2006 年 11 月 5 日 のアーカイブ

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付喪神

2006 年 11 月 5 日

クライアントの方から「道具寺道具村建立縁起展」を教えて頂いた時、
すぐに思い出したのが「付喪神」の存在だった。付喪神を「もったい
ないお化け」と説明しているサイトもある。

つくも神は元々、「九十九髪」と書いたともいわれ、九十九は百から
一を引いたものなので、九十九髪は白髪を示し、長年の年を経た事
を指す言葉でもあるとか。

私が最初にこの存在を知ったのは、ある展覧会で「百鬼夜行絵巻」の
中の絵を見たからだ。家の中にある草履や傘、鍋、釜、筆、琴、琵琶etc.
の道具に手足が生え、踊っている図は何とも楽しそうでユーモラス。

とても印象的な1枚だった。「百鬼夜行絵巻」には色々なバージョンが
あり、道具ではなく狐や狸などが妖怪に化け、どんちゃん騒ぎしている
ものもある。だが、私はこの室町時代に描かれた道具の絵が好きだった。

室町時代、京都の町では新春前に古道具を処分する習慣があった。これ
に道具達が怒ったのだ。長年、人間様にひたすら尽してきたのに、何の
感謝もなく、ましてご褒美もなく、簡単に路上に捨てられるなんて。

化け物になって、人間どもに思い知らせてやるっ!

この道具達の反乱を描いたものが、「百鬼夜行絵巻」だったのだ。道具
は100年経つと精霊が宿り、「付喪神」になるという。針供養、人形供養
等はこの付喪神信仰の名残りといわれている。

ご先祖様達は道具供養をして、その魂を鎮めてきた。栄久庵さんは「日本
人は仏教徒である前に、“物”教徒である」と言う。それだけモノとの関わ
りが深いのだ。確かに人間は裸体1つの他に何も持っていない。後は全て
道具で賄われている。道具の支えなしでは生きてはいけないのだ。

そう考えると今、目の前にあるPC、辞書、携帯、コップ、カレンダーetc.
何もかもが全て有り難い。未空母の家では、仕方なく食べ物を捨てる時、
息を「はぁはぁはぁ」と3回吹きかけて捨てていた。こうすると食べた事と
同じになると教えられ、みやおばあちゃん→未空母→未空姉弟と3代
に渡って引き継がれている。

全てのモノに命があり、心があり、魂がある。ヒトとモノとの良い関係を
築いていきたい。
20061105
♪“首都圏の鉄道の沿線をめぐる「ぶらり途中下車の旅」で、J商店街の中華料理屋さんがね、おいしそうだったの。「楊」っていう家庭料理のお店なんだけど、ご存知? おすすめがマーボー豆腐と水餃子だって。食べた~い!と思っちゃいました”というMailが友人から届いた。「楊」って聞いた事があるような・・・ってなワケで、今夜の未空家のメニューは手作り焼餃子ですぅ。

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