主に渡英後に発表した40編ほどの論文の他には、渡英前まで
の数学的発見を記したノート3冊、帰国後に記されたいわゆる
「失われたノートブック」などが残っている。
大学教育など系統的な数学の教育を受けなかった事などの理
由により、彼は証明の概念を持っていなかったようで、得ていた
「定理」に関して、彼なりの理由づけで納得していた。
共同研究を行なっていたハーディも、彼の直感性を損ねる事を
恐れて、証明を押しつける事は避け、朝ラマヌジャンが持って
来た「定理」をその日一日かけて、改めて証明するといった方
法をとっていたようである。
明確な証明をつけなかった事で、長い間ラマヌジャンの業績は
極端に理解されにくいものとなっていたが、次第に真に一級の
数学者のものとして認められるようになってきている。
渡英前のノートに記された公式群は、すでに知られていたもの
も多かったが、連分数や代数的級数などに関しては新しい発
見があった。渡英後に発表した仕事であるラマヌジャンの保型
形式、それに関連したラマヌジャン予想は重要な未解決問題
(1974年にドリーニュが解決)となった事もあり、後世に最も
よく知られているものである。
♪こちらは味の天才?「珈琲紅茶」。確かにどちらの味もする。Made in 台湾? 香港? アジア系の飲み物は怪しくてスキだ(笑)