2006 年 12 月 のアーカイブ

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忍×100

2006 年 12 月 11 日

「お届け物です」と言われ、差出人を見ると美老庵・師匠だった。有り難いなぁ。
わざわざ送ってくれたんだ(泣)。2006年の世相を表す漢字一文字は「命」だっ
たが、私の場合は「忍」×100。オーバーに聞こえるかもしれないが、これが
素直な気持ちだ。

昨年の11月から突然、症状がひどくなったパニック発作。瞑想、心療内科、霊視、
ヒーリング、キネシオロジーetc. 経済的、時間的に許される範囲で色々な方法
を試してきた。産土神社や氏神様、ご縁のある場所に趣き、その都度「どうか
パニック発作が治りますように」と真剣に祈った。医者を始め色々な人に診て
もらい、治療は受けるものの対処療法にすぎず、結局完治には至らなかった。

相変わらず原因不明であり、同時に閉所恐怖症も併発。そのためいつも怯え、
恐怖感に苛まれ、昔の自分を羨み、今の自分を嫌悪するという悪循環。だが、
周りには全く気づかれず、仕事に穴を空ける事もない。だから後で人に話すと、
口を揃えて「全然そんな風に見えなかった。全くわからなかった」と驚かれる。

半年前、真夜中に心臓の動悸が激しくなり、体中のありとあらゆる血液が逆
流するような異常事態に陥った事がある。自分でもどうしたらいいのかわから
ないので、ただ部屋をウロウロしたり、立ったり座ったり、ソワイショウやデュ
ーク更家のストレッチをやったりetc. 少し落ち着くと布団に入る。

だが、すぐに目が開いて眠れない。焦る気持ちがブロックするのか、頓服薬
やレスキューレメディ、睡眠薬も全く効果なし!
20061211

石部金吉

2006 年 12 月 10 日

未空   「最近Kなんて全~然行ってないよぉ。ランチっていくらだっけ?」
未空母  「5000円のコースだと、料理3皿+スープ+メインディッシュ+デザート+コーヒー」
未空   「お肉が超柔らかくておいしいんだよね」
未空母  「そうそう。食器もね、前から欲しかった濃紺に星が散りばめてるアノお皿だったのよ」
未空   「ずっと欲しがってたよね」
未空母  「だってキレイじゃない」
未空   「それでSさんが奢ってくれたの?」
未空母  「奢ってくれたわよ」
未空   「やったね。ラッキーだったじゃん」
未空母  「前回は私が奢ったからでしょ。支払いのタイミングもバッチリだったわよ(笑)」
未空   「デートの勉強したんだろうねぇ(笑)」
未空母  「だって彼は石部金吉だもん」
未空   「ハイ? 今、何て言った?」
未空母  「アラ、知らない?」
未空   「聞いた事なーい。イシベ何とかって誰?」
未空母  「だったら辞書引いてみなさいよ」
未空   「電子辞書貸して。イシベキンキチっと・・・ ホントにあったよ、あった!」
未空母  「そりゃあるわよ」
未空   「石と金と2つの硬いものを並べて、人名めかしたものだってさ」
未空母  「そうね。極めて堅い人、融通のきかない人のコトをそう言うのよ」
未空   「へぇぇぇぇぇ~初めて知った。“石部金吉金兜”ってあるけど」
未空母  「金兜? あら、それは知らないわ」
未空   「物堅い石部金吉に硬い金兜を着せた事で、極端な堅物の意味だってさ」
未空母  「うーん、まさにSさんだわ。ピッタシね」
未空   「カタブツねぇ。私の周りに石部金吉はいないなぁ」
未空父  「俺がいるだろ、俺がっ」
未空母  「はぁぁぁぁぁ~? ありえなーいっ!」
未空   「水部水吉だよぉ(笑)」

20061210
♪「うさぎって水を飲まないんですよね」とよく言われるが、そんな事はありましぇ~ん。専用水飲み器からおいしそうにチューチュー舐めるの図。そんな時のみゅ~ちゃんは、いつもお目目ウットリ状態(笑)

続・Money, Money, Money

2006 年 12 月 9 日

そして、会長の「いかがですか? 悪い話じゃないでしょ。売るなら今ですよ、
今」という刷り込みが、地主の心の奥深くにスーッと染み込んでいく。まるで
催眠術にかかったかの如く、地主はボーッとなり現ナマを見つめる。

こんな大金は自分の人生に2度と入って来ない。
今、この土地を売れば、これが全部自分のものになるんだ。
そうだ、今がチャンスじゃないか。

Hさんは「あともう少しだ。あとちょっとで奴は完璧に落ちる・・・」と思いながら、
黙って現ナマを見つめる。そして、最後には例外なくサインするんだとか。
この“例外なく”というところが、人間の欲を物語っている。

つまり、誰も現ナマの誘惑には敵わないのだ。Hさんは「やっぱ現ナマの魅
力ってスゴいんじゃないの。魔力だよ」としみじみ語っていた。私もそう思う。
懐が温かくなるってホントだもんね(笑)。

私が今まで目の前で見た現ナマの最高額は1千万円。高さは全然大した事
なかったが、稼ぐには大変な金額だ。未空弟1号は銀行員なので、億単位の
お金を見た事があるそうだが、そんな大した事ないよと言っていた。慣れと
は恐ろしい。

当時の会長の愛人は私とさほど年の変わらない人で、それまではお母さんが
愛人だった。つまり、母娘2代で同じ男性の愛人をしているのだ。ウワサでは
お母さんが娘を差し出したというが、男女の関係は色々な憶測が飛ぶ世界で
もある。

娘は歌手志望で、確かCDを出したとか聞いたなぁ。もちろん衣装もレコーディ
ング代も全て会長持ちだ。こういう関係をギブ・アンド・テイクというのだろうか。

「好きな人はいないの?」という私の無知な質問に、「うーん、まぁ。これも
お金のためだから」と半ばあきらめた風に笑っていた。今だったら決してそん
な質問はしなかっただろう。若いって残酷だよね。彼女に対して今でも申し
訳なく思っている。あの母娘は今頃どうしているのだろうか。

人生いろいろ、女もいろいろ。それぞれが幸せであってほしいと心から願う。
20061209
♪ギャラリ カタカタのトイレには、青ガエル君が待っていた。ペーパーを巻き取ると、カタカタと音がするんだよ。こういうのって日本では売ってないよね。なかなかキュートだわ。

Money, Money, Money

2006 年 12 月 8 日

かなり昔の話になるが、常に住所不定のHさんという人がいた。携帯もない
時代、Hさんに連絡を取るのは至難のワザ(笑)。決して若くはないHさん
の私生活はもちろん、職業や家族構成etc. 全てが謎だらけだった。

そんなHさんが関西のある不動産王の運転手をしていた時期がある。その
不動産王はやり手で有名で、皆から“会長”と呼ばれていた。私は会長と
は直接会った事はなかったが、ものスゴいお金持ちという事だけはウワサ
に聞いており、芸能人などのタニマチもしていたらしい。広大な自宅の敷
地には自家用ヘリコプターもあったとか。

バブル全盛期の会長の車には、常に億単位の現ナマが積まれていた。
というのも会長は地上げ屋でもあり、ここぞという土地を見つけると、
専属ドライバー兼にわか秘書でもあるHさんを連れて自宅に乗り込み、
「今この土地を売ると、このお金が全部あなたのものになるんですよ」
と言いながら、地主の目の前で札束を積み上げていったそうな。

最初は「先祖代々の土地だから、絶対に売らない!」と強力に拒んで
いた地主も、札束が次々と積み上げられていくうち、だんだん目の色
が変わってくる。Hさんにはそれが手に取るようにわかったと言う。

そして、次の段階に進むのだ。
20061208
♪デザイナーの友人が初の個展を開いた小田急線・経堂にある「ギャラリ カタカタ」は、内側にも外側にも木がふんだんに使われ、温かな感じのするとてもステキな画廊だった。ちなみにカタカタとは、インドネシア語でカエルの事。

知事

2006 年 12 月 7 日

保険金不払いで支払命令が出ると、記者会見に出てくるのはオヤジ3人組で、
紺のスーツにネクタイ姿。真ん中のオヤジが「申し訳ございませんでした」
と言うと、一斉に立ち上がり、深々と頭を下げる。ほとんど儀式化され、
あれでは意味がないと思う。

官制談合も「天の声はなかった」「一切関わっていない」「私は潔白だ」と
強気でTVに出てきたオヤジが、だんだん口数が少なくなってきて、最後に
は逮捕。チャンチャン。最近、TVでそういったオヤジの姿ばかり目につく
気がするのは私だけだろうか?

知事選挙に勝つためには票をたくさん取らなければならない。選挙は落ち
ればタダの人となるので、何が何でも絶対に勝たねばならない。そこに票
の取りまとめをしてくれる頼もしい“味方”が現れる。味方の必死の応援
のおかげで選挙に勝ち、万歳三唱めでたしめでたし。

だが、問題はここからだ。

今度は一所懸命働いた“味方”から、それなりの見返りを要求される。応援し
てもらった手前、無視するワケにもいかず、ズルズルと持ちつ持たれつ二人
三脚でやっていく→談合→天の声→逮捕の知事がいれば、手切金として何
千万も払う知事がもいる。知事になるまでが大変で、なった後も更に大変で、
そこまでして知事になりたい理由は何? エラいから? ステータス? 
権力が握れるから? 名誉職? お金が儲かるから?etc.

私にはサ~ッパリわかんないや。
20061207
♪コレって何だと思う? ぬわ~んと柚子で、ちゃんと食べられるそうな。それにしてもデカっ! 丸ごとドボンとお風呂に入れて、柚子湯を楽しみたいモンだわ。

味方を作る

2006 年 12 月 6 日

人が人を変える事はできません。

できるのは、「私」が「私」を変える事だけです。

人をどう変えるかではなくて、
自分がニコニコと生き始めると、
共鳴共振という形で
相手が勝手に変わっていく可能性がある。

自分がニコニコと穏やかに、「うれしい」「楽しい」「幸せ」
「愛してる」「大好き」「ありがとう」「ついてる」
と言って、生きていく事ができたら、
その影響力は影光の方が強い。

どんなに暗い人がいても、
自分が周りを明るくする事ができるのです。

人生とは味方を作る日々なのです。

目の前に存在する一人一人に、
「私の力では、とても及ばない状態で生きている。
皆さんのおかげで生きているのです。ありがとう」
と言って頭を下げていくと、
人生はそれだけで勝手に進んで行きます。

お金も仕事も子供も夫も舅も姑も全部味方。

初対面の人まで、
「ありがとう」と言って味方につけていったら、
人生は楽しいだけになります。

力を抜くだけでも充分に楽になれるのですが、
更に毎日意識しながら味方を作っていく。

困った時でも味方がたくさんいます。

宇宙を味方につける方法は、
どんな時も、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句
を言わない事。

これは不幸のように見えるが、
幸福の前半分の現象だ、と思える人を
宇宙さんは気に入るみたいです。

/小林 正観
20061206
♪光が入ると、周りに模様が反射して、何とも言えない空間を創り出す。デザイナーの友人が作る陶器の中でも、やはり私はランプが一番のお気にだ。これからの季節にイイよね。

Coughing

2006 年 12 月 5 日

♪く~る~きっとくる~きっとくる~になる前にとゆー事で、とーとージモティ
のS医院に行って来た。風邪の諸症状はないのだが、とにかく咳が止まらな
いのだ(泣)。これだけはどうにもならない。もう1週間ぐらいになるだろうか。

実は太極拳のS先生とシンクロし、先週は2人で話ながらむせ、むせながら話
すといった状態だった(笑)。思い起こせば、半年ぐらい前にも同じ症状があり、
念のためレントゲンを撮ってもらった。ジモティのS医院は私が小学校時代の
元校医で、まだ現役バリバリでがんばっている。医院も家も建て替え、とても
きれいになった。まだローンが残ってるのかなぁ、って余計なお世話だ(笑)。

大病院と違い、すぐに診察してくれるのが町医者のいいところだよね。待合室
で日頃縁のない雑誌「婦人画報」をめくりながら、あいかわらずコンコンコンコン。
高級懐石料理や皇室の着物特集etc. あまりの分厚さに腱鞘炎になりそうだ(笑)。

艶やかな振袖姿の雅子さんを見ているところで、名前を呼ばれた。S先生に聴診
器を当てられると、小学校の健康診断を思い出す。やはり診断は風邪だが、体内
の音はきれいで、特に緊急の問題はないらしい。この間もそうだったよなぁ。

診察時間は5分くらいで1,010円、その足で薬局に向かう。抗菌薬のクラビット錠と
咳止めのフスコデシロップを3日分処方され、調剤基本料52点、調剤技術料30点、
薬学管理料59点、薬剤料174点、合計315点で950円。こういう計算方法ってよく
わかんないけど、あっという間に2,000円近く吹っ飛んだ。コンだ騒ぎです(笑)
20061205
週末、半年ぶりに自由が丘へ行ったら、セミナー会場の真ん前にオシャレなスポットができててビックリ! ちょっと行かないと、本当に風景が変わるよね。しみじみ・・・ 新しいお店をグル~ッと眺めた後、デザイナーの友人の個展の後片付けのため、経堂に向かう。打ち上げは焼肉だぁ。楽しみ楽しみ~♪

脳梗塞

2006 年 12 月 4 日

先週から脳梗塞でショックな事件が続いている。私の周りで3人、立て続け
に起こっているのだ。脳梗塞とは脳の血管が何らかの原因で細くなるか、
詰まってしまう事により血流障害が生じ、その血管から血液を供給されて
いる脳が壊死(えし)してしまう状態だ。

脳梗塞や脳出血など脳血管障害の死亡率は現在のところ、癌などの悪性
新生物、心疾患に次いで第3位を占めている。降圧薬の進歩により脳出血
が減少している反面、脳梗塞はむしろ増加傾向にある。

病態としてはラクナ梗塞、心原性脳塞栓症(脳塞栓)、アテローム血栓
性脳梗塞(脳血栓症)の3つがあり、それぞれの割合は、ラクナ梗塞が
50~60%、心原性脳塞栓症が20~30%、アテローム血栓性脳梗塞が
20%程度。生活習慣の欧米化と共に、現在ではラクナ梗塞が減少し、
特にアテローム血栓性脳梗塞が増加してきているとか。

今回、脳梗塞で倒れたのは60代の男性と40代の女性2人。40歳の女
性は頭が痛いと言いながら出社し続けたが、とうとう耐え切れず欠勤。
同僚が心配して電話をかけると、彼女のしゃべり方が変だった。呂律
(ろれつ)が回っていないのだ。そして、無断欠勤。

電話をかけても今度は応答なし。これはただ事ではないと判断した同僚
が上司と共に駆けつけると、彼女は家の中で倒れていた。慌てて救急
車で運ばれ緊急手術し、一命は取りとめた。

手術後の彼女は、会話のスピードはゆっくりながらも意志の疎通はでき
るし、昔の記憶もしっかりある。ようやくホッとして、「それじゃ帰るね」と
同僚が言うと、「それはどうかな」というセリフが返ってきた。明らかに
おかしい。一瞬「えっ?」となり、彼女に何らかの後遺症が出ている事
に気がついた。そんな状態のため、未だ入院している。

それにしても40歳で脳梗塞とはあんまりでしょ(号泣)。都会で一人で
暮らす彼女は、同僚が異変に気がついたから助かったものの、そうで
なければ手遅れだっただろう。「便りのないのは元気な証拠」といった
昔ながらのポジティブ思考だけでは済まされないと痛感した。

今回、人命救助で大活躍の同僚は、「頭痛が続いたら即脳外科へ!」
と言っている。きちんと検査してもらって何事もなければ、それはそれ
で安心できるじゃないか。ねっ、そうでしょ? ♪く~る~きっとくる~
きっとくる~になる前に(笑)
20061204
♪最近、日が落ちてからは特にしばれるねぇ。でも、私は大丈夫! こ~んなカワイイ羊さんに温めてもらってるのさ。その名も「くつろぎあったか袋」ですぅ。Mさん、本当にどうもありがとうございました。心温まるお手紙もとってもとってもうれしかったですぅ。うるうるうるうる・・・

自分探し

2006 年 12 月 3 日

本当の自分というのは、
今、やるはめになっている事を100パーセントやる事。

今、やっている事に対して、
手を抜きながら適当にやっているから、
今の生活のほかに
すごく変身した、使命に満ちた私が存在すると
思っているのです。

パッと服を脱ぎ捨てて、
スーパーマンになる事を夢見ている人が
世の中にはたくさんいます。

変身をして、別の所にすごい役割や
すごい能力があるに違いないと思うのは、
止めた方がいいみたいです。

今、生きている「私」が100点満点なのだから、
今、やらされている事を淡々とやっていって、
淡々と死ぬというのが、
人生をまっとうする事と思えます。

今、やるはめになって、
やらされている事をちゃんとやっていないと、
次のステップが来ません。

自分が考える事ではなくて、
目の前にやるはめになって、
やるべき事になった事を、
ただ誠実にこなす事。

それをやりながら、
「掃除」「笑う事」「感謝する事」をずっとやっていくと、
それだけでO.Kという事のようです。

評論しないで、いちいち感想を言わないで、
「はい、わかりました」と言って、
淡々とやっていく事が人生、というのが宇宙法則。

自分が好きな事を、自分で定めているうちは、
自分の好きな事には出会わないのです。

/小林 正観
20061203
♪この作品は今回、初めて見た。中にライトを入れると、全然違った趣きになるんだよね。この波を思わせるフォルムが好きだ。

極意

2006 年 12 月 2 日

Y先生は何を聞いても、「そのうち体が教えてくれますから、焦らないでぼちぼち
いきましょう」としか答えてくれなかった。塩田氏の師匠である合気道の開祖・
植芝盛平氏も、どんな格好でやっていても「あぁ結構や、結構や」と言うだけだ
ったらしい。不親切といえば不親切だが、植芝先生は武道とはそういうものだ
と考えていたらしい。太極拳も元は武道であり、Y先生も同じ考え方だ。

太極拳というとジジババのイメージが強いが、昼間のクラスと違い、夜のクラス
の生徒はほとんどが社会の現役組。毎週水曜日のPM6:30に全員が揃う事は
有り得ない。そのため遅刻・早退は自由。初日から「教室の前で急に止めたく
なったら、そのまま帰って下さって結構です。とにかくムリをしないで下さい」
と言われた。このシステムはS先生になってからも引き継がれている。

今でも忘れられない思い出がある。ある時、私が何か質問した後だったか、くわ
しいシチュエーションは覚えていないが、Y先生がそばまでやって来て、「最後
はココにくるからね」と指さした事があった。はぁぁぁぁぁ~?

太極拳は24式あるが、こんなワケのわからん型をやって、どーして最後にアタマ
にくるのか、私にはサッパリ理解できなかった。そんなY先生から毎週「ムリをし
ない、がんばらない、人と比べない」とインストールされるうち、ある時、ふと気づ
いた。これって太極拳の事だけじゃないじゃん。全部そーなんじゃん!

「太極は陰陽の母。極(きわまり)を作らない」「前後左右斜め自由に動けるの
が円運動」etc. それからというもの太極拳が仕事や私生活、その他様々な
事にフィードバックし始めた。その逆も然り。

Y先生は太極拳の事だけじゃないんだよ、全てに繋がっているんだよ。だから、
最後はマインドにくるよと言いたかったのだ。体が固いだの、どれくらい足が
上がるだの、型が身についてないだの、そんな事はどーでもよろしい。アタマ
の悪い私にもようやくわかった。とびっきりうれしい瞬間だった(号泣)
20061202
♪デザイナーの友人の作る香炉はとても繊細だ。よくもまぁこんな細かい芸当をやれるもんだ、と超ブッキーな私はいつも関心している。尊敬の眼差し・・・

太極拳の初代Y先生

2006 年 12 月 1 日

黄色いTシャツに紺のジャージを履いたオヤジが、裸足でモップ片手に48Fの
教室の窓を拭いていた。ルックスは星一徹そのもので、耳に赤ペンを差したら、
競馬の予想屋風(笑)。窓拭きの掃除も大変だなぁと思いつつ、そこに「Y先生」
と誰かが声をかけると、そのオヤジが「ハイ」と振り向くではないか?

えーっ、このヒトがっ?

私の姿に気がつくと、「新しい生徒さん?」「はい、そうです。がんばりますので、
よろしくお願いします」「がんばらないで、ぼちぼちいきましょう」

これが太極拳の初代Y先生との最初の出会いだった。太極拳の先生という
私の型にハマりすぎたイメージをのっけからブチ壊し、がんばる意欲を否定し、
良い意味で思いっきり期待を裏切られたスタートだった(笑)。

当時、S先生はY先生の助手をしていた。後に「未空さんが教室に入って来た
瞬間、3年たったら声をかけてみようと思ってたのよね。その通りになったわ」
と笑っていた。イマドキ3週間、いや3ヶ月でもなく、3年というスタンスに心底
驚いてしまった。さすがは太極拳! 中国4000年の歴史、悠久の時の流れ
とでも言うべきか(笑)。そもそもS先生は、最初から私が3年は通うと本気
(と書いてマジと読む)で思っていたんだろうか?

「まず一人で申し込んで来たでしょ。友達と入った人はその友達が辞めると、
同時に辞めちゃうのよ。誰が続けるか、教室に入った時から大体わかるわね。
未空さんとはいずれ話をするなぁ、きっとご縁がある人だなぁと思ってたのよ。
うふふ、やっぱり当たったわね♪」

ちなみに私はS先生に対して、そういう感情は全くなかった。Y先生が仕事
の都合でどうしても教室が続けられなくなった時、1年目は無遅刻無欠席
の皆勤賞だった私はもうショックでショックで、代行のS先生に毎回ブータ
レていたほどだったのだ。今から思えば、何~と失礼なっ(笑)。

それにしてもY先生の指導法は独特だった。というのも・・・
20061201
♪カナダから蘭が届いていた。今回、バンクーバーの工房で製作した作品も展示されている。私がSan Diegoにいた時、デザイナーの友人はバンクーバーにいて、一緒にイエローナイフにオーロラを見に行く予定だった。その際、Xmasをこの蘭の送り主のお宅で迎え、暖炉の前の靴下や丸ごとのターキーetc. 生まれて初めて本場の素晴らしいXmasを味わう事ができた。M夫妻には心から感謝している。私の名前の入った靴下は宝物で、今でも大事に取ってある。

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