美老庵・師匠から薦められた本の序章に、「最初に学んだ事が判断の尺度になる」という一節があった。
これは何においても共通した事だが、最初に学んだ事、教わった事が結局、その人にとっては、その分野・
業種の色んな面を判断する尺度になるという事だ。だから、最初にあまり知らない時点で、良き師、良き書、
良き環境に浴した人は幸せであり、そういう人は基礎がしっかりしているから、間違った考えや教えに接し
ても、受け入れる事なく、道を誤る危険がない。努力すれば、それ相応の成果を上げられるだろう。仏教
では、そういう人を「順縁の衆生(じゅんえんのしゅじょう)」と言うそうだ。つまり、自然に神仏の導きによって、
正しい教えに縁し、それを素直に受け入れ、実践して幸福な境地に至る人。しかし、その逆に、良き師、良き書、
良き環境に恵まれず、間違った観念や習慣、教えに染まり、さんざん苦しみもがいた末に、正しい教えに縁し、
目覚める人もいる。同じく仏教では、そういう人を「逆縁の衆生(ぎゃくえんのしゅじょう)」と言うそうな。
但し、結果から言ってしまえば、順縁か逆縁かは、生まれる前から、ほぼ決まってしまってるんだとか(泣)。
そ、そんなぁ・・・ つまり、順縁の人は、その天命ゆえに、それなりの人生行路を歩み、逆縁の人も宿命の
定める方向に向かって、生きていくというだけの事である。まぁ、そうだろうね。そう言うしかないよなぁ。
ただ、著者曰く、ここで問題にしたいのは、順縁の人であれ、逆縁の人であれ、「覚える」「理解する」「習得
する」「比較する」「研鑚する」といった事に真剣になれるかどうかで、その人の人生は決まるという事だ!
うん、そうだよ。それならわかる。救われる(笑)。ふと考えてみれば、今まで私が習ってきたピアノや語学等では、
良き師に恵まれなかった気がする。つまり、それだけ私が真剣でなかったからなんだろうなぁ。確かに、その時
は真面目に取り組んでたよ。でも、どれ一つとっても、継続してないし、現在進行形でもないもんね。人生の優先
順位でいけば、ランクが低いんだな、コレが。なくなったワケじゃないんだけど。美老庵・師匠&太極拳のS先生は、
私にとって間違いなく「順縁」だ。その人にとって、本当に必要なものというのは、早すぎず遅すぎず、絶妙なタイミ
ングで現れるんだ。これは物でも人でも情報でも、全て同じなんだと思う。2人の良き師に恵まれた事を感謝しよう!
♪今日のラララ~ン♪ 腰痛になったおかげで、太極拳のS先生から、色々と教えてもらえた私は、ラッキーウーマンだ(泣)