難病の患者を抱える家族の心身の疲労、苦悩、困難等を考えると、胸が痛む。
“父の病気は筋肉が萎縮する病気で、普通は手足の萎縮から始まるのですが、
父はいきなり呼吸筋から萎縮が始まってしまいました。元気だけど呼吸筋の
麻痺で、いつ呼吸が止まるかわからない状態です。気管切開して人工呼吸器
を繋いでしまえば、延命は可能で10年は生きられます。
しかし、ゆくゆくは手足も舌もまぶたも動かなくなり、最終的には排便や排尿
も自力でできなくなり、全身が動かなくなります。でも頭だけはハッキリして
いて、痛い痒い辛いと人に伝える事ができなくなる残酷な病気です。
父は気管切開を拒否しています。また、この病気の特徴の1つが人格が変わ
ったかのように要求が増えたり、1日中呼び鈴を鳴らして呼ぶというものです。
睡眠が取れない。支援体制もまだ整ってないので、介護の負担が大きすぎる
状態です”
私の身近にもパーキンソン病で苦しんでる人がいるので、とても他人事とは
思えなかった。あれほど元気で、趣味がジャイロだった人がなぜ、どうして?
全身が動かなくなるのに、頭だけはハッキリしている状態というのは、あまりに
残酷すぎる。未空父方の祖父も病気が原因で、人をつねるようになり、「あれ
ほど大人しかった人が・・・」と周りを驚かせた。病気とはそういうものなんだろう。
ある人は「ほとんどの病気は、“思考”と“血”で造られているのが現状」と言い、
ある人は「病気を簡単に治したら、気づくチャンスを奪う事になる」と言う。また
ある人は「病気になった本人の“病気とは何か?”についての理解と、その理解
に基づいて、“自分のアンバランス。影は何か? 心の病んでいる部分は何か?
その原因は何か?”といった内面の追求により、自分を変容させる事が最も
大切です」と言う。
だが、上記のようなケースを目の当たりにすると、やはり病気は残酷であり、
病気を簡単に治したら、気づくチャンスを奪う事になるという問題ではない
気がする。治せるものなら、今すぐ治してほしい。この苦しく辛い状況から
救ってほしい。
泣いてもわめいても、どうにもならないが、それでも叫びたい気持ちだ。とに
かく助けてほしい。「病気で自分を治せ」が当てはまるケースもあれば、そう
簡単に言えないケースがあると思う。
お父様とご家族の方々が、今より楽になれるように祈っています。