さて、私はズバリ、何歳まで生きるでしょうか?
ちなみに死亡推定日は、2044年8月20日だそうな(笑)。
やっぱ真夏だよね。わかるわかる。絶対そんな感じ。酷暑の時期にパタン、
っていうパターンだと思う(笑)。体内メーカーのサイトには、色んな解析系
サービスがあって、そこで見つけたのが「守護霊解析機」。私を守ってくれ
ているのは、いったい誰?
“未空の99%は、由井正雪が守っています。
未空の1%は、おばあちゃんが守っています”
えっ、由井正雪? 聞いた事あるけど、自慢じゃないが歴史は全然わから
ない。せっかく私を守ってくれてるんだったら、この際ヤフってみよう(笑)。
フリー百科事典「Wikipedia(ウィキペディア)」によれば、由井正雪(ゆい・
しょうせつ/まさゆき:慶長10年〈1605年〉~慶安4年7月26日〈1651年
9月10日〉)は江戸時代の軍学者。「油井正雪」と「由比正雪」と書く場合
もある。
駿府宮ヶ崎町(由比町との説もある)の紺屋の生まれ。幼い頃より才気
煥発で、17才で江戸の親類に奉公へ出たが、楠木正成の子孫の楠木
正虎の子という軍学者・楠木正辰(楠木不伝)の弟子になると、その
才能を発揮し、やがて師匠の娘と結婚し、養子になった。
楠木正雪あるいは、楠木氏の本姓の橘氏から、「由井民部之助橘正雪
(ゆい・かきべのすけ・たちばな・の・しょうせつ/まさゆき←長っ。寿限無
かい(笑))と名乗り、やがて神田連雀町に、楠木正辰の南木流を継承
した軍学塾「張孔堂」を開いた。道場はなかなかの評判で、一時は3,000
人もの門下生を抱えたとされる。
門下生の中には、大名の子弟や旗本なども多く含まれていた。慶安4年
(1651年)に「由井正雪の乱」ともいわれる慶安の変を起こし、駿府にて
自害。正雪の首塚とされる石塔が、静岡市葵区の菩提樹院に存在する。
えーっ、最後は自害しちゃうの? それはイヤだな、って遅いんだけど(笑)。
静岡生まれの由井正雪が99%守ってくれてるとは、いざ知らず。来月は
三島に行くしなぁ。縁がないワケではない・・・かな。思わぬところで、
日本史の勉強になりましたとさ。めでたしめでたし。
残りの守護霊1%は、千代&みやばーちゃんが0.5%ずつ、仲良く分担し
てくれてるってゆーし。ココロ強いわ♪ いつもどうもありがとうございます!
さて、次は「オーラ解析機」いってみよーっ(笑)
♪未空弟2号が「はい、お土産。ドリアンだよん」って、いやー、どーすんのよ(笑)?