こんな話があります。
もう30年ほど前の、アメリカでのできごとです。
骨のがんにかかり、入院していた12歳の少年がいました。
両親は、この少年のために、少年が大ファンだったプロ野球選手に
お願いをします。
「闘病中の息子のために、大好きなあなたから電話で話をして
励ましてやってもらえませんか?」
選手は、すかさず病院に電話をかけてくれました。そして、
「今夜の試合で、君のためにホームランを打つことを約束するよ」
そう言ってくれたのです。
さて、その夜、少年がじっとテレビに食い入る中、彼は本当に
ホームランを打ったのです。
少年は大喜びです。
そのとき、プロ野球チームのマネージャーが、一枚のメモを、
テレビのアナウンサーに手渡しました。
アナウンサーは、感動に震えながらそれを読み上げました。
「いまのホームランは、骨のがんで入院している少年との約束を
果たしたホームランです!!
少年と、選手との美しい友情のホームランなのです!!」
少年は、そのとき知ったのです。
「ぼくの病気はがんなの・・・」
そう、つぶやいたそうです。
そして、二週間後、この少年は亡くなります。
切なく、悲しい話ですよね。
みなさんは、この話を読んでどう思われますか?
腹が立ちますか?
球団のマネージャーや、テレビのアナウンサーが、不注意だった
ことは確かです。
なぜ、もう少し注意深く考えてあげなかったのか・・・
そう攻めることも簡単です。
しかし、私はそうばかりとは思いません。
なぜなら、皆が一生懸命にやっていたからです。
選手も、マネージャーも、アナウンサーも、そして両親も。
皆が少年のために、一生懸命にやった。
そんな善意も、ほんのちょっとした不注意で、逆の結果になってしまう。
それが、この世の中ではないでしょうか?
一生懸命やること、努力することは貴いことです。
しかし、一生懸命やっても、努力しても、どうにもならないことがある。
結果が裏目に出ることもあれば、かえって不幸になることもある。
そのことをわかっていなければ、「他人を許す」ということが、
できなくなってしまいます。
「俺は、他人に迷惑をかけずに生きている」
と、胸をはって言い切れる人は、今度は、
「他人に迷惑をかけられることを許せない」
人になりがちです。
私たちが「生きていく」ということは、それだけで、
「他人に迷惑をかけずにはすまされない」
ことだと思うのです。
「この世のなかには、どうにもならないことがある」
それをわかったうえで、なおかつ一生懸命に、今日一日を生きる。
それこそが、「こころのやすらぎ」に、つながる道ではないでしょうか。
/佐野 隆一(サプリメントアドバイザー)
メルマガ「こころのさぷり。体のサプリ。」より引用
♪この世には、どうにもならない事もあると知った時、人は何をするだろう? 東大阪の石切神社は、お百度石が境内のど真ん中にある。回数を数えるための紙縒(こよ)りを片手に、みんな熱心にお参りを繰り返す。伯母は「ほとんどが病気平癒よ」と言っていた。一生懸命やっても、努力しても、どうにもならない事がある。今の私はそんな心境だ。新たな展開を先延ばしにしたいと思いつつも、現実は現実として厳しく直視しなければならない。それにしても気が重いなぁ。ふぅぅぅぅぅ~。