私が京都で一番行きたかったお寺が、最後の仏師・西村公朝のいた
「愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)」。京都駅前から、市バス72系統
に乗り、途中、東映太秦(うずまさ)映画村や渡月橋、嵐山などを通り
ながら、「愛宕寺前」にて下車。約52分のバスぶらり旅だ。
フリー百科事典「Wikipedia(ウィキペディア)」によれば、愛宕念仏寺の跡、
京都市東山区「愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)」は、京都府京都市右京区
の嵯峨野にある天台宗の仏教寺院。
本尊は厄除千手観音、別名千二百羅漢の寺。愛宕山参道の山麓の入口
に位置する、嵯峨野巡りの始発点として知られる。
8世紀中頃、稱徳天皇により京都・東山、今の六波羅蜜寺近くに、愛宕寺
として創建。平安時代初めには、真言宗東寺派の末寺となっていたらしい。
すでに荒れ寺となっていた上に、近くを流れる鴨川の洪水で、堂宇を流失。
廃寺同然を醍醐天皇の命により、天台宗の千観内供(伝燈大法師)が復興
した。千観が念仏を唱えていたところから、名を「愛宕念仏寺(おたぎねん
ぶつじ)」と改め、天台宗に属した。
この際、一旦は七堂伽藍を備え、勅願寺としての体裁を整えたが、その後
は興廃を繰り返し、最後は本堂、地蔵堂、仁王門を残すばかりとなった。
1922年、それらを移築して、現在地での復興を目指すが失敗。あまりの
荒れように、1955年に天台宗本山から住職を命じられた西村公朝も、
引き受けるのをためらったという。
それを清水寺貫主・大西良慶の「それだけ傷んでおれば、草一本むしり
取っても、石一つ動かしても、お前は復興者、復興者やと言ってもらえる。
わしも手伝ってやるから」の激励で、復興に取りかかった。
以来、仏師として全国を飛び回る傍ら、本堂、地蔵堂、仁王門などを
整備した。