今日の主人公、栗林幸一郎さんは、
27歳の時に失語症になりました。
「失語症」は、「読む」「話す」「書く」「聞いて理解する」
「計算機能の低下」など、言語機能が侵される病気です。
昨日まで普通に話せた言葉が、なぜか出てこない。
家族や友人との日常会話もできない。
言葉をある日突然、奪われたようになり、
誰もが大きなショックを受けます。
その原因は、脳卒中や交通事故がほとんど。
普通に生活している人が、子供から高齢者まで年齢を問わず、
ある日突然、そうなる可能性が誰にでもあります。
栗林さんにその突然が襲ってきたのは、
大学院の工学部を修了して就職し、
研究者としての道を歩み始めて、間もない頃です。
それまで大病もした事もなく、健康体だった栗林さんですが、
能動脈からの出血がもとで、様々な病気を誘発し、
一時は死の淵をさまよう事になりました。
その結果、一命はとりとめたものの、右同名半盲に加えて、
失語症や記憶障害などの後遺症が残ったのです。
その後、約4ヶ月間の入院生活。
「文字がわからない(ひらがなも・・・)」
「計算ができない(1桁の足し算も・・・)」
大学院を修了した人が、です。
それまでに経験した事のない苦しい生活が始まります。
「自分の人生は、ずっとこのままだろうか」
「後遺症はどの程度残るのだろうか」
「社会復帰はできるのだろうか」
どれほど不安で、苦しい日々を過ごしたかは、
ご本人にしかわからないでしょう。
しかし、
リハビリを手伝って下さる言語聴覚士さんのサポートや
家族や仲間の励まし、何よりも本人の努力で、
病気は驚異的に良くなっていきます。
回復するにつれ、栗林さんには、
一つの気持ちが次第に膨らんできました。
「自分の体験を生かして、
より困っている人を助ける仕事をしたい」
彼は病気に負けるどころか、
「せっかく若いうちに病気になったのだから・・・」と、
自分に降りかかった災難をプラスに転じようと考えたのです。
そこで栗林さんは、自ら失語症を負いながら、
失語症患者の方をサポートする言語聴覚士を目指す決意をします。
言語聴覚士になるためには、2年間の専門的な勉強が必要です。
彼は病気になって約半年後には、会社を辞め、
言語聴覚士養成学校の入学試験にチャレンジ。
その入学試験に何とか合格します。
後に文章を書けるようになった彼の言葉です。
「この病気をきっかけに、言語聴覚士という自分からやってみたいと
思える事が見つけられたような気がする。
その意味においては、病気になった事で失ったものもあるが、
大きなものを得る事ができたのではないだろうか」
(彼は、やはり物事をプラスに考えられる人なのです。
だから回復も早かったのかもしれません)
以上の事は、熊本県言語聴覚士会会長の小園真知子さんの
ご著書「失語症 そして笑顔の明日へ」に紹介されていた事です。
私は、「へえー、こんなすごい青年がいるんだー」と
感心していました。
先日、その栗林さんに会う機会がありました。
熊本市で行われた「言語聴覚士学術研究会」にて、
講演をさせて頂いたのですが、
そこにスタッフの一人として、栗林さんも参加していたのです。
つまり、彼は念願の言語聴覚士となり(!)
すでに現場で働いていたのです。
初対面ですが、私はふと思い浮かんだ事を口に出しました。
「あなたが経験した事を本に書いて下さい。
失語症を経験したあなたが書けば今、
失語症で苦しんでいらっしゃる方が
どれほど力づけられ、勇気づけれるでしょう」
是非、書いて下さい」
私がそう言わなかったとしても、
彼はいずれ本を書くでしょう。
自分の思いを「何とか言葉にして伝えたい」と願い、
そのために今日も日々、闘っている方々のために、
彼の体験や思いを言葉して伝えてくれるに違いありません。
★あなたが幸運になれるヒント★
自分のマイナス経験を活かそう。
1のマイナスが1000のプラスになるかもしれない(^.^)
出典:小園真知子著「失語症 そして笑顔の明日へ」
http://tinyurl.com/3xuzt5
この本は、失語症の事を知るために、私のように知識0の人にも、
よくわかるように書かれています。
失語症は、予防もできるのだそうですよ。
様々な方の体験談と共に、栗林さんの手記もこの本に収録されています。
/中井 俊已(作家、教育コンサルタント)
メルマガ「心の糧・きっとよくなる!いい言葉」より引用
♪私は芋がらを食べた事がないのだが、芋がらを見ると、映画「武士の一分」のラストシーンを思い出す。山形の下級武士の夕飯は、ご飯と味噌汁、芋がらの煮つけのみ。まさに一汁一菜だ。煮つけにすると、どんな味がするのだろう? ほんのひと昔前の日本には、飢饉が存在した。飢えで多くの人が死んでいった。今の時代に生まれて、本当に幸せだと思う。感謝だ。