先々週、金沢の四方健二さんの詩を紹介しました。
昨年、泉鏡花記念金沢市民文学賞を受賞している詩人です。
彼の詩は、あちこちを漂泊し、気ままに吟行するような印象を受けるのですが、
実は彼は30年以上、家からほとんど外に出たことがありません。
彼は7歳で進行性筋ジストロフィー症を発症して以来、
病床での生活を送っているのです。
手足の指先1本動かせません。
まったく寝たきりの状態です。
9月30日、四方君の詩の朗読会と講演会があると聞き、
金沢の市民芸術村パフォーミングスクエアへ行ってまいりました。
朗読は地元の女性アナウンサーさんが、
心をこめて読んでいただきました。
講演は、ステージの上の移動式ベッドから、本人が語りました。
・ ・でも、彼は言葉を発することができません。
どうやって皆に伝えたのか。
本当に驚きました。
額に信号を伝えるためのコードを貼り付け、
瞼(まぶた)を開いたり閉じたりして、
パソコンに文字を書くのです。
それをパソコンの言語変換ソフトで、
再び音声に換えて、
講演をするわけです。
もちろん、時間がかかるので、その場ですぐに、
というわけにはいきません。
おそらく、何時間いや何日もかかって完成したものでしょう。
今日は、ぜひ。
ぜひ、ぜひ、皆さんにも講演を聞いていただきたく、
四方君の講演録を下記に披露させていただきます。
きっと皆さんの心に、優しさと元気をもたらしてくれることでしょう。
* * * * * * * *
詩人・四方健二講演録「生かされて生きる」
生きるとは、どういう事なのでしょうか。
あなたは今、生きていますか。
心の底から、生きていると言えますか。
胸に手を当ててみて下さい。
鼓動が響いてくると思います、温かな血流が伝わってくる事でしょう。
生きていれば、誰もがそうあります。
しかし、ただそれだけで、人は生きていると言えるのでしょうか。
人は、身体だけで生きているのではありません。
人には、心があります。身体と精神ともに息づいてこそ、
人は生きていると言えるのではないかと、私は思っています。
私は重度の身体障害者です。
進行性筋ジストロフィーという難病を背負っています。
進行性筋ジストロフィーとは、
全身の筋肉が萎縮し、破壊され、徐々にその機能を失っていく病気です。
今の私は、身体どころか、指一つ動かせません。
寝たきりの状態にあり、人工呼吸器がなくては生きていられません。
そんな私ではありますが、子供の頃には、息を切らして駆け回り、
夕方暗くなるまで、家に帰り着く事はありませんでした。
私が生まれた所は、自然豊かな能登の漁師町です。
遊ぶ場所には、事欠くことはありませんでした。
時を経て、私は中学生へと、高校生へと成長していきました。
学生の頃の私はといいますと。
心の趣くままに、何事にも情熱を傾けていました。
興味のある事には、次から次へとトライして。
時には、その情熱が、良からぬ興味に注がれた事もありましたが。
それはともかくとして。
その当時の私は、最も活動的で、最も活発に行動していました。
音楽サークルを立ち上げたり。
劇団に加わったり。アマチュア無線の交信にも勤しんでいましたし。
生徒会活動には、かなり熱を入れていたものでした。
しかし、進行性の病気とは、本当にやるせないものです。
どうあがこうと、病気の進行には抗えず。
歩けなくなり、車椅子へ。
そして、ついには寝たきりの生活を送る事になってしまいました。
進行性筋ジストロフィー。
この病気の本当に恐ろしいところは、その短命さにあるのです。
かつてこの病気は、二十歳までの命とされていました。
実際に、二十歳を迎える前に力尽き、亡くなっていく仲間。
人達を、数多く見送ってきました。
その中でも、最も辛かったのは、親友の死でした。
それは、高等部2年生の初秋の事でした。
もうもたないと聞いてからの毎日の病室通い。
見舞う度に、彼からの反応は鈍くなり、目からは光が失われていきました。
そんな親友を目の当たりにしておきながら。
私は彼に、何一つしてやれませんでした。
あまりにも、自分が情けなく思え。
無力感に苛まれたものでした。
また、この彼の死は、私に拭い去れない恐怖を植えつける事になりました。
「次は自分かもしれない」という、重苦しい思いが。
現実として、リアルに圧しかかってきたのです。
今でも、それは重い影となって、私にまとわりついています。
それでも、現在では私達を囲む医療環境が進歩し、
対症療法が功を奏すようになり、
命の期限は緩やかなものになったと言えるでしょう。
しかし、いくら対症療法が進んだとはいえ、
短命だという事には変わりはありません。
私自身も、十九歳の時に、重い呼吸不全に陥ってしまいました。
それは、命の危機を連想するまでに、深刻なものだったのです。
そんな私を救ってくれたのは、
当時導入されたばかりの体外式といわれる呼吸器でした。
この呼吸器によって、私は命を永らえる事ができたのです。
あの時、一つでも時の歯車が狂っていたら。
おそらく、十九歳の冬に私は死んでいた事でしょう。
そんな私も、今年で四十歳になります。
かつて、私の命は二十歳までだと言われていました。
それを思うと、四十歳という年齢が、大変重いものに思えてきます。
ここ二十年間の経験は、本当に貴重な経験ばかりだったように思います。
今、こうして四十歳になるまで生きてこられた事に、
大きな意味と、大きな喜びを感じています。
思い起こせば、よく仲間達と話していたものでした。
「四十歳まで生きていられたら最高だ」と。
その夢であった年齢を、今年、私は迎えるわけですから、
何とも不思議なものを感じます。
私は自発呼吸ができません。
気管を切開して、人工呼吸器を使用しています。
気管を切開した事で、私は声を失いました。
そのために、思うに任せない事も沢山あります。
ですが、これは生きていくため、仕方がありません。
それでも、時には、たまらない思いに囚われる事があります。
割り切っているはずなのですが、複雑な思いもそこにはあるのです。
夢の中での私は、いつも当たり前のように喋っています。
この夢こそが、私の複雑な心を物語っていると言えるのではないでしょうか。
さらに、私にはものを飲み込む力がありません。
必要な栄養や水分は、
全て鼻から入っているチューブを通して胃へと流し込んでいます。
身体を動かせない、声は出せない、飲めない、食べられない。
こうして挙げてみると、なかなか重いものがありますね。
人によっては、これを絶望だと言うのかもしれません。
しかし、私はそうは思っていません。
私には、充実した毎日があります。
絶望は陰へと追いやられ、心を支配する事はありません。
とはいえ、この病気によって、私は多くのものを失いました。
心を許し合った仲間も、次々と倒れていきました。
わたし独りだけが生き残り。
時には、それを仲間への裏切りだと感じてしまう事さえあります。
それでも、失う事ばかりではありませんでした。
筋ジストロフィーである事により、得られたものもあるのです。
これまでの私の人生には、身体的にも精神的にも辛い事が数多くありました。
不安と恐怖に押し潰されそうになった事も、幾度となくありました。
苦しい経験ではありましたが、逆にその苦境の時にこそ、
私は大切なものを得られたように思います。
先にも触れましたが、私は深刻な呼吸不全に陥った事がありました。
昼も夜も無く、ままならない呼吸に喘ぐばかりで、
心身ともに無残なまでに衰えてしまっていたのです。
抗えない苦痛と、絶望感に囚われ、「これまでか」と、
死を覚悟するまでに疲弊していました。
その日も、澱んだ薄暗い病室の中で。
私は、それ以上の闇に沈んでいました。
ふと何かに呼ばれたような気がして、視線を向けると。
そこには、忘れられた一輪挿しに、萎れた桔梗が残されていました。
私は、「自分と同じ運命か」と、悲観の眼差しで桔梗を眺めていました。
ところがです、朽ち果てるばかりだと思っていたその花が。
私の目の前で力強く蕾を開き、生き生きと花を咲かせたのです。
諦める事を知らず、与えられた命を誠実に全うしようとする姿勢に、
私の心は震えました。私の中で熱い力が湧き上がってくるのを感じたのです。
生きたいと、強く思いました。
すると、どうでしょう。
それまではくすんでいた世界が、
たちまち鮮やかさを取り戻していくでは、ありませんか。
苦しいばかりの毎日が続いて。
私は、気づかないうちに、
私自身の作った殻に閉じこもってしまっていたようです。
自分だけの世界しか見えなくなってしまい。
自分は孤独だと思い込んでしまっていたようです。
しかし、広い視野で周りがよく見えるようになると、
それは大きな間違いであったと気がつきました。
多くの人の力が、その真心が、苦しみに喘ぐ私を、
私の命を支えてくれていたのです。深く感謝しました。
それからというもの、呼吸不全との暗く孤独な戦いは。
家族や看護師さんたち、先生方との、共同戦線となりました。
体調の良い時は、共に喜び。苦しい時には、共に歯を食いしばり。
身体的には厳しい毎日でしたが、心は満たされていました。
幸せにさえ、思えていたものです。
私は支えて下さる皆さんの真心を追い風に、
心ある人達と力を合わせる事で、この窮地を乗り切る事ができました。
私は、これまでの人生を通して、生かされている自分というものを、
強く意識するようになりました。
私は毎日、多くの人々に支えられて生きています。生かされています。
また、私は、自然と対峙する度に、
自然の大きな懐に包まれている事を感じるのです。
生かされている安心感を覚えるのです。
私は、生きている事の喜びを、生かされている事の幸せを。
この身の全てで、この心の全てで受け止めて生きています。
だからこそ、何気ない毎日が嬉しいのです。愛おしいのです。
今ある事に、感謝して。与えられた日々を、精一杯生きる。
不平不満が無いとは言いません。嫉妬もすれば、妬みもします。
しかし、私は生きているのです。生かされているのです。
ありがたい事ではありませんか。
不平不満に取りつかれ、嫉妬や妬みに心を惑わせるなど。
この喜びにくらべると、本当に小さな事だと思えるのです。
私は日々、生きがいを咲かせ、希望を持って生きています。
そういう毎日が、私の人生を充実したものにしてくれているのです。
私は、生かされてここにいます。
生かされている事に感謝しつつ、自らも生きる姿勢を持って生きています。
そうしてこそ、豊かな人生を得られるのではないでしょうか。
私は詩作という生きがいを咲かせ、心豊かに、満たされた日々を送っています。
私は生きています。今は、自信を持ってそう言えます。
自分の確固たる意識を基に、私らしく、あるがままに生きています。
私が私である事に、感謝せずにはいられません。
私は幸せです。私は恵まれています。
この人生を与えてくれた全てのものに、全ての人々に、心から感謝しています。
私にも、明日がやってくるのです。
私は、幸せです。
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もし、心に響いたら、波長が合いましたら、
お友達にも転送して、多くの人に講演を聞いて頂けたら幸いです。
四方健二さんの事を紹介している関連サイトは、
http://www.hokkoku.co.jp/_today/H20061026003.htm
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031594915&Action_id=121&Sza_id=C0
/志賀内 泰弘(10年後の世の中を良くしようという「プチ紳士を探せ」運動代表、編集長)
メルマガ「プチ紳士を探せ!運動事務局“ギブ&ギブメルマガ”」より引用
♪Mさんがダブルレインボーを送ってくれました。うわーっ、希望の虹だ。うれしいなぁ。どうもありがとうございます!