。新しいものは
すぐに作れても、古いものは2度と作れないから、有効利用してほしいよね。
広島から尾道まで、じもてぃーの電車に乗ったんだけど、
「糸川」駅で乗り換え。まぁ遠いコト遠いコト。新幹線は偉大だね。
私にとって乗り物は、あくまで移動手段なので、1分1秒でも早く目的地
に着きたいワケさ。そんでもって、現地でゆ~っくり散策したいタイプ
なんだよね。各駅停車系は年々ダメになってくるなぁ。うーむうーむ・・・
広島・萩・津和野は、音校時代の修学旅行先だったが、羽田から広島空港に
降り立ったのは、初めての事だ。これが広電(ひろでん)と呼ばれるレトロな
電車で、原爆ドームにも行けるようだ。音校時代のクラスメートは霊感の強い
子達が多くて、原爆ドームでの記念写真には、かなりの心霊系が写っていた
らしい。宿泊した旅館では真夜中、部屋の壁から、おかっぱ頭の5歳ぐらいの
女の子が出て来て、「お母さんを返して」と訴えるので、「もう2度と戦争はしない
から」と言うと、そのままスーッと壁に消えていったとか。他にも色々あった・・・
あの頃のみんなは今、どうしているのだろう? まぁ、2度と会わないだろうなぁ。