フセインの銅像が引きずり倒され、うかれ騒いでいるバグダッド市内の人々を見ながら、
ふと遠藤周作の「沈黙」という小説を思い出してしまった。時代はキリシタン弾圧の頃、
信者は踏み絵を強要され、胸が張り裂けそうになりながらも、最後は踏んでしまった人々
の弱さ、悲しさ、苦しさを描いた名作だ。「私は踏めません」と言って、死刑になる信者
には、自らの信仰を貫くためなら、たとえ命を捨てても惜しくはないという信念があった。
しかし、そんなに強い人間ばかりではない。24年もの間、フセインの独裁政治の元に暮ら
していたイラク国民は、少しでも反政府的な発言をすれば、容赦なく殺されてしまう。自由
にものが言いたくても、決して言わせないのが独裁国家だ。それまでは「フセイン、万歳!」
と大声をあげていた人々が、銅像が倒れるや否や、「Noサダム!」と連呼している。本音
を叫んでも、もう命を脅かされる心配がないと踏んだのだろう。誰だって、自分が一番カワ
イイのだ。小説の世界と現実に起こっているイラク戦争では、その背景もかなり異なるが、
どんな時代でも弱い人々は、常に強者の顔色をうかがって、生きていかなければならなか
った事だけは確かだ。レジスタント運動に自分の全人生を賭ける人がいる一方で、やはり
そんな厳しい生き方はできず、かといって心底あきらめられず、悶々としていた人も多か
ったに違いない。ゲリラ掃討作戦の名の元に、民家に家捜しに来るアメリカ兵。食事中だ
ったこの家族は、突然銃口を突きつけられ、手を上げたまま、庭先で心配そうに見ている。
母親と幼い女の子は、あまりの恐ろしさに泣き続けていた。武器も何も持っていない、この
無防備な家族に対して、あまりに一方的な振る舞いだ! 一日も早い戦争終結を心から望む。
♪今日のラララ~ン♪ 気になっていた全ての買い物が終わった。さぁ、今週末は準備に専念しよう!