ここ数週間、元の職場の同僚から突然、「はぁぁぁ~?」という電話がかかって
きたり(←もちろん即お断りしたが)、SOSのMailがきたり、夢の中には高校時代
の友人が出てくる。それも全てご縁の切れた人達ばかりだ。すると、これまたシン
クロで、美老庵・師匠の所にも今までの流れからして、どう考えても絶縁だろうと
いう意外な人が訪ねて来たらしく、Mailが届いた。話を聞けば「はぁぁぁ~?」と
いう感じで、師匠と2人「アンポンタン」というコトで意見が一致した(笑)。
他にも「何で?」という事件があり、その思い切った行動には裏事情があるとしか
思えなかった。きっかけは「夏には都議選があるだろ?」という未空父の一言。コレ
で全て謎が解けた。その人は熱心な某宗教団体の信者だったからだ。やっぱねぇ。
選挙シーズンになると、超疎遠な人から急に電話がかかってきたり(←それも北海道
だよ)、未空父の会社の部下(←それも辞めた人だ)や未空母の元PTA仲間、未空弟
1号の大学の元クラブ仲間が訪ねて来たりetc. 様々な珍事があったっけ。だからと
いって、宗教が悪いというのでは決してない。ただ、宗教と宗教団体は分けて考える
必要があるんじゃないかと思うのだ。
アラン・コーエンの「人生の答えはいつも私の中にある(I Had It All The Time)
KKベストセラーズ刊」の中に、「どの偉大な宗教も、最初は純粋なところから始ま
った。どの聖なる預言者も、山頂で将来を見通した体験があり、悟った事を世の中
に分け与えようと戻って来たのだ。だが、その師が世を去ってしまうと、途端に弟子
達がその賢人の開示した見識を制度化し、組織化し、儀式化し、官僚化し始めるのだ。
しかし、真実はコピーできる類のものではない。コピーすればするほど、画質は暗く
なり、染みができ、しまいには最初に何が書かれてあったのか読めなくなってしまう。
見えるのは、ススのようなトナーの斑点ばかりだ。“伝言ゲーム”をすると、そう何人
もしないうちに伝言がひどく歪められてしまう」。
会社であれ宗教団体であれ、人間が創り上げた組織である事に変わりはない。厳然
としたヒエラルキーが存在し、そこに安心する人もあれば、それに反発して出ていく人
もいる。そして、新たな組織を立ち上げ、またそこで栄枯盛衰が繰り返されていく。
仏陀の遺言は「自灯明、法灯明」だった。「自分自身を拠りどころとせよ。真理を
拠りどころとせよ。それ以外を頼ってはならない」という意味だ。「はぁぁぁ~?」
という事件には、ハッキリNoと言わなければならない瞬間があるように思う。最終
的には私の取捨選択だ。ちょっと無防備だったかなぁと自分を反省する面もあって、
一連の流れは「気を引き締めよ」というメッセージだと受け取った。無防備とオー
プンマインドは違うからね。履き違えないようにしないとね。