「天狗」という件名のMailが届いた。内容を読みながら、ふんふんそうだよねぇとうなづいていたが、
ふとこれは、私にも言えるのかなと思い返した。というのも、今日そんな事があったばかりだからだ。
私とは世代も違い、分野が違う人である。と言いつつも、相手の言動に首を傾げる事が多かった。なぜ、
こんなにも過剰反応するのか? 自分自身に問いかけてみる。そしてわかったのは、私が当たり前だと
勝手に思っていた常識を、相手の仕事に対するスタンスも知らずに、押しつけていたという事だ。最低限、
これぐらいやってなきゃダメでしょ、というムチャクチャな押しつけが、知らぬ間に自分の内側でまかり
通っていた。これは、ある意味“天狗”だ(泣)。セミナーでお世話になっているO先生が、「最終的には、
自分がどこを目指すのかという事だけなんですよ」と言っていたのを思い出す。何を基準にして、どこを
目指すのか? 自分はどうなりたいのか? これは全て本人の問題であり、他人は一切関係ない。この
基本のキをすっかり忘れかけていた自分がいた。そのMailには、「人並み以上の才がある人って、“天狗”
がついているのかもしれませんね。器用な技を授かる。しかし、ある段階にきた時に、自制し自我をしっ
かり持たないと、いわゆる“天狗”になる。仕事がうまくいかない、家族に頭が上がらない。つい“過去の
栄光”を振り返ってしまう。その人にそれを感じたのです」とあった。このMailがこなければ、私もすっ
かり“天狗界”の住人にハマっていたかもしれない。恐ろしや~、くわばらくわばら。たとえ仕事がリンク
していたとしても、人は人、自分は自分。きちんとセパレートさせないと、比較の煉獄から抜け出せない。
そんな事を考えていたら、お山の大天狗様からMailがきた(笑)。私の鼻をへし折ってくれるのは、やっぱ
この人が適任だ。「遊びにおいで。そんじゃね」。いつも気にかけて頂いて、どうもありがとうございます!
天狗の衣装に限らず、コスプレ系がミョ~に似合うアノ人の所へ行こう(笑)。「黙々と努力してやるだけだ。
あなたにはそれだけの能力があり、意欲もある。後はやるだけだ。物事をやり遂げるという事は、自分を
その目標に向けて、“傾注する”ことだ。しかし傾注するとは、どういう事か理解しなければならない。
それはコツコツと努力をした後で、うまくいっているかどうか心配したり、苛立ったり、他人や自分の事を
心配する事ではない。ただ黙々と努力するだけだ。どんな方面であろうと、そこに自分を傾注する人は、
その人がそこに注いだものだけを、受け取るのである。この事を理解しなさい」by エドガー・ケイシー
今日の秋の味覚Ⅱ 種なしとあったが、種が入ってるモノもあった。それにしても甘~い。クマのようにムシャムシャ食べる(笑)