シジフォスは、神から刑罰を与えられる。巨岩を山頂まで担ぎ上げる。
すると、岩はふもとまで転げ落ちる。シジフォスは、また担ぎ上げる。
岩はまた落ちる。シジフォスは死ぬことができず、永遠にこの作業を
繰り返す。この刑罰を、刑罰から逃れさせているものが、いくつかは
ある。シジフォスが、身に余る巨岩を山頂まで、担ぎ上げ終えたその
時の喜びであり、巨岩が山を転がり落ちて行くのを眺める時の、一瞬
の休息であり、さらには再び、その岩を担ぎ上げるために、ゆっくり
と山を下って行く時の、辺りの風景が与えてくれる、しばしの深い慰め
である。刑罰とは、一つの切り口である。刑罰とは、一つの切り口の
風景である。刑罰は永遠に続き、喜びと慰めもまた、永遠に続く。
シジフォスは、永遠に何をも成さない。しかし、シジフォスはどう生き
るかは、自分で選べる。シジフォスが、自分の境遇を「刑罰」という
切り口で見るか、喜びや慰めを伴う「労働」という切り口で見るかは、
シジフォスの自由だ。神は、シジフォスの心のありようまで、枷をはめ
ることはしなかった・・・
♪今日の奇跡♪ 2cmも腫瘍が小さくなったの? スゴいよスゴい! これからもどんどん良くなるよ。絶対大丈夫だから、I Love Meでいこうね。