2005 年 10 月 12 日 のアーカイブ

ホーム >  未空ブログ > 2005 > 10月 > 12

Death

2005 年 10 月 12 日

9/16「包囲網」に書いた医師T先生が亡くなった。クモ膜下出血で倒れ、集中治療室
に入っていたが、一旦は意識を取り戻した。良かったねと喜んでいたのもつかの間。
その後、再度の出血。この時点で、主治医は手の打ちようがなく、半ばあきらめ状態
だったらしい。享年49。

友人は新幹線でお通夜に向かい、私は東京で静かに手を合わせた。T先生の2人
のお嬢さんはまだ小さく、小学校1年生と幼稚園。パパの乗った霊柩車に向かって、
無邪気にバイバイと手を振り、周りの誰もがもらい泣きした。お花の数が100を超え、
こんな盛大なお通夜は過去に例がないと葬儀屋さんが驚いていたそうだ。T先生の
生前のご活躍とお人柄が偲ばれる。

友人が「私は怖くて、亡くなった人に近づけないのね。でも、最後のお顔を見て下さい
って言われて・・・ 恐る恐る覗いたら、もう今にも目を開けそうで、ただ眠ってるだけっ
て感じなの。死んだ感じが全然しないの。でも、そうだったら何で起きてくれないん
だろうって思って、もう涙が止まらなかった。泣いて泣いて、ずっと泣いてた」と言う。

私は身内以外のお葬式に出た事がなく、亡くなったのはお歳寄りばかりだった。母方の
祖母が亡くなった時、火葬場で見上げた青い空に白い煙が映えていたのを覚えている。

まだ熱い棺桶から、突然おばあちゃんの白骨が出てきた時の衝撃は、今でも忘れられ
ない。今までガイコツという物は、TVや映画、マンガの中だけでしか見た事がなかった。

それが今、目の前にある。ゾクッと身震いした。このガイコツは何? 誰なの?

「めめちゃん(←生まれた時、目がやたら大きかったので、伯母がつけた私のニック
ネーム)、おじいちゃんと一緒に骨を拾おうね」と祖父に言われ、初めて箸のタブー
の意味を知った。白ではなく、灰色っぽい骨を拾いながら、「死ぬとこうなっちゃんだ」
と10歳の私は感じた。と同時に、ガイコツになっちゃう感覚が芽生えた。

昔から「最後の顔」を見るのは自分の家族だけ、と漠然と考えていた。想像したくも
ないが、師匠や先生、仲の良かった友人が亡くなった時、私はその悲しみ、辛さ、
苦しみに耐えられるんだろうか。その場に立っていられるんだろうか。とてもとても
「最後の顔」を見る自信はない。脳裏に刻みたくないと思ってしまう。

「お願いだから目を開けて。いつもみたいに話して」と顔をクシャクシャにして、
泣き叫ぶかもしれない。49歳という若さで亡くなった医師T先生。この年齢前
後の人が、私の周りにはたくさんいる。生きててくれて有り難いと思った(泣)。

改めて、目の前の人に一生懸命に会おう。もしかしたら、これが最後になるかもし
れないのだから。直感でやろうと思った事は、素直にやってみよう。恥をかいたっ
て、笑われたって、トンチンカンだっていいじゃないか。自分の気持ちに寄り添って、
会いたい人には会いに行こう。手紙を書いたり、Mailを送ろう。自分が後悔しない
ように、遣り残しのない人生にしよう。

誰かの死によって、私の中で何かが生まれ、何かが変わる。この感覚を大事にしたい。

T先生、どうもありがとうございました。光の世界で癒され、安らいで下さいね。
20051012

twitterページ
facebookページ
Amebaブログ