先月、友人から誘われて参加した講話会。講演者の名前は聞いたものの、
私は全くのNo informationで軽~い気持ちで出かけた。だが、これが私に
とっての大きな転機となる。彼女が教えてくれなければ、私はその人を知る
由もなく、ましてや著書を読む事もなかった。
早速、恵比寿の有隣堂で検索してもらうと、店内に1冊だけあると言う。スタッフ
の女性が必死で探してくれたのだが、なかなか見つからない。一瞬あきらめか
けたが、私は何としても今すぐ読みたい。そして、ふと棚を見ると、ぬわ~んと
目の前に1冊あるではないか。私にはそこだけ浮き上がって見えた。
「あっ、ありました!」「えっ、どこですか?」「ここです、ここ」「あら、ホントだ。
すみません。でも良かった」とゆーワケでめでたしめでたし。私にとって本当に
必要な人・本・情報etc.は全て、絶妙なタイミングでやって来るんだと確信した。
焦る事ないんだよね。この本はそこだけ浮き上がって見えただけあって(笑)、
今の私に必要な情報満載! あっという間にいつもの如く、マーカーだらけ
となる。読むべくして読む本だったというのは、以下の言葉からも読み取れ
るだろう。特に「努力=癒し」というのが新鮮だ。
「努力=癒し」になるし、「努力」のないところに「癒し」は生まれません。
それが本当の意味での癒しだと僕は思います。
自分を癒せるのは、結局「自分」なんです。
人間は愚かであるゆえに、「心ある学び」のできる生きものとして成長する事が許されているはず。
甘えの構図は連鎖し、逆に努力の構図も連鎖する。
どちらに傾くかは自分次第です。
「何に共鳴するか」も自分次第です。
僕達は常にバランスを問われているのです。
誰しも陥る危うい状態の中で、「心・行・言」を一致させる努力こそが、一過性の「癒し」ではない
本当の「癒し」だと僕は考えます。
その努力によって、手に入るものは自分だけのものではないはずです。
それは、みんなで共有できる「宝物」に進化する事でしょう。
貴重な情報を惜しみなく教えてくれる友人に心から感謝している。私から何も
お返しできず、本当にごめんなさい(泣)。いつもどうもありがとう!