2001 年 11 月 18 日 のアーカイブ

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2001 年 11 月 18 日

「人間の森文明」とは何か?

個々人が、主体的に生き生きと成長し、且つ他人を妨げない調和を図る事を目指す。

まず、森に足を踏み入れてみる。そこには、青々とした葉を繁らせた多くの枝を持つ

高い木が見えるだろう。高い木は、それらの枝をしっかりと支える太い幹を持って

いるはずだ。そこから、少し目を地上近くに移してもらいたい。今度は低い木が見える。

高い木に比べれば、やや小ぶりの枝や幹を持っているようだ。更に、木に巻きついて

延びる蔦にも気づくだろう。木の幹に長く蔓を延ばしている。目を地面に転じると、

たくさんの小さな葉を持つシダや、木肌や石や地面を覆うコケ類等が見える。

森には、このように大小さまざまな植物が生きている。また、小動物が木々の間を

走り抜けるのが見えるかもしれない。木の幹や地面をよく観察すると、色々な昆虫が

活動している。更に、目には見えないが、土の中には雑菌類も棲息している。

かくの如く、森には多種多様な生命体が共生しているのである。注目したいのは、

森に住まうこれらの動植物たちは、それぞれが独立した存在であるという事である。

決して、誰かに寄りかかって生きている訳ではない。それぞれが、それぞれの生き方で、

自由に生命活動をしているのである。全ての生命が、思うままに成長しながらも、

他の生命の成長を、一方的に妨げている訳ではないという事も見逃す事はできない。

一般に高木は、低木が太陽の光を受けるのを、邪魔しているように見える。

しかし、日の当たりにくい所に育つ植物は、最も効率良く太陽光を受け止められる

ような葉の形をし、必要なだけの枚数の葉を備えているというのである。

自らの命を絶やさないために、それぞれの立場で、できる事を精一杯に行っている。

そして、それらの木は、かえって強い光を大量に受け過ぎると、枯れてしまいかねない

という。つまり、生物種同士が競争し合っているのではなく、お互いがお互いの分を

わきまえて、見事に棲み分けを行っているのである。このように、森の中では、

それぞれが独自の存在として、自由に成長しながらも、全体を見れば、森が一つの

生命装置として、実にうまく調和しながら機能している。成長と調和という、時として

対立しがちな2つの考え方を、見事にバランスをとって並立しているのである。

そしてお互いが、お互いをうまく生かし合っているのである。そんな自然の森の姿に、

私達が今直面している諸問題を、一挙に解決するヒントがあるのではないかと、

私は考えた。更に言えば、21世紀の新しい社会を築く羅針盤の原型があるように思った

のである。私は今、人間社会を自然の森になぞらえて、構築していく事を模索し、

そこから生まれる文明を「人間の森文明」と呼称している。そこに立ち現れる社会

では、一人一人の人間は、自由に自分の可能性を伸ばし、且つ他人を妨げる事なく、

ハーモニーを奏でる事ができる。

/小野 晋也著「『志力奔流』人間の森文明」より

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