その頃、ラマヌジャンが勤めていたのは、マドラスの港湾信託局だった。
すでに彼は「インド数学協会誌」に「ベルヌーイ数の諸性格」という処女
論文を出していたが、それだけが唯一の業績であって、港湾局へ就職
する前は書く紙に事欠くような失業者であった。
その港湾局への就職も協力者の裏工作でやっとできたというような状態
だった。だが、それでも妻や両親を安心させる事ができたし、直属の上司
ナーラヤーナは数学に理解が深く、かつ仕事は閑職だったので、ラマヌジ
ャンは職場に出かける前も、帰ってからも数学に没頭していた。
そして25歳になっていた彼は、ある日、一面識もないイギリス数学界の
大御所ハーディ宛てに1通の手紙を書いたのだった。
「拝啓。自己紹介させて頂きます。私はマドラス港湾局経理部にて、年収
20ポンドで働いている一事務員でございます。23歳くらいで(※実際は25歳)
通常の学校課程は終えましたが、大学には行っておりません。学校を出た後、
余暇を数学研究に励んで参りました。正規の教育は受けていませんが、独学
で研究し、発散級数に関するいくつかの成果は、当地では驚くべきと形容
されています」
こんな書き出しで、次には数学公式がずらずらと並べられている手紙が、
ハーディの目に留まったのは、世紀の不思議のようなものである。ハーディ
が通常の数学者だったなら、これだけ読まれただけで手紙は捨てられる
運命にあっただろう。天才数学者ラマヌジャンも生まれなかった。
ところがハーディは並みの数学者、並みの洞察家ではなかったのである。
彼も最初は、手紙に書き並べられた奇妙な公式を見て、戯言と思ったの
だが、次の瞬間「これらの公式がインチキだとすれば、一体誰がそれを
捏造するだけの想像力を持っているだろうか?」と思い直し、友人リトル
ウッドと1週間かけて隅々まで検討したのであった。
そして、得られた結果が「偽者ではない。これは本物の天才だ!」とい
うものであった。こうして無名の天才ラマヌジャンが発見されたのだが、
こんな経過そのものが「世にも不思議な物語」である。一通の手紙がラマ
ヌジャンの運命を変えた。こういう経過を見ると、ラマヌジャンの言う「全て
ナマギーリ女神のおかげ」という言葉も真実味を帯びてくるというものだ。
♪マドラス港湾局で働いていたラマヌジャンも、毎日こんな風景を見ていたんだろうか? 船ってホ~ント気持ちイイよね。小型船舶免許が欲しい今日この頃。