「ペルソナ」という言葉がある。元々はギリシャの古典劇で使われた仮面の事だが、
心理学者のユングは「人はみな、仮面を付けて生きている」の意味をこめて、そう
いう心理現象を「ペルソナ」と名づけた。
例えば、学校の先生であれば「学校の先生らしく」、営業マンであれば「営業マン
らしく」あろうとして身に着けている仮面がそれに当たる。政治家であれば「政治家
らしく」、女であれば「女らしく」、子供であれば「子供らしく」、上司であれば
「上司らしく」、恋人であれば「恋人らしく」いたいという、そういう心理現象で
ある。素顔を隠して、他者の人間関係をそれらしく保とうとする処世術といえる。
あるいは、元々の自分の素顔の状態を責められたくないための防衛策という見方も
できる。借金をしているなら「債務者らしく」、新入社員であれば「新人らしく」
しておく事で、必要以上の責めにあわなくて良い事がある。
子供の頃、福井県で「肉つきの面」というのを見た事がある。父に連れられて見に
行った小学生の記憶だが、受けたショックだけは明確に覚えている。嫁を脅すのに、
般若の面をつけていた姑が、ある日、その面を外そうとするが取る事ができない。
もだえ苦しみ、もぎ取ったところが、肉もろとも面について剥げ落ちたというのだ。
文字通り「ペルソナ」が身についてしまった物語である。姑にも「自分らしい」
顔があっただろうに・・・
個性的に生きていきたいという声を耳にする事がある。個性とは何かと尋ねると、
「自分らしく」生きるという事らしい。何かをデフォルメして、奇異な生き方を
するというのではなく、自然に自分らしくいるにはどうしたらいいかと言う。
自分は自分なのだから、それ以上の「自分らしさ」はないのではないかと思うの
だが、それを見失っているのだ。「男らしさ」「親らしさ」「妻らしさ」「上役
らしさ」「いい人らしさ」を演じているうちに、「自分らしさ」がわからなく
なった。まさに、肉つきの面である。
「自分らしく」いる事は、難しい事ではない。全ての自分らしいところを、肯定
的に認めればいいのだ。失敗する自分も、無様な自分も、嘘をつく自分も、見栄
を張る自分も、地位にこだわる自分も、今意識していない自分を全て認めて意識
すればいいのだ。全て可愛い自分である。告白して許してあげる事から始める。
すごく素直で、誠実な自分が顔を現してくれるようになる。その「素直で誠実
な顔」があなたの「自分らしい」顔である。純粋無垢である、子供のように
愛される。とても個性的である。
素直な人といると、素直でいられる。こだわらない大らかな思いやりのある人
と接するようにしてみよう。自分がこだわっていた「ペルソナ」に気づく事が
できるだろう。
無意識にいた自分を意識してみる。色んな自分が見えてくる。意識するとは、
コントロールが可能になるという事である。コントロールが可能になると、
「自分らしさ」を成長させる事もできるようになる。「ペルソナ」は悪では
ない。ただ「自分らしさ」も忘れてはいけない。
/山本 正樹(経営コンサルタント・株式会社理想経営代表)