数学修行僧
ラマヌジャンは単なるヒンドゥー修行僧ではなく、むしろ数学修行僧と
いった趣きだったが、それでも生涯バラモン僧だった。ハーディに招かれ、
イギリスに渡ってからも、ラマヌジャンはイギリス式近代生活を受け入
れず、ヒンドゥーとしての生活態度を貫き、非妥協的で非社交的だった。
そして、数学研究に没頭した。
30時間眠らず数学に没頭し、20時間連続で眠るというような超人的で、
とんでもない生活を続けるのであるが、そのためかわずか32歳で倒れる。
病状が悪化し、インドに戻った彼は、ついに1920年、妻ジャーナキ、
両親、わずかな友人に看取られながら息を引き取る。
その後、この夭折した天才の伝説的なほど有名なノートに書かれた
数々の公式の証明は、近年になってやっと終了したという。夭折は
ナマギーリ女神の加護とは思えないが、この事を思うと女神とは
慈悲深くもあり、時間を要する老獪なものでもあるのかもしれない。
いや、いや、女神ではなく、ラマヌジャンはラマヌジャンであって、
信仰する女神の加護をもはるかに超えた孤高の天才の闘いの
軌跡であろう。そう思わずにはいられない。もし、ラマヌジャンが
何かの加護を受けていたとすれば、それはナマギーリという名の
職業や貧困や現実生活を打ち破る、いわば形而上学的な没頭
と戦いの不屈の内部神であったのではないのか・・・と。
ラマヌジャン亡き後、ハーディは数学者の天賦の才能について、
次のような採点をした。
「自分自身は20点、リトルウッド30点、ヒルベルト80点、ラマヌジャン100点」
ハーディがいかにラマヌジャンの天賦の才を高く評価し、その死を
惜しんでいたかがわかるというものである。
妻や近親に看取られたラマヌジャンの密かな死は、だが静かには
収まらなかった。その知らせは、雷鳴のようにインド中を響き渡り、
例えば当時まだ小学生だったチャンドラセカールの耳朶をも激しく
叩いたのであった。
私はこのサイトのおかげで、ラマヌジャンの色々な側面を知る事が
できた。改めて非常謝謝! 今頃、彼は天国で憧れのナマギーリ
女神とご対~面しているであろう。
自分自身を20点と採点したハーディも並みの数学者ではない。
これこそ運命の出会いだったのだ。天才は天才を知る!
♪携帯の拙者、いや、接写(笑)モードで撮ってみたのだが、これが限界か・・・ ペンダントヘッドの中には極小の羊さんがいて、“1年がうまく回りますように”ってクルクル動くんだよね。パイプオルガンのレターセットには、「未空さんの誕生日までに、私なくしちゃいそうで、早々に送らせて頂きました」と書かれてあった(号泣)。あなたとの出会いは、まさに運命でした! いつも優しさと思いやりをありがとうございます。