中国の古代思想である老荘思想には、「老子」と「壮子」という2人の開祖がいる。
前々から興味はあったものの、あまりに範囲が膨大過ぎて、私のアタマではついて
いけない(泣)。今回は、レクチャーに行ってみて、初めてその偉大さを思い知った。
まず、禁欲ではなく、寡欲というところが、とっても人間らしくて好きだ。つまり、
寡欲とは、欲望を少なくという意味で、決して禁じてはいないという事だ。本日の講師
である國學院大學教授:中野達(とおる)先生は、元々牧師を目指していた人だった。
しかし、若い頃に「きれいな女性を見て、心の中で欲情しただけで、姦淫の罪となる」
というキリスト教の基本的な教えを「自分には、あまりに厳しすぎて、ムリだと思った」
と話していた。そりゃそうでしょ(笑)? 一神教という絶対的な神の存在は、21世紀
には弊害が出て来るのではないか? オレに付いて来い的砂漠型宗教では、もう限界
が来ているのではないか? 老荘思想のような、ある種の何でもあり、寡欲でいこうぜと
いった、自由発想の柔らかな教えが見直される時期に来ているのでは? 聞けば聞く
ほど、老荘思想に心を動かされていく私であった。極(きょく:きわまり)を作らないという
発想は、太極拳と一緒だ。こだわりをなくす。絶対を作らない。太極は陰陽の母なのだ。
70才の情熱的なじーちゃん先生の熱き思いが、参加者にも充分伝わってくる(笑)。
老荘思想をゆっくり時間をかけて、学んでみようと思う。中国ってスゴいなぁ、恐るべし!