「納得ゆかぬオウムの娘排除」
元オウム真理教教祖・松本智津夫被告の娘が、和光大学に入学を拒否された事件が、
あまりにひどすぎると思うので、筆をとる事にした。私は彼女に何度かインタビューし、
今でも年賀状を交換する関係にある。最初に会ったのは7年前、彼女が13歳の時だっ
たが、その頃から一貫して「学校に行きたい」と言い続けていた。勉強がしたいというより、
同じ年頃の友達がほしい、普通の女の子の生活を経験したいという理由からだった。
彼女は、幼少から教団の中で育てられ、小学校教育さえ受けておらず、今回の大学合格
もほとんど、独学で勝ち取ったものだ。和光大学を選んだのは、恐らく「自由と個性の
尊重」という同大の建学の理念を見て、ここなら自分を受け入れてくれるのではないか
と期待したのだろう。父親が死刑を宣告された直後に、そうやって合格した大学から、
入学を拒否されるという事態に、彼女が感じたであろう失意を思うと、胸が痛い。
報道によると、最終決定の前に、大学側が本人に事情を聴いた時、彼女からその場
で強い抗議はなく、「電話一本で断わられた大学もある」と言っていたという。私が知っ
ている彼女らしい対応だ。苛酷な運命に翻弄されてきた事から、彼女には社会に
対する、ある種の諦念(ていねん)が身に付いているように見える。私が最初に会っ
た頃、既に彼女は就学拒否など社会から排除され、公安警察に追われる生活だった。
そんな自分の置かれた状況を、13歳のあどけない女の子が淡々と語る様に、私は驚いた。
あの麻原元教祖の娘という逃れようのない運命は、決して彼女が自らの意志で選択した
ものではない。オウム事件の残虐さは糾弾されて当然だが、親の責任を我々は、そこ
まで子供に負わせるべきなのだろうか? 彼女の兄弟姉妹も、一時は就学問題でゴタ
ゴタしたのだが、その後マスコミが騒ぎたてる状況が収まってからは、問題なく通学
できる状態になっているようだ。理解ある教育者がいれば、彼女の通学はそう問題に
なる事ではないはずなのだ。和光大学は今回の決定を下すにあたって、そういう実情
をきちんと調べたのだろうか? 面倒な事に煩わされたくないという“事なかれ主義”が、
少しでも不許可決定の背後にあったとすれば、教育者として失格のそしりは免れない
だろう。私も複数の大学で、非常勤講師を務めているが、最近の大学の管理主義の
深まりには、眉をひそめたくなる。私が大学に入学したのは1970年だが、全共闘運動
の名残りで、キャンパスには色とりどりのヘルメット姿の学生が見られ、「大学とは
何か?」といった青臭い議論が熱っぽく行われていた。今思うと、大学の講義よりも
そんな雰囲気の中から、はるかに多くの事を学んだような気がする。どこも建物は
きれいになったが、今の大学には、大事なものが失われつつあるような気がしてなら
ない。夾雑物(きょうざつぶつ)を排除して、表層の平穏を確保する事が、本当に教育
の環境を保障する事なのだろうか? これまでも就学拒否に遭いながら、あきらめる事
なく勉強を続け、普通の子供と同じ生活がしたいと望む娘に、大学が下した今回の決定
には、どう考えても納得がいかないのである。
/篠田 博之(月刊「創」編集長)
♪今日の裾上げしたのに やっぱ年と共に、骨が劣化してきてるんじゃないだろーか? 既にスカスカ? だって、直してもまた引きずるんだもん(笑)