毎朝、同じコースを同じ時間に、自転車で散歩する管長さんは、道場に差しかかる前、別な場所でやはり、
毎朝会うおじーちゃんがいたらしい。そこで管長さんは、毎朝「おはようございます」と丁寧に挨拶する
のだが、おじーちゃんは答えなかった。しかし次の日も、またその次の日も、管長さんは変わらずに挨拶
をする。それでも、相手は答えない。それが3年続いたらしい。どれだけその事態が珍しい事か考えて
ほしい。答えない相手に挨拶し続ける事は、そう簡単にはできないはずだ。大抵は腹を立て、自分も挨拶
を止めてしまうか、教育的な言辞を吐いてしまうだろう。例えば「あんた、挨拶ぐらいしたらどうなんだ?」
とか。人によっては、「人間とは?」などと、説教する人だっているだろう。しかし、管長さんはまるで、
昨日の事を覚えていないとでもいうように、相変わらぬ挨拶をし続けた。しかし、相手もさるものである。
不機嫌であったり、悩んでいたり、何か挨拶したくない事情があったとしても、それが3年続くというのは
尋常でない。そうして、3年後のある朝、そのおじーちゃんは管長さんの挨拶に立ち止まり、近づいて来て
号泣したのだった。その時、おじーちゃんの中で、どんな変化が起こったのか? それは誰にもわからない。
変化というよりは、事件といって良い事なのかもしれない。そこで起こった事に関して、私達にわかるのは、
3年間挨拶し続けたり、それを無視し続けた時間があって、初めてそんな深い感化があったのだろうという
事だ。それ以後のおじーちゃんは、人が変わったように明るくなったらしい。よく学校などで「挨拶しましょう」
と教える場面を目にするが、そんな事を指導するくらいなら、黙って挨拶し続けたらどうかと思う。深く深く
感化するためには、指導に走ってはいけないのだと思う。
♪今日のいいコト♪ 素晴らしい人に会えた。その人がオススメの本を、是非読んでみようと思う。ご縁に感謝だ。