2004 年 11 月 23 日 のアーカイブ

ホーム >  未空ブログ > 2004 > 11月 > 23

プラナ

2004 年 11 月 23 日

20041123
優太君は、何を食べて生きられたのだろうか。見えない世界を受け入れた我々が考える事は、

インドで言われる「プラナ」を食べていたのだろう、という事である。子供達は理屈抜きで、見え

ない世界と共存している。大人達の多くは、この世の現実を頭脳に押し込まれて、信じるられ

る事は見える世界と常識とやらだけになってきてしまった。「プラナ」と言われても、何のこっちゃ

である。しかし、「プラナ」は確かにある。この「プラナ」を理解するには、人間も肉体という見える

物だけで生きているのではなく、心という、いや、気=エネルギーという見えないものに生かされ

ている事を受け入れると、わかりやすいだろうと思う。物を生かすのには、見えない力が必要で

ある。全ての物に、それはある。しかし、信じない人には、ただの物質だけとなる。信じる人には、

物質と見えないエネルギーとで、物質ができている事を受け入れている事になる。実は、我々は

酸素を吸って生きている、と思っているが、それだけではない。酸素にも見えないエネルギーが

存在しているのである。それを受け入れていると、どうなるか? 肉体に見えない世界が存在して

いる、と思っただけで、考える事や思う事が広がり深くなるように、酸素にも見えない世界がある

と意識が変化する事によって、実際にそのエネルギーが、積極的に自分のものになる。思わな

ければ、起こらない意識である。思ったならば、その見えない世界が直接働きかけるようになる。

我々大人には、この見えないものに対する意識が必要である。酸素という原子と表裏一体となっ

て、「プラナ」という肉体を生かす事のできるエネルギーが存在している、と思って酸素を吸う事が

摂り入れるために絶対必要なのだと思う。しかし、子供にはその必要はない。自然に呼吸したま

まに、「プラナ」を受け取れる、汚れない、純粋無垢のままの心がある。そして、生かされる。生か

された。そう思うと、優太君が4日間も1人生きていた事が理解できる。先祖に守られて、一瞬の

まばたきの内に助けられ、その後は「プラナ」を吸って生きていた。大人達が「プラナ」を取り入れる

方法は、意識する事である。手の平を上にして、そこを凝視して、呼吸と共に手の平から「プラナ」と

いう命を吸い込んでいる、というイメージを持つ。そうしないと、ただの酸素だけとなる。お試しあれ。

そして、気が充満していく事を実感あれ。元気ない時には、やってみて下され。物が食べられない

時にも、有効なはずである。それにプラスして、太陽の光に含まれる光のエネルギーも摂り入れられ

たら、万全であろう。我々大人も、万が一の時のために、覚えておこう。その時には、冷静になって、

「プラナ」を、光のエネルギーを意識して、時を待つ事にしよう。見えない世界の2番目に身近な先祖

達への思いも、この機会に改めて、意識して生きる事にしよう。先祖達は、子孫を気にしていること

間違いはない。何ものにも、見えない世界が存在している。それを意識するかしないか、いざという

時に生きる事に繋がる事を知っておこう。

/田村 熾鴻(たるひろ:エイトスター・ダイヤモンド代表)

♪今日の100均 懐かしいパッケージはそのままで、今度は飴版だよ。唐突でシュールな文章は相変わらず。永遠を感じた(笑)

twitterページ
facebookページ
Amebaブログ