2005 年 12 月 25 日 のアーカイブ

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未空父&母がネパールで感じた真の豊かさとは?

2005 年 12 月 25 日

昨日、未空父&母がネパール旅行から、無事に帰って来た。今回は未空母のネパール
の元外交官だった古い友人が、3年がかりで5F建てのマンションを建て、その新居に
遊びに行くのが目的だった。使用人はコックを含め6~7人おり、友人夫妻は何もしな
いというセレブな生活を送っているらしい。

未空父はしみじみと、「ネパールは貧しく素朴な国で、鼻たれ小僧を見てると、本当に
子供が子供らしく、目がイキイキしてるなぁ。でも、そんな子供達が幼い妹や弟をおん
ぶしながら、お金をねだる姿は、終戦当時の日本を思い出した。それに比べて、日本
の子供達はあまりに恵まれすぎて、感謝しなきゃいけないと思う」と語っていた。

「もう2度と行きたくない?」と聞くと、「いや、また行ってもいい」と言う。これは私に
とって、未空父の超意外な反応だった。

NHKの番組で、ある小説家が「少年達が殺人をした後、普段通りの生活をしていた事
の方が不気味な感じがします」。ある脚本家は、「日本は生産社会から消費社会に
なったのが、発端のような気がします」と言っていたのが印象的だった。

生産社会というのは、言わば自然から直接、労働によって原料・食料を生産する社会で、
第1次産業(農業・林業・水産業など)が当てはまる。例えば、お米や野菜を育てるには、
時間と労力がかかり、昨日種を蒔いて、今日収穫はできない。どんな土地にどんな種を、
いつ蒔くのか? 日光はどれくらい必要なのか? 水分はどれくらい与えるのか?etc.

今とは比べものにならないほど、毎日の生活の中で、色々な事を考え、工夫しながら
暮らしていた日本人。国が豊かになり、いつの間にか、第3次産業(サービス業)が
社会の中心になると、消費社会に移行していく。

私は以前、五穀豊穣のお祭りと聞いても、ピンとこなかった。なぜなら、食べ物は作る
のではなく、買うものという認識に、どっぷり浸かっていたからだ。スーパーに行けば、
何でも揃っている。動物を殺生する事なく、肉が食べられる。パックの中の肉片には、
小さい頃から見慣れているせいか、さほど残酷という気持ちも生まれない。天気を
心配する事もなく、収穫の季節を喜ぶ事もなく・・・

この脚本家は、「少年達の残虐な行為は、日本の消費社会の、その延長線上に生ま
れたのではないか?」という考え方だった。私にはとても新鮮な目線で、それが全て
とは言わないまでも、確かに関連性はあるだろうなぁと思えた。

ネパールの子供と日本の子供。真の豊かさとは一体、何だろう?
20051225
スリランカの市場で見たスパイスは、こんな形で売られていた。種類も豊富で楽しいよね。

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