2003 年 7 月 16 日 のアーカイブ

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仕事Ⅳ

2003 年 7 月 16 日

自分で選ぶと、厳しい評価がやってくる。やりたい事を自分で選ぶ事ができる時代というのは、素晴らしい。

しかし、これを逆にいうと、やりたい事が見つからなければ、いつまでも探し続けるという事だろう。或いは、

猶予期間が過ぎれば、たとえやりたい事でなくとも、自分の責任で選んで、その選択を肯定しなければなら

ないという事でもある。人はいつまでも、選び続ける事はできない。たとえ希望しないものでも、その中から

一つ選ばなければならないという生き方を強いられる。希望をあきらめるか、選んだものに内心では不満を

抱きながら、表面上は肯定して生きるという事になる。選択の自由というのは、自己責任で選択しなければ

ならないという必然性を、背後に抱えているという事なのだ。何を選んでも良いというのは、選ばなくても

良い自由を意味しない。自己責任で何か一つを選ばなければならない、というハードルがあるのだ。かつ

ては「運命」によって、仕方なく背負わされたものが、現在は自己選択、自己責任で背負い込むという事だ。

だから、不満を他者に、運命に向ける事はできない。たとえ何であろうと、自分が選んだものを、ひとまず

は肯定し、情熱を傾けて生きる事がベターである、という幸福感や人生観が必要になってくる。自己選択に

よる生き方は、一見して素晴らしい。しかし、本当にそうだろうか? 自己選択による生き方は、親や社会

を始め、他者に責任転嫁できないのである。自分以外に、不満の持って行き場所がないのである。十分

長い間、時間をかけ自分で選んで、やった事がゼロ、或いはマイナスの結果を生んだとしよう。弁解無用、

言い逃れ不能である。人は「俺はゼロだ。マイナスだ」という自己評価に耐える事はできる。しかし「お前

はゼロだ。マイナスだ」という他者評価には、耐え難い存在なのである。こういう事だ。「俺はバカな事を

やってしまった。俺は何てバカなんだ?」「そうだ、お前はバカだ。取り返しのつかないバカだ」これには

ガマンできるかもしれない。しかし、「俺の妻はどうしようもないブスだ」「そうだ。お前の妻はどうしよう

もないブスだ」。これにはガマンできないだろう。「妻」=自分の選択物をボロクソに評価され、それが

当たっていても、自分で言うのと、他人が言うのとでは、全く事情が異なるのだ。

/鷲田 小彌太「人生にとって“仕事”とは何か?(PHP文庫)」より

♪今日の超感動♪ 東京ステーションギャラリーで行われている、魔境を幻視するバリ絵画「イ・クトゥット・ブディアナ」展を見て来た。迫力満点で圧倒!

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