優太君は、何を食べて生きられたのだろうか。見えない世界を受け入れた我々が考える事は、
インドで言われる「プラナ」を食べていたのだろう、という事である。子供達は理屈抜きで、見え
ない世界と共存している。大人達の多くは、この世の現実を頭脳に押し込まれて、信じるられ
る事は見える世界と常識とやらだけになってきてしまった。「プラナ」と言われても、何のこっちゃ
である。しかし、「プラナ」は確かにある。この「プラナ」を理解するには、人間も肉体という見える
物だけで生きているのではなく、心という、いや、気=エネルギーという見えないものに生かされ
ている事を受け入れると、わかりやすいだろうと思う。物を生かすのには、見えない力が必要で
ある。全ての物に、それはある。しかし、信じない人には、ただの物質だけとなる。信じる人には、
物質と見えないエネルギーとで、物質ができている事を受け入れている事になる。実は、我々は
酸素を吸って生きている、と思っているが、それだけではない。酸素にも見えないエネルギーが
存在しているのである。それを受け入れていると、どうなるか? 肉体に見えない世界が存在して
いる、と思っただけで、考える事や思う事が広がり深くなるように、酸素にも見えない世界がある
と意識が変化する事によって、実際にそのエネルギーが、積極的に自分のものになる。思わな
ければ、起こらない意識である。思ったならば、その見えない世界が直接働きかけるようになる。
我々大人には、この見えないものに対する意識が必要である。酸素という原子と表裏一体となっ
て、「プラナ」という肉体を生かす事のできるエネルギーが存在している、と思って酸素を吸う事が
摂り入れるために絶対必要なのだと思う。しかし、子供にはその必要はない。自然に呼吸したま
まに、「プラナ」を受け取れる、汚れない、純粋無垢のままの心がある。そして、生かされる。生か
された。そう思うと、優太君が4日間も1人生きていた事が理解できる。先祖に守られて、一瞬の
まばたきの内に助けられ、その後は「プラナ」を吸って生きていた。大人達が「プラナ」を取り入れる
方法は、意識する事である。手の平を上にして、そこを凝視して、呼吸と共に手の平から「プラナ」と
いう命を吸い込んでいる、というイメージを持つ。そうしないと、ただの酸素だけとなる。お試しあれ。
そして、気が充満していく事を実感あれ。元気ない時には、やってみて下され。物が食べられない
時にも、有効なはずである。それにプラスして、太陽の光に含まれる光のエネルギーも摂り入れられ
たら、万全であろう。我々大人も、万が一の時のために、覚えておこう。その時には、冷静になって、
「プラナ」を、光のエネルギーを意識して、時を待つ事にしよう。見えない世界の2番目に身近な先祖
達への思いも、この機会に改めて、意識して生きる事にしよう。先祖達は、子孫を気にしていること
間違いはない。何ものにも、見えない世界が存在している。それを意識するかしないか、いざという
時に生きる事に繋がる事を知っておこう。
/田村 熾鴻(たるひろ:エイトスター・ダイヤモンド代表)
♪今日の100均 懐かしいパッケージはそのままで、今度は飴版だよ。唐突でシュールな文章は相変わらず。永遠を感じた(笑)