2006 年 のアーカイブ

喉頭炎ブーム

2006 年 6 月 14 日

喉頭炎になってからというもの、夜、寝る前の瞑想ができなくなってしまった。
突然、咳が出るので思うように集中できないのだ(泣)。仕方がないので、
やれるところまでやって、サッサと寝るようにしている。

相変わらず咳をコンコンしながら、かすれ声のまま太極拳に行くと、ぬわんと
S先生の周りでも、喉を痛めている人が多いらしい。そして自宅に戻ると、
未空弟2号が遊びに来ていて、やはり咳をしているではないか!?

未空 「やっぱ喉やられたの?」
弟2号 「俺は熱も出て大変だったんだぞ」
未空 「えっ、熱も出たの?」
弟2号 「38.8度だぞ」
未空 「お医者さんに行った?」
弟2号 「行かない。俺、医者嫌いだから」
未空 「どうして? そんな事言ってる場合じゃないでしょ」
弟2号 「俺はガキの頃、喘息でさんざん医者に行ったんで、もうイヤなんだよ」
未空 「で、どうしたの?」
弟2号 「仕事に行った」
未空 「はぁぁぁ~? 38.8度で仕事したの?」
弟2号 「まぁ1日だけだったからな」
未空 「超人ハルク?」
弟2号 「帰りマジにヤバくなって、スーパーで果物とか色々買い込んでさ」
未空 「よく立ってられたよね。やっぱハルクだ」
弟2号 「家に着いて、ライト消したまま、布団に倒れた」
未空 「そりゃそうでしょ」
弟2号 「そのまま丸2日間、寝たきり状態だった」
未空 「今は大丈夫なの?」
弟2号 「いや、病み上がりだな。姉貴もこれから熱出るぞぉ」
未空 「いや、絶対に出ない!」
弟2号 「出る出る。マジでこれで終わんねーぞ」
未空 「いや、絶対大丈夫! 根性で治す! 諏訪神社も行って来たし」
未空父 「お前は小さい頃、42度の熱を出して引きつけ起こしたからな」
未空 「そうなんだ?」
未空父 「体温計に42度はないんだ。本当は40度2分だったんだが、とにかく慌ててたからな」
未空 「引きつけ起こしたんだ?」
未空父 「行きつけの医者が休みで、坂の下の医者にだっこして行ったのを今でも覚えてる」
未空 「突然の発熱だったワケだ」
未空父 「その時アタマをやられたんだな、きっと。だからこんなになったんだ」
弟2号 「そうか、やっぱな。その時の後遺症が今になって出てるのぉ(笑)」
未空父 「・・・だろうなぁ」
弟2号 「・・・可哀想にのぉ」
未空 「(゜o゜)\(-_-)←声にならない叫び」
20060614

東京台東区谷中一帯の産土様「諏訪神社」in 西日暮里

2006 年 6 月 13 日

谷中の七面山をずーっと我が産土神社と信じ切っていた私。そして、何度もここ
にお参りに来ていた私。今日だってそうだ(泣)。だが、しかしだよ。ここに鳥居
がない事に今気づいた。って事は? ここは神社ではないのだ(ノ゜O゜)ノ

すぐに神社庁に電話して、私の谷中時代の住所を告げると、「えーと諏訪神社で
すね。谷中一帯は全て諏訪神社になりますので。住所は荒川区西日暮里3-4-8
です」と言われた。そっか、朝の御告げは本当の産土神社にお参りに来なさい
という事だったのか。104に電話して、諏訪神社の電話番号を聞く。全てがスイ
スイつながる。

諏訪神社は西日暮里の改札を左に出た後、3~4分ぐらいで、坂の上にあるらしい。
日暮里から道はわかるので歩けるな。七面山に最後のご挨拶をして、朝倉彫刻館
の前を通り、西日暮里方面に向かう。相変わらずの寺町が続くが、そこに緑の繁
った場所が見えた。ふと見ると、諏訪神社と書いてある。

もしかして着いちゃった? うん、ここだよね。間違いないっ! 知らぬ間に何度
もここには来ていた。だが、ここが私の産土とは露知らず。大変失礼致しやした~。
歴史は古いが、「龍口に近づくと、センサーが反応して水が出ます」という見事な
ハイテクぶり(笑)。早速、お清めをしてお社へ。

今までの非礼を詫びて、色々と真剣にお願いをする。ミスターXの朝の電話
に始まり、無事にここまでお導き頂いた事を心から感謝する。ようやく来れた
んだなぁ。何だかホッとした。帰り、坂を降りて行くと、大きなアゲハ蝶が
優雅に舞っていた。ヒラヒラヒラヒラ・・・何てキレイなんだろう。

そして、駅前にあるレトロな喫茶店の名前が「M」とある。偶然とはいえ出来
過ぎで、思わず笑ってしまった。やはり私とは縁の深い土地なんだなぁ。今日
こそ産土様が呼んでくれたんだね。どうか天にお繋ぎしてほしい。今度、我が
喫茶店「M」にゆっくり入ってみよ~っと♪
20060613

ミスターX

2006 年 6 月 12 日

朝、電話がかかってきたのだが、私の携帯には登録されていないヒトだ。Who?

Mr.X 「おはよう。・・・・・未空」
未空 「おはようございます(←声になっていない)。えっ、ハイ???」
Mr.X 「ココロのお休み処はもうやっているんですか?」
未空 「はい。ええ、大丈夫なんですが。あの~失礼ですけれども、どちら様ですか?」
Mr.X 「えっ、わからない? ホントに?」
未空 「だって、わからないですよ」
Mr.X 「・・・・・未空って呼んでるのに? キミはわからないんだ」
未空 「もしかして、Mr.Xですか?」
Mr.X 「そうだよ。世界でキミを・・・・・未空と呼ぶのは僕ぐらいでしょ(笑)」
未空 「ですよね。ようやくわかりました」
Mr.X 「Mailをもらったんだけど」
未空 「あぁ、その件ですね」
Mr.X 「伝えてなかったっけ?」
未空 「えぇ、ちゃんとは聞いてなかったので、どうすればいいのかなと思って」
Mr.X 「大丈夫?」
未空 「すみません。喉頭炎で声が出ないんです」
Mr.X 「ココロのお休み処で休んだら?」
未空 「空庵は肉体のお休み処ではないので」
Mr.X 「そうなの」
未空 「かなり苦しんでるんですよ。参ってます」
Mr.X 「あっ、ちょっと待っててくれる?」
未空 「はい、どうぞ」

意外や意外、ミスターXだったとは!?  だがこの電話で話している時、なぜか突
然「産土(うぶすな)」という文字が浮かんできた。How come? ミスターXと産土に
因果関係はないんだが。でも、なぜか気になるなぁ。うーむ、これは行けって事か。

氏神様は隣町なのでよく行っているが、産土神社は最近ご無沙汰してるしなぁ。声は
出ないが、熱があったり関節が痛いワケではない。私の直感はいつも正しいので、
よし、パッと行って帰って来よう。

私は台東区谷中の寺町に生まれた。木造長屋に駄菓子屋、お線香の匂いと木魚の音etc.
これが私の幼児体験だ。卒園した幼稚園の前を渡り、七面山に向かう。白いブラウス
に黒いスカートのおばさん達が徒党を組んでやって来た。どこか痴呆・・・じゃなく
って(笑)、地方の講といった風情だが、何か行事でもあるのか。

しばらく境内で休んでいると、ふとある重大な事に気がついてしまった。ま、まさか・・・
でも、やっぱそうだよね。そ、そんなバナナぁぁぁ~~~(号泣)
20060612

喉頭炎

2006 年 6 月 11 日

夜、寝る前になって咳払いが多くなっていた。うーん、どっか喉がイガラっぽい。
コーヒーの飲み過ぎかなと思いつつ眠る。翌朝、突然声が出なくなっていた(泣)。
えーっ、ウソでしょ。喉も痛い。うがいをしてみたものの、全然ダメ。参ったぁぁぁ!

未空母が市販の薬を買って来てくれて飲んでいたのだが、一向に良くなるどこ
ろかヒドくなってきた。ヤバい。週末は仕事が重なっているじゃないか。とにかく
このままではどーにもならないので、未空父の主治医に診てもらう事にした。

私が卒業した小学校の前で開業しているS先生は、とても穏やかで優しい先生
と評判で、予防接種などの行事の際は必ず呼ばれていたっけ。すっかりおじー
ちゃんになっていたが、まだまだ現役。医者も定年がない仕事だよなぁ。

近くの総合病院でも行こうものなら、半日は潰されてしまう。S先生の医院は
患者が3人ぐらいで、待合室に置いてあった婦人画報をペラペラめくりながら
順番を待つ。とっておきの温泉宿か。うーむ、ほれぼれするくらいセンスも
良くゴージャス極まりないが、さすが料金もほぇぇぇぇぇ~だわ(笑)。

本屋でバイトをしていた時、品出しの朝に最も嫌われていたのが、このテの
おばさん雑誌! おばさんは重い荷物が苦手になっていくはずなのに、なぜ
か雑誌は逆行している不思議現象。おばさん雑誌はどれも重いのは何故か?

加齢と共に重量が増していくので、No Problemなのか(笑)。あとPC雑誌も
嫌いだったね。大抵CDが付いてるから、ホントに重いのなんのって(泣)。

いよいよ名前を呼ばれ、診察室に入る。「どうしましたか?」とS先生に聞か
れても、声にならない。ようやく搾り出すように声を出すが、森進一入って
ます(笑)。服はめくるだけで、胸と背中に聴診器を当てられたが、やはり
ドキドキする。♪く~る~きっとくる~きっとくる~(笑)。

喉の奥にライトを当てながら、「風邪なんだけど、喉頭に直接菌が入ると、
突然声だけが出なくなるんだよね。喉頭炎っていうんだけど、お薬を出し
ますので、それで治りますよ。できるだけしゃべらないようにしてね」と
言われた。それは困るんだが、それが一番の養生法のようだ。

そのまま商店街に出て、薬局に向かう。薬剤師のおばさんが「あら、声が
出ないんでしょ。昨日、あなたと同じ症状の人が来たわよ。S先生にはし
ゃべらないようにって言われたでしょ」と聞かれても、声が出ないので首
をブンブンと縦に振るだけ。つ、ツラい・・・

ボルタレン錠25mg、ムコダイン錠500mg、トランサミン錠250mgを1日3回、
毎食後服用。3日分くれたが、ホントにこれで治るんだろうか。季節外れ
のインフルエンザが流行ってるらしいし。マジで咳が苦しくなってきた。
熱はないようだが、ムリは禁物だ。健康に勝る宝なし! 猛省・・・
20060611

リニューアル「助庵(Councel)」!

2006 年 6 月 10 日

ココロのお休み処“空庵”のカウンセリング・ページである「助庵(Councel)」の
メニューをリニューアルした。
http://www.risoweb.com/coo-an/counsel.html

色々と考えた結果、Mailカウンセリングを終了し、出張占術カウンセリングのみ
にさせて頂いた事をご了承願いたい。Mailカウンセリングをご利用頂いた方、
今までどうもありがとうございました!

「助庵(Councel)」リニューアルの一番大きな特徴は、通常のカウンセリングに
加え、占術やキネシオロジー(筋肉反射による検査法)等を取り入れた事だ。

まず、カウンセリングと占術の大きな違いは、カウンセリングはクライアントから
「答え」を引き出すという事であり、占術はクライアントに「答え」を提供すると
いう点だと思う。でも、私がいつも思うのは、アラン・コーエンの名著でも知ら
れる「人生の答えはいつも私の中にある(I Had It All The Time)」、これこそ
が真実だと感じている。

だが、アタマではわかっていても、現実問題となるとなかなかそう思えない事
が人生には多い。人が辛く苦しくなった時、この状態が一体いつまで続くのか
という事が、一番知りたくなる。少なくとも私はそうだった・・・

どん底のどん底にいる時は、苦しみの原因追求より、何よりこれからの希望が
ほしい。ほんの微かな光りでもいい。とにかく追い詰められていた私は、空庵
の立ち上げ当時からのコンセプト、「今よりラクになる」事だけを考えていた
と思う。

ハッキリした日付とまではいかなくとも、「これぐらいからだんだん抜けて
きて、楽になるよ」と言われるだけで、どれだけ救われた事か(号泣)。

これを生年月日から判断する命術(めいじゅつ:九星気学や四柱推命など)や、
事柄の成り行きを見るト術(ぼくじゅつ:断易やタロットカードなど)を駆使し、
多角的に診る事ができるのは、占術の強みだ。だからこそ数千年もの風雨
に耐え、脈々と受け継がれているのだろう。

クライアントが生まれもった特質は何か? 今どういう状態で、どんな運気の
中にいるのか?etc. そこから紐解くいくつかの道筋が現れてくる。占術は
心の突破口を開く、時に有効な手段の一つではないだろうか。

そして私は、クライアントの大きな人生の転機にお会いする事が多い。

カール・ロジャースの提唱する来談者中心療法(カウンセリング)はもちろん
の事、四柱推命、断易、タロットカードetc. 占術で使えるものを様々に駆使
しながら、全身全霊を込めて、目の前のクライアントと向き合う。

心身共に「今よりラクになる」方法を一緒に模索していく。ゴールめがけて
シュートするのは、常にクライアント本人だ。私は黒子に徹し、クライアント
のアシストをするだけ。それが、ココロのお休み処“空庵”の根幹であり、
未空独自のやり方だと思っている。

素朴な疑問や質問、お問い合わせは、どんな小さな事でも大歓迎なので、
是非Mailを頂きたい。宛て先はこちらまで→ miku@risoweb.com

出張占術カウンセリングによって、新たなるクライアントとの出会いが始まる。

日々、一期一会。これからも末長く未空&空庵をよろしくお願い申し上げます。
20060610
♪飯田橋にある縁結びで有名な東京大神宮では、文金高島田のお嫁さんと遭遇する。その後、神楽坂にある毘沙門天・善国寺に行く途中、車中のウェディングドレスのお嫁さんを発見。先週は、友人のパフォーマー☆たんたんの結婚式と花嫁づいている私。どのカップルも幸せになあれ。それにしても、五十番の肉まんはおいしかったなぁ。

トランスパーソナル心理学

2006 年 6 月 9 日

日本にトランスパーソナル学会というのがある。会長は諸富祥彦(もろとみよしひこ)氏。
彼は1963年福岡県生まれ。筑波大学卒業後、同大学院博士課程終了。日本トラ
ンスパーソナル学会会長や悩める教師の会代表等も務める。明治大学文学部
助教授、自称「時代と闘うカウンセラー」だ。

トランスパーソナル学会の役員構成を見ると、「瞑想ファシリテーター」や「境界な
きチームヒーリングを目指して代表」、心理占星術研究家の鏡リュウジ氏もいる。

音楽評論家の湯川れい子氏や宗教哲学者の鎌田東二氏(以前、彼の「古事記
と日本書紀を読む」という講座に参加したのだが、最後に自らギターを弾いて、
ワケのわからん歌を歌い始めたので、そそくさと退散したのを覚えている(笑))、
マハーサマーディ研究会代表の天外伺朗氏。

彼は未空風呂の2005.10.2「ホロトロピック」、2005.10.3「Maha Samadhi」
でも取り上げている。その他にも立正大学教授や「東京賢治の学校主宰」など、
その分野もメンバーも本当に幅広く、多岐に渡っているので驚いた。

一般的に占星術や瞑想、ヒーリングなどと聞くと、神秘に満ちて・・・というより、
どこか胡散臭く感じるのは否めない。だから、「トランスパーソナル心理学は
再現性に乏しい上に、宗教との違いが解りにくく、そのため宗教や神秘学
そのものであるとの批判が強い」というのも頷ける気がする。うーん。

だが、しかしだよ。本当にそうなんだろうか?

恩師K先生は、「トランスパーソナル心理学は、個人としての自分(personal)
を超える(trans)繋がり、家族や周囲の人々との繋がり、過去の人々や将来
の世代との繋がり、人間と大自然の生き物との繋がり、そして自己の意識を
超えた深層意識や宇宙意識との繋がりを重視する心理学である。

これらは東洋の哲学や宗教が扱ってきた事だが、この心理学は正面から向き
合おうとする」と述べていらっしゃる。

私が目指す世界は、まさにこのパーソナル心理学にこそ共感できる。というか、
そのものだ! だから、恩師K先生の切り抜きをずっと取っていたんだろう。

ココロのお休み処“空庵”では、まず第一にクライアントの方が、「今よりラクに
なる」ことを最優先に考え、様々な手法を取り入れていきたいと考えている。
20060609
♪結婚式シリーズ 新婦の恩師である山田光洋(こうよう)氏によるパフォーマンス。国内外で活躍している方だそうで、見る人達をあっちゅー間にグイグイ引き寄せていた。さすがはプロ、お見事でした!

全人カウンセラー

2006 年 6 月 8 日

私がT学院で心理療法を学んでいた時、恩師K先生は生徒向けに発行されてい
る学内誌のコラムを担当していた。私が心惹かれた記事は、今でも大切に取って
ある。その中で「最近、注目されている新しい心理学がある。心と体だけでなく、
スピリチュアル(霊的側面)の次元まで包括し、真の意味での全人的存在を扱う
もので、トランスパーソナル心理学という」。

今はかなり有名になったが、当時は余り知られていなかったのでは? K先生
の肩書きは全人カウンセラー。「そんな風に名乗っているのは、おそらく日本で
私ぐらいなもんでしょう」と笑っていたが、最初からそんな呼び方をしていた訳
ではない。キャリアを積み、試行錯誤を繰り返しながら、日々セッションを重ね、
最後に辿り着いた先が、この全人カウンセラーだ。あ~、私の道のりは遠いなぁ。

最後の授業で初めてこの肩書きを聞いた時は、尊敬と憧れの眼差しでK先生
を見つめていたものだ。K先生のコラムは、「トランスパーソナル心理学は全人
的であるだけでなく、宇宙的で包括的な人間理解をして、現代人の生き方を
変革する期待が持てる」と結ばれていた。ますます興味をもった私は、「トラ
ンスパーソナル心理学」を調べてみる事にした。

フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」によれば、

トランスパーソナル心理学とは、人間性心理学における自己超越の概念を更に
発展させたとされる。人間の究極的な目的とは、自己を越えた何ものかに統合
されると考え、そのための精神統合の手法を開発した。

臨床では一定の効果が認められるが、「自己を超えた何ものか」という時点で
既に他者には確認不能であり、再現性に乏しい上に宗教との違いが解りにくく、
そのため宗教や神秘学そのものであるとの批判が強い。

支持者からは、トランスパーソナルな視点を取り入れた臨床心理士も存在する
点において、単なる思想とは一線を画したものであるとされる。現時点では、
人間は万物を語り尽せない事も確かであり、また人間の認知能力には限界が
ある事から、再現可能性、実験再現性、再観測可能性や、臨床試験を中心に
据えた研究発表は非常に少ないが、控えめに捉えれば、発展途上の心理学
の分野であるといえる。

代表的な心理学者としては、イタリア人でフロイトの弟子の1人、サイコシン
セシス(精神統合)のロベルト・アサジオリ、人間性心理学でも知られるアブ
ラハム・マズロー、ホロトロピックブリージングのスタニスラフ・グロフ、古今
東西広大な領域の理論的統合を試みるケン・ウィルバー等が上げられる。
20060608

おっちゃん

2006 年 6 月 7 日

未空 「まだ写真見せてなかったけ?」
友人 「見てなーい」
未空 「この人だよ」

友人 「うわっ、おっちゃんだよ。おっちゃーーーん! 似てなーい?」

といっても、私の彼氏の写真を見せたワケではない(笑)。そっか、
おっちゃんか。彼女がウケていたおっちゃんとは、イエスの箱舟で
一躍有名になった千石イエスの事だ。

今から20年くらい前だろうか、イエスの箱舟事件というのがあった。
聖書を勉強するという同じ意思を持った独身女性達と、千石イエス
と呼ばれていた千石剛賢との共同生活がスキャンダラスな話題と
なり、たけしが主演して映画にもなった。

確かに千石氏は、信者の女性から「おっちゃん」と呼ばれ親しまれ
ていたが・・・ 友人は千石氏の顔を知っている訳ではなく、ただ
雰囲気やイメージなどがそう髣髴させたのだろうが、私はあまりの
意外な回答に、時間差で笑いが止まらなかった。間違っても関係者
の間では、写真の彼の事を「おっちゃん」と呼ぶ人はいないからだ。

昔、未空弟2号がある写真を見て、「このオッサン誰?」と言うので、
「○×△□の教祖だよ」と答えると、「えっ、マジで? ウソだろ。
どっかの土建屋のオヤジかと思ったよ」と驚いていた。また、頭が
象の姿をしたヒンドゥー教のガネーシャ神を見た友人は、「キモっ」
という超短い感想を残し、即退散(笑)。

感想はあくまで個人的見解であり、そこにいい悪い、正しい間違っ
てるはない。もちろん私は、未だかつてどの宗教団体にも属した
事はないし、写真の彼を個人的に崇拝しているワケでもない。

ただ、関係者の中にばかりいると、知らぬ間に感覚が麻痺している
事がある。写真の彼は単なるおっちゃんだし、○×△□の教祖は、
どっかの土建屋のオヤジだし、ガネーシャ神は、キモっ→即退散
だし(笑)。自分が関係者になればなるほど、外部の目線がとても
重要になってくる。そのバランス感覚が大事なのだ。

友人 「おっちゃんっていくつ?」
未空 「・・・歳ぐらいかな」
友人 「ふーん。老けてない?」
未空 「おっちゃんだから」
友人 「だよねぇ(笑)」
20060607

 

666

2006 年 6 月 6 日

ふと気づいたら今日は06年6月6日、千年に一度の666だ。こんなBigな商機
を映画会社が逃すはずもなく、1976年に公開されたホラー映画「オーメン」
のリメイクが全世界同時公開となった。

今回「オーメン」のポスターやオンライン広告などに描かれている主人公の
少年ダミアンが姿を消すという。この趣向は6月6日を境に、“ダミアンが
実際にこの世に誕生した”という事を表現するもので、ダミアンの描かれて
いた場所が赤い空白になり、「悪魔の子は世界に解き放たれた」というコピ
ーが残される。今、何かとお騒がせの六ヒルでは、「ダミアンお誕生日会」
と称した、“6”にこだわったイベントも開かれるらしい。

「オーメン」のストーリーは、6月6日6時に生まれた駐英大使ロバート(グレ
ゴリー・ペック)の子供は死産だった。妻を悲しませたくなかったロバートは、
同時刻に生まれた孤児を養子にする事にした。しばらくは幸せな日々が続い
たが、ダミアンの周囲で怪事件が次々と発生するようになる。そんなある日、
ロバートの元に神父が現れ、ダミアンにまつわる秘密を告げる。

だが、悪魔の子として生まれたダミアンは、自分の正体を知らないまま成
長した。ある日、ふと自分の旋毛(つむじ)に描かれた666の痣(あざ)を発
見し「なぜ? なぜ、僕なんだーっ?」と自分の宿命を知り、愕然とする。

この映画が流行った時、同じクラスの男の子が自分の旋毛をこわごわと確
認して、「666はなかったよ~」とホッとした表情を浮かべていたり、たまたま
6月6日に生まれた男の子は、何かにつけ皆に「ダ~ミア~ン、あ~くま~」
と呼ばれてたっけ(笑)。

それではなぜ、666が「悪魔の数字」なのか?

この設定は、新約聖書「ヨハネの黙示録」の「第13章第18節」にあるそうで、
すなわち「思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。それは人間の名を指す
数字である。その数字とは666である」と。

第2次世界大戦のナチス・ドイツの総統であったヒットラーも、この悪魔の
数字を持つ者であったらしい。「HITLER」という名前を、Aの文字に100を
当て、Bを101として数えていくと、この「HITLER」という名前は、「107、
108、119、111、104、117」となり、全てを足すと666になる。ふーん。

ヒットラー以外にも、古代ローマ帝国の暴君ネロや、神秘学者アレスタ・
クロウリーなども、666の数字を持つ者だといわれているそうで、モ~
ここまでくると何でもアリだな(笑)
20060606
♪秋田シリーズ 聖体奉仕会・小羊の苑の「十字架の道行」を抜けると、その先に小さな礼拝所がある。イエスの手の平に杭が打たれている絵画や像が多いが、それでは体重が支え切れないので、実際は手首に杭を打ったそうだ。

起きちゃった事はしょうがない

2006 年 6 月 5 日

「人は、傷つけられた時もそうだけれど、
 傷つけてしまった時は、なおさら辛い」

その事に気づいたのは、
高校の時に、私が言った不用意な一言で友人の表情が変わり、
それから2人の仲がぎくしゃくしてしまった時でした。

傷つけたはずなのに、自分の胸の方がもっと痛い。

それを学習した私は、それから「人を傷つける」という事を
できるだけしないよう、気をつけるようになりました。

けれど、注意をしていても、無自覚だったり、相手の感じ方によって、
「傷つける」という事態を引き起こし、じくじくと胸を痛める事はありました。

起こった出来事を責め、不用意な自分を責め、相手を責め・・・
思考は回り続け、痛みは長引きました。

そんな私が変わったのは、

「物事が起きるのは必然だから」

という考え方に共鳴するようになったからです。

物事が起きるのは、それがどんなに耐えがたく辛い事でも、
当人や、関わる人が経験するのが必要だから。
だから、避ける事はできないし、
本当に必要なかったら、そもそも起きる前に「止められて」
いたはずだから、起こらない。

そう考えるようになったのです。

言っちゃった言葉は、回収できないのです。

でも、言ってしまったという事は、
それで相手が傷ついても、自分がもっと傷ついても、
それが相手にも自分にも必要な気づきだったのだ、と
いわば開き直ったんですね(笑)。

そうしたら、どうなったかというと・・・

とても楽になったのです。

今まで、そういう事が起こると、
「どうしてこんな事が」と過去に思いをはせ、
自分を責め、そういう事をしでかす原因となった相手を責め、
起こった事を責め・・・としていたのですが、

「しょうがない。そういう事もあるよね」

と思えるようになったのです。
そして、誰かが私に対して困った事をした時や、
誰かがトラブルを起こして、悩んでいる時も同じように
考えられるようになりました。

起きる事は全て、起こるべくして起きている。
だから、しょうがないんです。
バリ人の義兄が言うには、「すでに、神様の帳面に書いてある」のです。

だから、
「起きちゃった事はしょうがない。
 これからどうすればいいか、考えよう」

必然だから起きたのだから、後はなるようになるのです。

その時、自分の持っているエネルギーを、
「責め」や「後悔」の方に向けて、うじうじするか、
「状況打開」の方に向けて、精一杯やるか。
それだけなんですね。

以前は、うじうじ考える方に使っていました。
でも今は、「ハラをくくる」という事を覚えたので、
精一杯動く方にエネルギーを向けるようになったのです。

神様が、私を憎んでいるはずがない。
耐えがたい事でも、それを私が経験して乗り越えて
一歩進化するために、あえて起こしてくれているんだ。

そう信じているので、委ねる事ができるのです。

私は手を広げて、慈愛に満ちたまなざしで私を抱擁する
「神様」という存在を、この目で見た事はありません。

けれど、自分に起こった事を考えると、
「神の見えざる手」というのが、全ての事に張り巡らされていて、
このちっぽけな私にも届いているのだと感じる事ができるのです。

だから、「信じて、委ねる」事ができます。

そして、「信じて、委ねる事」をどうしてもできない人にも、
その手は届いていると思う事ができるのです。

まだまだ、日常で胸がチクチクする事は起こります。
ガーンΣ(゜□゜lll) という事だって起こります。

でも、
「起きちゃった事はしょうがない。
 これからどうすればいいか、考えよう」

そういう気持ちでいると、
自分も成長し、見えざる力の応援ももらえ、
思いがけなくスムーズに、状況が打開したりもするのです。

「全ての事は、自分に起因して、自分のために起こっている」
自分が、望む自分になるために・・・

私はそう思います!

/恒吉 彩矢子
20060605

香代子&大剛Wedding in 東京・セレス高田馬場

2006 年 6 月 4 日

♪クラウン☆たんたんコト香代子&大剛様
ご結婚おめでとうございます♪

セレス高田馬場のスタッフの見事な段取りと心温まる
おもてなし、本格的なフレンチのお食事、余興etc.
全てがお見事!の一言に尽きます。

古いヨーロッパの教会を思わせるチャペルでのお式は、
とても神聖な気持ちになれました。披露宴は出た事
があるけれど、お式に出たのは生まれて初めてだった
ので、感激もひとしおでした。

さすがクラウン☆たんたんらしく、参加者全員にピエロ
の赤い鼻が配られ、カメラマンや神父さんも付けてた
よね。こういうアイデアは最高! 私もしっかり付けて
祝福の花びらと羽をまいてました。みんなHappyだね。

新婦のお色直しのドレスの色を当てるクイズでは、
見事に直感が働いて、スカイブルーで大当たり!

その上、抽選で最後の最後にプレゼントをGetした私は、
それはそれはうれしくて、もう超シアワセ者でしたよ~♪

テーブルの上に置いてある私のネームカードを開くと、
「いつも私に元気(勇気)を与えてくれて、ありがとう
です。受付も本当にありがとうです」と手書きの文字。

一人一人に心をこめて書いたんだね。こういう準備の
ために、何日も徹夜したんだもんね。ちゃんと伝わって
くるよ。こちらこそ、どうもでありがとう! 受付をした
のも初めてだったので、お役に立ててうれしいです。

両親への手紙を読んだ時、感極まって読めなくなった
新婦の姿に、思わず私も・・・うるうるうるうる。結婚式で
涙が出たのは、今回が初めてです。自然にこぼれた・・・

その後は優しい旦那様がフォローしてくれて、それは
それは素晴らしい連携プレーを見せてくれました。
頼もしいステキなパートナーですよ。

たんたんと大剛さんが出会ったのは、ピエロの学校で、
たんたんの第一印象は「変な人」。大剛さんのプロポ
ーズの言葉は、「たんたんと結婚するには、どうすれ
ばいいのかな?」だったそうですね。

2人とも子供好きだそうで、お似合いのカップルだと
思います。いつまでもラブラブでお幸せにね。

あっ、そうだ。新宿で行われた2次会のビンゴゲームで、
珍しく私が1番に上がったと思ったら、商品が萌え~♪
のメイドカフェ・コスプレセットでした。エプロンに白いネコ
耳付き。フッフッフッ。いつか使わせて頂きますっ(笑)。

最後にもう一度、心からCongratulations!
20060604

レメディー

2006 年 6 月 3 日

ホメオパシーでは、「超微量の法則」に基づき、植物や鉱物などを高度
に希釈した液体を、小さな砂糖の玉に染み込ませる。この砂糖の玉を
レメディーという。

ホメオパシーで用いられているレメディーは、通常、原物質の分子を1つ
も含まないほど薄められているので、赤ちゃんや妊婦さんでも安心して
使う事ができるそうな。

だが私はこのところ、レメディーを飲み忘れている。というより、なか
なか飲めなくなっているといった方が正しい。というのも注意点に、レメ
ディー服用中はなるべく、コーヒーやミントの摂取は避け、歯磨きなど
で避けられない場合は、レメディー服用まで20分ほど間を開けて下さい
とあるからだ。

私はコーヒー中毒に近いので、自宅で仕事をしている時は、ほとんどコー
ヒーを飲み続けている。なので、いつまでたってもレメディーが飲めない。

レメディーを摂り続ける期間中は、できるだけコーヒーを飲まないよう
にした方が賢明だそうで、それはき、キツすぎる。でも、コーヒーは
レメディーの作用を消してしまう場合もあるそうだ。うーむうーむ・・・

また、電磁波の強いPCやTV、冷蔵庫の近くに置いてもいけないと
いう。レメディーを処方された際、バッグの中に携帯も入っていたので、
応急処置としてアルミホイルを巻いてくれた。

レメディーを摂る本人以外は、レメディーに触れないようにとある。
多少指が触れただけでも、触れた人のエネルギーがレメディー
に入ってしまうとか。それだけ繊細なんだよね。

今回のレメディー服用期間は12日間。そんなに長い間、コーヒー断飲
(←って言葉があるかどーか知らないけど(笑))なんて絶対にムリだ!

ってなワケで、コーヒーもレメディーもイイ・加減に飲んでいこう。
20060603
♪私が生まれたのは土曜日。この花びらには、とても重要な意味がある。日々、自分のDharma(本分:サンスクリット語)を果たしながら、1年後の変化を楽しみに待っていよう。今、私にできるのはそれだけだ。

ほうれんそう

2006 年 6 月 2 日

上司が部下に対して、あるいは新人研修などで「社内の“ほうれんそう”
を徹底する」といった話をする。ほうれんそうとは、「報告・連絡・相談」の
頭文字を取ったものだ。

先月から私は、一般企業、非営利団体、個人を含め、先方の事務処理に
対する不信感を募らせている。これは友人の会社でもシンクロしていて、
お互い嘆きのMailを送り、最後は人のフリ見てだねという結果で終わる。

例えば大事なMailを送っても確認の返信がなかったり、社内のA部署のスタ
ッフに断りを入れた件が、B部署のスタッフには知らされておらず、トンチン
カンな書類が届いたりetc. 

同じ会社でありながら、連携が全くないのだ。つまり、横の繋がりがない。ある
会社に振り込みをしたが、いつまでたっても書類が届かない事を不審に思って、
電話をしたところ、金額は確認できているが、申し込みのMailが見つからない
という。まずこの時点で、不自然に思わないのか。そして、そのまま放置プレイ。

では、こちらから連絡しなかったら、永久にほっぽっとくつもりだったのか(怒)。
決して安い金額ではない! なぜ早急に調べようとしないのか。あまりに鈍感
ではないか。後で聞いた話では、主力で働いていた優秀な女性スタッフが2名
とも辞めていたという。

事務は会社の顔、核といっても過言ではない。どんなに素晴らしいものを扱
っていても、その会社の事務処理がいい加減であれば、一気に信用を失う。

事務スタッフには向き不向きがあり、有能な“人財(←材ではない)”は、
会社の宝だと思う。決して軽んじられる仕事ではない。事務社員をもっと
大事に扱ってほしい。伝わるべきものが伝わらなくなるんだよ。まさに、
どの会社もスタッフの“ほうれんそう”意識が問われているのだ。

今も私はある団体に確認のMailを送ったばかり。振り込んだのは2週間以上前。
何だか胸騒ぎがしてチェックしたところ、予感は見事に的中していた。ホ~ン
トにどうなっているのやら。♪あぁ~わかってくれとは言わないが~そんなに
オレが悪いのか~、トホホなため息をついている。
20060602
♪青森シリーズ こんなどデカい太鼓を見たら、モー叩くっきゃない。

ホメオパシー

2006 年 6 月 1 日

ホメオパシー療法をされている方から、Mailを頂いた。

“キネシオロジー、私もO(オー)リングテストみたいだなって思いました。
やはり人間は経験して学ぶのですねぇ。なんてまた口ばっかりになら
ないようにしよっと。空庵、ちょこちょこのぞいてます。楽しませてもらって
ます。・・・からは早いと聞いた事があり、やっぱり早い!と思いつつ、
日々楽しんでいこうと思いました”

いつもどうもありがとうございます。先月Birthdayを迎えられたんですよね。
遅ればせながら、お誕生日おめでとうございます♪

私がレメディーを受け取る際、ホメオパシーについて書かれたプリントを
もらった。それによれば、ホメオパシーとは今から200年前、ドイツの医師
ハーネマンがその生涯を賭けて確立した療法で、その起源は古代ギリ
シャのヒポクラテスまで遡る事ができるという。

ホメオパシーは「同種療法」、または「類似療法」と訳されている通り、
「症状を起こすものは、その症状を取り去るものになる」という「同種
の法則」が根本原則になっている。ハーネマンはこの「同種の法則」に、
症状を起こすものに非常に薄めて使う事により、体に悪影響を与える
事なく、症状だけを取っていくものとなるという「超微量の法則」を打ち
建て、安全で体に優しく、常習性を持たないホメオパシー療法を完成
させた。

ホメオパシーでは症状を抑圧するのではなく、自ら症状を出し切れるよう
に後押しする。そうして初めて、心身共に健康になると考える。私達の心
や細胞が抱える不自然なパターンを解放し、体の芯から健康を取り戻す
事のできる自然療法、それがホメオパシー、だそうな。

世の中にはどんどん新しい治療法が紹介され、私も好奇心全開! 楽し
みながら情報収集している。キネシオロジーに興味を持つ方で、必要な
方には資料を送らせて頂いた。

万人に効く治療法や健康食品、これさえ食べていれば病気にならない魔
法の食材はない。常に立ち返るは「肉のお宮」、つまり自分の体である。

キネシオロジーでは、私の食べ物の食べ合わせに問題があると出た。
処方されたレメディーを1日4回、4滴ずつ舌下に垂らしながら、「体の中
の声を聴く」重要性をひしひしと感じている。
20060601
♪青森シリーズ 小さなねぶたには扇形もあるんだね。セクハラおやじに嫌がるお姫様の図。鬼が横山ノックに見えるのは私だけ(笑)?

人生航路③

2006 年 5 月 31 日

~楽しい思い出~
足尾の黄金時代を通ってきましたから色々ありますが、強い印象としては坑内に入ると、
坑道が金屏風であった事などです。
楽しい思い出としては、その頃選鉱の人達と新梨子堆積場でツグミを買って来て、
たき火を囲んで飲んだ事などが忘れられません。
それから従業員慰安旅行、全山運動会など。
しかし私としては、何といっても機械を取り付けて、自分の思ったような成績の
上がった事が一番楽しく、これは亜鉛工場を建設した時でした。
私も若い頃はなかなか元気で、通洞合宿にいる頃などは、よく中才合宿にストームしました。
仲間の1人が、中才合宿の廊下に糞をお土産に残して来た事などの愉快な思い出もあります。
この頃のストームは荒っぽくて、冬、寝床の中に氷柱などを入れたりしました。
趣味は写真、登山、スポーツです。
写真は昭和16年頃まで盛んにやりました。
昔、写真会で入選した写真を今も持っています。
座敷に掲げてありました。
登山は富士、浅間などへ登りました。
スポーツではテニスをやりました。
それからこれでも若い頃は、陸上200メートルの選手だったのです。

~選鉱の皆さんに~
私の若い頃は、選鉱の機械を自分で考えて作ってやろうと色々勉強もし、研究もしましたが、
今の若い人はそんな意欲がなく、輸入機械に頼りすぎます。
最も何でも決定すると、急いで完成させなければならない事が多く、基礎的な試験も研究も
充分する事ができず、自信のある結論を出せずに実施するのだから、輸入機械に頼ったり、
模倣になりがちなんでしょうが。
昔の選鉱場には、秘密の所が多くありました。
これは独特なものを持っていたからです。
今は開放的です。
若い人は大いに勉強して下さい。
これからの技術者は、経済的観念がなければダメです。
この意味で、原価管理や保安は重要です。
もちろん技術の向上は根本ですが。
今まで色々やかましい事を言いましたが、よく協力してくれた事を感謝しています。
しかし、自溶製錬の完成を見ずして、去る事が心残りです。
20060531
♪青森シリーズ ねぶた館は想像以上に迫力があり、こ~んな仏陀を発見。完成したお姿を見たいモンです。

人生航路②

2006 年 5 月 30 日

~河鹿(かじか)の全盛時代~
私が足尾に就職したのは、大正6年7月で最初通洞選鉱場に入り、大正7年2月に本山選鉱場
に転じました。
当時は本山、通洞、小滝の3ヶ所に選鉱場があり、本山選鉱場が一番大きく最新式だったのです。
現在の誠之館は、建屋が当時の本山選鉱場の建屋です。
大正9年に小滝選鉱場が、大正10年に本山選鉱場が閉鎖され、通洞選鉱場に統合されました。
その頃の栃木県足尾は河鹿の全盛時代で、選鉱という仕事はあまり重要視されなかったのです。
何しろ坑内から出る鉱石は、一番粗鉱(選鉱場に行かず、直接精錬所に行く高品位の物)が
8割ぐらい、二番粗鉱(選鉱場を通る物)が2割くらいだったんですから。
私達、選鉱場で働く者も選鉱場という所は、連続操業するものでないと思っていたくらいです。
もちろん、一方操業です。
今から見ると、うらやましいほどの鉱況でした。

~苦しかった新工場建設時代~
昭和9年頃まで、旧い機械で色々系統を変えたりして、研究しながらきましたが、機械がガタ
ガタになったので、昭和9年、現在の選鉱場の建設が開始され、昭和10年に完成しました。
私はこの新工場建設には関係せず、もっぱら旧工場で鉱石の処理に当たっていました。
この頃が一番苦しかった時代で、昼飯を昼飯時間に食べる事ができず、退社時間になって
も家に帰る事もできませんでした。
この当時には、選鉱の職員が殉職した事があったほどです。
ですから当時、若い人達がどんどん退職しました。
現在の職長さん達は、この苦しい時期を乗り越えてきた人達です。
新工場ができて、私はその機械の配置を受け持ち、操業しながら研究改善をしてきました。
そうして間もなく支那事変、第2次世界大戦に突入し、処理鉱量もだんだん多くなり、
昭和18~19年には、1日3,500トンまでなりました。

~戦争末期伊豆時代~
昭和19年12月、本社に転勤になりました。
これは軍需省の命令で、北支密雲タングステンを選鉱するため、北支に行く事になっていた
のですが、戦争も敗色が濃くなり、空襲も激しく、とうとう行く事ができませんでした。
そこで今度は、東南アジアシンガポールからきていたアルミニウムの原料、ボーキサイトが来な
くなったので、古河は伊豆の仁科のミョウバンから、アルミニウムを採る事を命ぜられ、私達は
河津金山、伊豆蓮台寺温泉近辺を買収し、現場試験をして相当な成績を上げたのです。
仁科に1日処理能力4,000トンの選鉱場を作る事になっていましたが、これも結局終戦で完成
する事ができませんでした。
北支に行っていたら、無事に帰る事ができなかったかもしれません。
昭和20年10月、足尾に帰って来て、再び選鉱で、そうしてもう10年も経ちました。
20060530
 ♪青森シリーズ この名物道路は、この日に初めて開通したそうで、最後まで守られてると実感した。雪の高い壁は、そばで見ると大迫力! ここを通ると通らないでは、旅の印象は大違いだと思う。ホントに有り難いよね。

人生航路①

2006 年 5 月 29 日

未空母方の祖父こと目白のおじいちゃんは現在、生きていれば106歳。
孫の中で女の子は私だけだったので、それはそれは可愛がってくれた。

おじいちゃんは葡萄が大好きで、「未空ちゃんも葡萄が好きだから、
葡萄娘だね」と言いながら、2人で一緒に食べたのを覚えている。

いつかおばあちゃんとのなれそめを聞いたら、ものすごーく照れなが
らも、「ぽっちゃりしてて可愛かったんだよ」とノロけてくれた。美智子
妃の大ファンで、御成婚のパレードも見に行ったらしい。

スケートやバイオリンなど多趣味で好奇心旺盛。晩年は油絵を描いて
いた。孫の中でも特別だった私は、とても気に入ってたマルチーズの
絵をプレゼントされ、今でも机の上に飾っている。銀の額縁も器用だ
ったおじいちゃんの手作り。「未空ちゃんへ」と書かれたこの絵は、
私の生涯の宝物だ。

先週末、未空母が同窓会で、貴重なコピーをもらって来た。日付は1955
年11月、ぬわんと51年前のモノだよ。家族も一度も見た事がないという。
それこそが、おじいちゃんが定年退職した時の社内報だった!

30数年間、ひたすら栃木県足尾の興隆のために働いてきた、おじいち
ゃんの最終肩書きは「選鉱課長」。それにしても55歳のおじいちゃんは、
こーんなにも若々しかったのかと、未空母も私も驚いてしまった。

社内報の「人生航路」というページで、インタビューを受けているのだが、
大正時代に就職し、戦前の苦しい日本を生き抜いた、私の知らない
おじいちゃんの生き様、仕事人生が見えてくる。
20060529

長谷川恵美子ソロ舞踏公演「凍蝶」

2006 年 5 月 28 日

中野富士見町にあるplan Bは、地下にある古い小劇場だ。階段下でチケットを
買い、観客用の待合室で待機する。美老庵・師匠は観劇が趣味で、ほぼ毎週
末行っているようだが、大学時代、演劇をやっていた人なので、きっとこういう
雰囲気は懐かしく感じるんだろう。それにしてもウチの師匠は、舞台ではどん
な役をやってたのかなぁ。なんてったって超濃い~キャラだしぃ(笑)。

昔、中学の後輩が劇団に入っていて、舞台を見に行った事があるが、私は小劇
場にはほとんどなじみがない。plan Bのスケジュールを見ると、ドキュメンタリー
映画、音楽、独舞、喜劇etc. 多彩なパフォーマンスが日夜繰り広げられ、
改めて自己表現の多様性を知る。

今回は音担当で、エレクトリック・ギターの小柳昌博さんという方が友人の友人で、
私にもお誘いがきたのだ。小柳さんの技法は、時としてガムランの楽器や波の音
に聴こえ、ギターとは思えない音色を紡ぎ出す。ギターと真剣に遊んでいるのだ。
ここまでくるには色々な事があったのだろう。音はその人の内面を映し出していく。

長谷川恵美子さんは1923年、熊本県天草生まれ。昨年は「ダンス白州2005」
に参加し、インドネシアのジョグジャカルタでソロ公演を行う。

83歳の長谷川さんは、三上賀代著「器としての身体 土方巽 暗黒舞踏技法へ
のアプローチ」を手にする事を得た今年の3月以来、この出会いによって舞踏
の本質なるものは明瞭になった。長生きして、舞踏を極めたい欲望が新たに
目覚めた。迷いながら、わからないままの舞踏への愛着は間違いなかった。

長い年月の流れの中で、多くの方々の愛と忍耐に支えられて、今なお新た
に舞踏を愛し、命を愛し、日々豊かなる恵みの中で老いを生きる私、と語る。

私の太極拳の流派では、80代の現役師範がたくさんいる。私もそうでありたい。

その時、私は何を愛しているのだろう?
20060528

けっこんしき準備ブログ

2006 年 5 月 27 日

実は、この度・・・って、ワタシじゃないよ(笑)。6/4(日)にパフォーマーの
友人が結婚する。Congratulations♪ 華やかな席は久々だ。私は受付
を担当する事になり、何を着て行くかアタマを悩ませているところである。

とにかく結婚式の準備というのは、とってもとっても大変らしい。そんな
大忙しの彼女から届いたのが、この「けっこんしき準備ブログ」だ。

http://tantan725.cocolog-nifty.com/kekkon/

“最近になって、自分の頭を整理したり、記録したりするために書き始めました。
いざ、結婚式するとなると、自分の知識があまりになさすぎて・・・ 色々ネット
で検索すると、結構先輩達の日記があって。とても参考になったんですよ。でも、
もっと早くに見つけていれば、って事がとても多いです。あと本当にもう少しに
なってしまいました”

ホ~ントあっちゅー間だよね。車内広告などで結婚情報雑誌を見る度、よーく
毎回ネタが尽きないもんだと思っていたが、必要なヒトには必要なのね。何事
も自分を基準にしてはイケナイのだ。

当日、未空さんにはブーケプルズ(←だったと思う)にも参加してほしいと
言われ、それって何?と思っていたら、会場の天井が低いため、ブーケが
高くトスできない。そこで、クジ引きをやるらしい。よーし、参加するから
には、是非Getしたいものだ。

そういえば、一緒にハワイに行った友人の結婚式の時は、花嫁から直接手
渡された記憶があるなぁ。それはそれは、キレイな丸~い蒼いブーケだった。

あれから40年・・・って、違うってば(笑)。えーい、今度こそっ!
20060527

本業

2006 年 5 月 26 日

未空母 「それはね・・・ 前に教えてもらった・・・よ」
未空  「あーっ、あの店ね。そっかそっか」

未空母の胃がもたれないほどのおいしいコーヒーがあったとは!?
私も入った事はあったが、さほどでもなかったような(笑)。あまり
記憶もないので、もう一度入ってみようと思ったが、なぜか機会を
逃していた。

だが、何回か店の前を通る度、どこか変だなぁと思うようになった。
「元々きれいなお店じゃなかったわよ」と未空母は言うが、それだけ
ではなく、店にドシッとした落ち着きがない。どこか乱雑で、心ここ
にあらずといった風情だ。

何より“お客様においしいコーヒーを飲んで頂く”という本業が忘れ
られているような、それもどんどんひどくなっているように感じた。

一体、何があったのか?

そこに最新情報が飛び込んできた。ここのマスターがサイドビジネス
を始めたという。そして最近は、本業より稼ぎが良くなっているらしい。

Bingo! そっか、だからだ。サイドビジネスに心奪われ、すでにコー
ヒー店にあらず。つまり、お金儲けに忙しいのだ。それなら全て納得
できる。コーヒーを飲みに来るお客さんに対して、半分メンドい気も
するんだろう。となれば、店に物が増えて乱雑になっても、雰囲気を
損なっても、さほど気にする必要はない。全てのナゾが解けた気がした。

本業が本業でなくなった時、短期間で得る物に心を奪われ、それま
で培ってきた大切なものを失う事がある。本人は気づいていないし、
気にも止めないんだろう。これこそ悪魔の落とし穴だ(泣)。

もちろん私だって、カンタンにラクしてお金が儲かるサイドビジネス
があると言われれば、ついついココロは動く。実際、熱心に誘われ
た事も一度ではない。

だが、こんな時に限って、自分を忌ましめるかの如く、反ゴーツク
未空がひょっこり現れ、こう問い質(ただ)す。

あなたの本業は何ですか?

何を目指しているんですか?

と・・・

すると、どこからか美老庵・師匠の声がした。

「人と対座する事を自分の仕事と思いなさい」
20060526
♪青森シリーズ 奥入瀬の水は澄んでいて、とても美しい。やはり水のある風景は、どこも豊かだと思う。川面を見つめているだけで、自然と穏やかな気持ちになれた。

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