「未空さんがおっしゃっていた、小さなたくさんのNoの背後にあるYesという言葉、
私はとっても気に入りました! かなり大袈裟ではありますが、人生に対する考え
方が変わりました。そして、周りからのメッセージにもっと敏感になろうと思いました。
未空さんが歌のタイトルから、瞑想にピンときたように!」というMailを頂いた。
うるうるうるうる・・・どうもありがとうございます(号泣)。草津温泉のホテルで、
大広間で食事をしていて、もうそろそろ部屋に戻ろうかと思った瞬間、生ピアノで
この曲が流れたんだよね。大好きな曲だったので、最後まで聴いていて、その時
はそれでおしまい。ところが、真夜中に突然ハッと気がついた。そっか、この歌の
タイトルこそが、まさにメッセージだったんだと!
6/12の未空風呂「No, Yes」には、共感して下さる方が多く、私としても感慨深い
ものがある。危機とは危険+機会が同時にやって来るから、一瞬Noみたいな状況
でも、その背後にはYesが隠されている場合がある。必ずなるようになるんだよ。
だから、何があっても大丈夫。今、確実にそう思えるのは、私には空白の4ヶ月=
全てが空回りという期間があったからだ。その間、私なりに試行錯誤を重ね、
それなりに努力した。反社会的な行動も突飛なお願いもしていない。だから、
なぜうまくいかないのかわからなかった。そして、かなり悩み苦しんだ。
後に、太極拳のS先生から「表面上起きてる事と、深い部分で起きてる事が
“全く逆”という場合も出てくる」と言われたのが救いだった。
あれから半年が過ぎて、全ては「Dharma(自分の本分)」に関係しているという
事がわかる。私が一番好きなサンスクリット語であり、この言葉に私ほど共感し、
救われた人間はいないのではないか?と思うほど。だから、事ある毎にこの
言葉を、意味を反芻しているウシ未空であった(笑)。
加藤締三氏が「自分に正直になり、それを許してくれる環境を探す事、あるいは
作る事。高齢化社会のライフワークの基礎はこれである」と述べておられたが、
これは高齢化社会だけではなく、今の自分にもピッタリ当てはまらないだろうか?
私にMailを下さった方、お一人お一人にお返事を差し上げられなかったので、
心苦しく思っているのだが、ウシ未空が伝えたいと思った事は、以下の通り。
「あなたのやりたかった事を、最優先に考えて下さい。もうそういう生き方でいいん
だと思います。あなたのDharmaを全うする事で、それが巡り巡って他人のために
なります。それだけは間違いないと信じています。肩書きも必要ないし、あなたが
あなたであればいい。それ以上、何がいります?
今、ここで成すべき事を成す。それだけです。過去は関係ないし、未来はまだ来て
いない。生きるのはたった今、この一瞬一瞬だけ。ミラクルは・・・起きるんです。
いつだって! だから、自分の意識を常に、深いDharmaに向けて下さい。
Dharmaは人間の数だけあり、どれ一つとして同じDharmaはないんです。人のやり
方を踏襲したり、真似をしても決してうまくいきません。だから、自分に聴いてみる。
本当のところはどうなのか? 自分はどうしたいのか?etc.問いかけてみる。その
作業をあきらめずに続けてみて下さい。そうすれば、自ずと答えが出てきます。
その答えを出した自分を信じ切って下さい。そして、他人に惑わされず、踊らされず、
煽られる事なく、マイペースで進んで下さい。迷わず進め、正直の道!」
何があっても私は私。自己選択・自己責任を前提に、全てにおいて未空流を貫けば
いい。空白の4ヶ月の答えは、これだった。今日もまた新たな気づきがあり、自分
の中の執着にハッとした。まさにNoの背後のYesだ。今度はあるサイトが教えて
くれたっけ。こまめな軌道修正が必要だな。現時点で気がつけて良かったと思う。