昔、伊勢の国、桑名の港で、渡し船が途中で大時化(おおしけ)に遭って難破し、乗り合わせたほと
んどの人が溺れ死んだ。そこで、流れて来た溺死人を、岸辺の砂浜の上に並べて、桑名の役人が、
一人一人検視を行った。ところが、その中の一人坊さん風の者が、どうみても死相になっていない。
「この坊さんは、死んでおらぬようだ」「いいえ、もうすでに息絶えております」と下役人。検死の
役人は相当の心得のある男のようで、「いや、真死でなく、仮死らしい。とにかくその者の肛門を
調べてみよ。必ず締まっていると思うから」と。下役も不審に思って、調べて見ると、上役の言った
通り、他の溺死体と違い、肛門が固く締まっていた。「仰せの通り、締まっております」「そうで
あろう。では、手当てしてみよ。生き返るから」。下役が型の通り、水死人に行う手当をすると、
やがてこの坊さん、息を吹き返した。そこで、検視の役人が「ご坊は、いずれの沙門か存ぜぬが、
よほどの心得のある方とお見受けします」と言うと、かの坊さん「どういたしまして。愚僧はまだ
修行中の未熟者にございます」「いや、なかなか、そうではござらぬ。大事にのぞんで、肛門を
締められるなどは、未熟の者にできない事。誠に感服しました」「肛門を締めましたのが、さほど
お誉めに預かりますか?」と坊さんが不思議そうに問い返した。「数多くの溺死人、みんな助かり
ませなんだ。その中で、ご坊だけは肛門は締まっていて、生き返られた」。かの坊さん、いと感慨
深げの面持ちになって、「左様でございますか。さてさて、愚僧のお師匠さんは、偉いお方でござい
ます。実は愚僧は、目下京都におられる、白隠禅師の下に使われております、白翁と申す者です。
この度、所用のため、郷里に立ち帰る途中、この災難に遭いました。京を発足致します時、師の
ご坊が『旅は世慣れぬもので、ひとしお気をつけねばならぬものだ。とりわけ、何かの大事に出遭
うた時は、何をおいても、肛門だけは緩めるでないぞ』と仰せになりました。その時は、格別何とも
思わず出発しました。桑名の渡し船に乗りまして、間もなくです。大時化で、船頭衆も、もうとても
ダメだから、乗り合いの皆さん、覚悟して下されとの事でした。その時、ふと出発の際に、師のご坊
のお言葉を思い出しました。どうせ助からぬものなら、せめてこの一期の大事に、何はともあれ、
師のご坊の仰せの通り、肛門だけを締めようと。船から波間へ、振り落とされる刹那までも、その
事だけを一所懸命に念じ、そのまま気を失いましたのですが・・・」。この物語を黙って聞いていた
役人は、「さすがは、日本一の高僧よ!」と、いたく感心したという話じゃ。
♪今日の達人♪ 太極拳のS先生はスゴい。いつも私の先を行く。やっぱブルース・リーは美しいわよね(笑)