「ハッピーな人々の秘密(グレッグ・ヒックス&リック・フォスター著:総合法令刊)」
という本は、周りの人に推薦された300人のハッピーな人を取材して、その秘密を
解き明かした本なのですが、ハッピーな人々は、立場も環境も肌の色も関係なく、
「9つの内面的な選択」をしているというのですね。
その中の1つが、「“自分が責任をとる”という事を選択する」という事です。その説明で、
ナルホド!と思ったのが、「ハッピーな人の特徴で際立ったものがあります。それは
どんな事に関しても、決して“非難をしない”という事です」という文章でした。これは
至言ですね。
「非難する」というのは、「自分には責任がない。相手が悪い」と思っている事です。
でも、自分に関わる事は全て、自分が選んだ結果なのですから、自分に責任がない
訳はないんですよね。例えば、道を歩いていて、人がぶつかって来て転んだとします。
自分は普通に歩いていたのだから、「責任はない。相手が悪い」。確かにそうです。
でも、自分が「その場所」にいたのは、自分が選んだ結果なんですよね。
それを知って「あぁ、私もボーっと歩いていましたし、いいですよ」と許す事もでき
ます。逆に「どこに目ぇつけてんだ、このアホんだらぁ!」と恨んで非難する事もでき
ます。けれど、ここが「ハッピーな人」になれるかどうかの分かれ道なのです(笑)。
この本には、「他の誰かに責任をなすりつける事で、つかの間の満足感を味わえると
いう事以外に、非難が私達にもたらすものは、結局、恨みという感情だけなのです」と
書いてあります。非難をすれば、恨みが還ってくる。これは正しいです。「いいですよ」
と許される。厚意を「与え」られると、「本当にスミマセン」と自然に謝罪を「与え」
られます。
「与え」て、「与え」られる。これがハッピーの循環ですね。けれど「アホんだらぁ!」
と非難される。謝罪を「求め」られると、「何? そこまで言う事ないじゃないか!」と
恨まれ、逆に謝罪を「求め」られたりするのです。
要するに、「非難する」という事は、相手から何かを「求めよう」とする行為なんです
よね。そうすると、相手も「求めよう」とするから、ハッピーの循環が起こらないのです。
ハッピーな人は、きっとそれを知っているので、非難をしないのでしょう。この事を知っ
てから、自分の会話の中に、非難が含まれていないかチェックするようになりました。
すると結構、非難しているんですよね(笑)。
「電車が来なかったんで、遅くなっちゃた(電車を非難)」
「あれー? ここにあった爪切り知らない~?(場所を移動させた誰かを非難)」
「あぁ~、食べすぎちゃった~(自分を非難(笑))」
何気ない言葉に、非難のエッセンスが入っているのです。
更に「良かれと思っている忠告」も、実は相手を否定・非難し、自分の考えを押しつ
けている事だったりもします。「政治のココが悪い」と言う事も、「こういう観点もある」
という意見ですが、非難の一種でもあるのですよね。「そんな事をいちいち考えてたら、
しゃべれない!」と思うかもしれませんが、自分の言葉の「非難」度をチェックしてみ
ると、なかなかおもしろいです。
この本によると、「ハッピーな人は非難しない」そうです。もし、「自分がハッピーで
ない」と感じていたら、相手か環境か自分を「非難して」いるのかもしれませんよ。
いかがですか? チェックしてみましょう!
/恒吉 彩矢子
♪金魚 in 氏神様近くの美容室にて 後ろ髪は5cmくらい切って、かーなーりスッキリ感が漂うかな。パーマもかけたんだけど、未空母には「全然わかんない」と言わてしまった(泣)。ザ、残念っ!