Netで「日本人殉教者188人を栄誉ある“福者”に」というニュースを見た。
江戸時代初期の17世紀前半、キリスト教徒の迫害で処刑された日本人
殉教者188人を、ローマ法王庁(バチカン)が近く、栄誉ある「福者」に
列する見通しとなった。対象者は九州、京都、米沢などで非業の死を
遂げた司祭、一般教徒らで、これだけ多くの日本人が同時に列福され
るのは140年ぶりとなる。
福者とは、カトリック教会が生前の聖性を認めた人に死後、与える称号で、
最高位である「聖人」に次ぐ。日本では外国人宣教師を含む205人が1867年、
列福されたんだとか。外国の著名人ではインドの修道女、マザー・テレサ
が2003年に列福。前法王ヨハネ・パウロ2世は現在、列福調査中だそうな。
ふと、ある人の顔を思い出し、私の携帯待ち受け画面は、相変わらず「絶え
ざる御助けの聖マリア(←2005年12月21日付の未空風呂を読んでね)」に
なっている。クリスチャンではない私がなぜなんだろう? 不思議なご縁
を感じていると久々にMailした。すると、
“私の事を覚えて下さっていてうれしいです。ありがとう。未空ちゃんからする
と不思議でも彼方からは、計り知れない大きな恩寵が全ての一人一人に
注がれていて今、未空ちゃんは此方illusionの世で、聖母の御姿として受け
取っているのではないかしらと考えます。
真理は知る事のできないものですもの。限りある世では具体性が必要なの
かもしれません。色々の事が美しい容で現われるのは、とても素敵な贈り
物でしょう。クリスチャンという概念は不要と思います。そして「聖母」が未空
ちゃんを愛していらっしゃいますよ。
私に関する限り、カトリックも教えも何も要らないと思う事、しばしばです。
この豊穣な、といっても人に説明不可能な宇宙の摂理に身を委ねている
のは、とても快い事と私自身は感じているのですけれど。
肯定の意味で用いられる事がありませんが、「幻滅(dis-illusion)」という
言葉が好きです。幻が滅した時、真理にほんの少しだけ触れるのかも
しれません”
幻滅と聞くと、確かにネガティブなイメージしか浮かばないが、幻が滅する
と考えれば、そうなった時に初めて真理が浮かび上がるとも言える。私の
携帯の消えない「絶えざる御助けの聖マリア」は、計り知れない大きな恩
寵が具現化された物なのか。だったら素直にうれしいし、有り難いと思う。
Aさん、キラキラきれいなお陽様から、元気をいっぱいもらって下さいね。
Mailどうもありがとうございました。また、お会いできたらうれしいです。
♪太極拳の教室近くで見かけた「未来への扉 by 未空(笑)」。何かそんなイメージが浮かんだんだよね。