サンスクリット語は、古代・中世にインド亜大陸において、公用語として用いら
れていた言語だ。現在のインドの公用語の1つでもあるが、古典言語である
ため、現在日常語として話す人はほとんどいない。
その昔、作曲家であり、言語学が趣味という人がいて、サンスクリット語を習い
始めた。教えてくれる片腕の先生がとても変わっていて、とゆーかそもそもサンス
クリット語の先生というだけで、かーなーりーコアな人だという事が想像できる(笑)。
「仏教に興味があるなら、未空さんも一緒に習いに行きませんか?」と誘われ
たのだが、当時の私はキリスト教に興味がなくても、イタリア語を習っていた。
だが今思えば、その片腕のおもしろい先生に会っておけば良かったなと後悔
している。
「Dharma(ダルマ)」は通常「法」と訳され、法といっても法律ではなく、
「自然の法則」「宇宙の法則」といった意味だ。その他に「正義」「使命」「天命」
「天職」「本分」といった幅広い意味がある。Dharmaはとても奥深い言葉であり、
私が唯一知っているサンスクリット語だ。そして、このDharmaには法則がある。
①Dharmaは「生命を支え、生命に進化を促す普遍的な力」
↓
この場合のDharmaの訳は「自然の法則」「宇宙の法則」だろう。
②Dharmaは「これに沿った行為の結果、生命に幸福をもたらし、
これに逆らった行為の結果、生命に不幸をもたらす」
③Dharmaは「自らこれを護る者を護り、自らこれを損なう者を滅ぼす」
↓
これらの場合は「正義」だろうか。
④Dharmaは「個別生命の意識レベルに応じてのみ理解され、
それに応じてのみ実行される」
↓
この場合は「使命」「天命」だろうか。
そして、私が最もココロ動かされたのは、
⑤Dharmaは「自らこれを行おうと意図する生命を見つけ、これを成就に向かわせる」
これを「本分」と考えるとわかりやすいと思う。つまり自らの本分を行えば、
Dharmaの方から自分を見つけてくれ、成就に向かわせてくれるというのだ。
それじゃ、私のDharmaって何よ?という事になるが、結局「求めよ、さらば
与えられん」ってゆー事に繋がるんだと思う。これは真理だ。しみじみ。
「探せ、そうすれば見出す。叩け、そうすれば開かれる。求める人は受け、
探す人は見出し、叩く人は開かれる」とイエスは言っている。って、私が
直接本人から聞いたワケじゃないんだけどね(笑)
そして、インドで自らのDharmaを果たし、日本に帰って来た人がいた・・・
♪あ~ら懐かしや~、スリランカの初日に泊まったエアポートホテル。あれから1年半近く経つんだね。私のあまりの荷物の少なさに、みんなに超驚かれたっけ(笑)。でも不足はなかったよ。いざとなれば現地調達できるしさ。私の方こそ、みんな何~でそんなに荷物が多いの?って聞きたかったもん。荷物は軽いに限ると思うんだけどね。人生の荷物もね。