叉手(しゃしゅ)というのは、歩く時の手の作法で、左手の親指を中にして拳を作り
(←ちなみに太極拳で拳を作る型は、必ず親指を外に出すんだよね)、これを胸に
軽く当てて、右手の拳でこれを覆うんだよ。名づけて「胃が痛い」ポーズ(笑)。堂内
を歩く時は、必ず叉手にする。手をブラブラさせて歩くのは不届き者なのだ(笑)。
坐禅は本来、坐禅堂という特別な場所で行うのだが、坐禅堂のない寺院では、本堂
を坐禅堂の代わりにする。坐禅をする場所には、中心に「僧形文殊菩薩(そうぎょう
もんじゅぼさつ)」をおまつりする。文殊菩薩はお釈迦様の弟子の中で、「智慧第一」
といわれたほど優れた方だったので、その智慧にあやかるようにおまつりするんだ
そうな。この中心におまつりする文殊菩薩を、坐禅の時は「聖僧(しょうそう)様」と
お呼びする。
この禅寺には坐禅堂がないので、全て本堂で行うんだけど、入る時は左足から、出る
時は右足からなんだよね。アタマで考えながらやると、思わずコケそうになるっ(笑)。
休憩時間の合図(?)が2回の鐘。これを「経行鐘(きんひんしょう)」っていうんだけど、
「キンヒン?」って一体、何? ずぇ~ったい読めないよね(笑)。
「経行(きんひん)」とは、坐禅が長時間(←線香1本の燃えつきる時間、約40分間
を「一炷(いっちゅう)」という)にわたって行われる場合、時間を見計らって堂内を
ゆるく静かに歩行する事。「経行」そのものの意味は、機織の縦糸の如く、まっすぐ
に往き且つ帰る事なんだそうな。
経行中の手は必ず叉手で、方向は時計回り。前後の人との間隔は詰まりすぎず、
空けすぎず、等間隔である事が望ましく、列は同方向に直線であるように心がけ
なければならない。歩行は一息半歩で、一呼吸に半歩だけ前進する。
つまり、息を吐いて吸う間に、足の甲の長さの半分だけ歩を進め、次の一呼吸
で反対の足を同じく半歩だけ進める。そして、最初の歩は必ず右足から出す。
歩を運ぶ時は、上体が後ろにそったり、前方に倒れたり、あるいは左右に揺れ
てはいけない。
後ろの未空母はせっかちな性格なので、私にどんどん接近して来る。オイオイ、
歩幅を考えてくれよぉ。未空母曰く「私だって、後ろの坊やにせかされてたん
だから。そもそもね、アナタがトロいのがイケナイのよ」「トホホ・・・」