師匠から「祈りの形象 松井辰子作品集」という画集を頂いた。昨年の夏、美老庵に飾って
ある「孔雀明王」と「水月観音像」に感動し、カラーコピーをさせてもらった。その画家こそ、
松井辰子さんなのだ! 残念ながら2年前、銀座で個展会期中に亡くなられた。お釈迦様
と同じく、享年80。画集でお顔を拝見したが、穏やかで優しい気品に満ちあふれている。
やはり顔に出るんだよね。山口県防府市に生まれ、日本画を習い始めたのは40歳の時。
その後、広島県美術展に入選。大正から昭和の激動の時代を生き、若い頃は女医になり
たい夢を病弱のため断念。結婚後、子供達が生まれてから大学を出て、福祉の仕事に
携わっていたそうだ。家庭を守り、日立製作所勤務の夫の仕事柄、転居の多い生活の中で、
30年あまり日本画を描いて、辿り着いたのが「大らかな仏様を描きたい」という思い。晩年の
20年あまりは、写仏画を描いていた。私は仏画が大好きだ。見ているだけで、気持ちが穏や
かになる。この画集には、憤怒の顔をした「不動明王ニ童子像」や「愛染明王像」もいる。
どれもこれも本当に素晴らしい(号泣)。み仏はきれいなだけではいけない。造作が整って
きれいなのではなく、内面の光が表に現れているから美しい。技術だけではなく、美しい
だけでもなく、何かを感じさせてくれなければ、み仏の姿を描いたとは言えないという。
一人一人、顔立ちが違うように、役割もそれぞれ違う。千差万別の人が集まって、この世と
いう曼荼羅を創っている。松井さんの絵に手を合わせ、読経したいと思ったという僧侶は、
「心に不安を持つ人間を安心させるために、み仏は寄り添っていて下さいます。松井さんの
役割は、その姿を目に見えるようにする事だったのでしょう。役割を終えて、松井さんは浄土
にお戻りになりました。出棺の時、桜の花びらが舞いました。これほどの仏画を描き手の生涯
を賞賛した、み仏の散華だったのでしょう。役割を生き切った松井さんは、幸福だったと私は
思います」と画集の中で賛辞を送っている。彼女の描いた「月下美人」からは、芳しい匂いが
漂ってきた。「牡丹」には風の揺らめきを感じる。才能が開花して良かったよね。私もいつか
こんな美しい絵が描けたらいいなぁ。師匠、画集どうもありがとうございました。大切にします。
♪今日の月天像 月の中にはみゅ~ちゃんがいて感動した。日天像もあるんだよね。「日」と「月」を並べて「明」るくなるのだ。