それは「雇われる能力」と訳される。80年代のイギリスにおいて「就職する
事ができる能力」の重要性を説いて、この言葉がよく使われるようになった
と聞いた。これが90年代バブル崩壊後のアメリカでは、「雇われ続ける事
ができる能力」として使われた。
現在の日本においても、この「エンプロイアビリティー」という言葉が、
とても流行っているように思う。「自分が求める方向の仕事を得続け
る事ができる能力」という意味合いである。
「プロ」という言葉があるが、それは当然「金」に執着する職業人という
意味ではなく、「金」に値する職業人という意味である。世の中には
「能力が買われて指名で仕事をもらっている人」と「仕事を割り振られ
て与えられる人」がいる。
前者がいわゆる「プロ」という意味である。アルバイトにもパート社員
にも「プロ」はいるし、正社員にも「ノンプロ」はいる。自分のやりたい
方向の能力を身につけた人が、その方向の仕事を得る。エンプロイア
ビリティーがあるという事である。ポータビリティーという言葉も
よく使うようになった。「持ち運び可能な能力」と訳される。
経済の低成長が常となり、事業の短サイクル化が顕著な現代において、
仕事が変わっても、会社が変わっても生き残るためには、ポータビリ
ティーが大切だという解説を聞いた事がある。しかし、そのような
転機を迎える予定がない人でも「ポータビリティー」は重要である。
「持ち運びが可能」であるという事は、その能力が「一塊の体系だった
ものであり、汎用性のあるもの」であるという事である。
会社の流れの中で学んだものだけではなく、主体性を持って落ち着いて
学ばなければ、それを身につけることはできない。多くの場合は、会社
の中だけの学びでは、「ポータビリティー」は身につかない。そう考え
ると、ポータビリティーを持った人は、その能力を汎用的に会社に提供
する事ができる人であり、ポータビリティーのない人は、会社から頂いた
能力しか保持していないという事になる。
しかも、ポータビリティーが高ければ、いつどこの競合他社にスカウト
されてもおかしくない状況が、その人の身に実現する訳である。他社
に行く予定はないが、いつでも他社に行ける人材。これが社内的には
魅力極まりなく感じられる。
会社の中にいても、そこが「労働市場」である事を忘れてはいけない。
現実的な評価は、受容と供給のシーソーゲームによって決定する。
それが、ごく当たり前の事であると認識できれば、公平な評価とは
いかなるものである事も理解できるようになるのではないだろうか。
いわゆる「労働市場」が、本当の意味で「市場化」している今、自分の
エンプロイアビリティーについて、正面から考えてみたいものである。
/山本 正樹(経営コンサルタント・株式会社理想経営 代表取締役)