俳人画家・酒井抱一

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酒井抱一(ほういつ)という名前は初めて聞いたのでヤフってみると、これが
なかなかおもしろい人物だという事がわかった。

江戸時代後期の俳人画家・酒井抱一(ほういつ)は姫路城主酒井忠以の弟で、
1761年(宝暦11年)の生まれ。少壮より文武両芸に通じていたが、武士を嫌って
寛政5年、築地本願寺で出家。権大僧都の位までいくが、やがて世俗に戻る。

画は狩野永徳、土佐光貞、丸山応瑞らに学び、後年、尾形光琳に私淑して、
一家を成した。俵屋宗達、尾形光琳と並び、琳派を代表する画家である。
また俳諧にも優れ、谷文晁、亀田鵬斎らとも交友があった。

抱一は1809年(文化6年)以来、根岸5丁目の雨華庵に閑居し、土地の名物
鶯に因んで鶯村(おうそん)と号し、庵で光琳忌を催した。因みに光琳の弟、
尾形乾山も近くの入谷に釜を開き、作品は「入谷乾山」と呼ばれていた。

寛永寺輪王寺宮の命により、京の鶯をこの辺に多く放って、根岸名物にした
のも乾山という。光琳の画風を慕う酒井抱一によって、文政6年、寛永寺境内
に顕彰碑が建てられた。入谷交差点の一隅に「入谷乾山窯元碑」がある。

一方で抱一は、夜な夜な吉原通いに精を出したり、山谷の高級料亭「八百善」
の常連となるなど、軟派、食通なところもあった。

ある日、抱一は八百善で初鰹の刺身を食べた。彼は料理番を呼び出して、
「お前は研ぎたての包丁を使いやしなかったか?」と問いただした。驚い
た料理番の質問に応じて、抱一は「刺身に砥石の気が移っていた」と言う
のである。刺身包丁を研いだならば、数時間井戸水に吊るしておかなけ
ればならぬと説明した。この驚くべき鋭敏な感性、しかもそれを冷徹に、
そして温かく説明するという彼の態度が、彼を一大の通人として成り立た
せた所以なのである。

酒井抱一が閑居した「雨華庵」は根岸5丁目。私が生まれた谷中から
坂を下ると根岸になる。何気にご近所さんだったのか(笑)。それに山谷
(さんや)界隈に高級料亭があったというのもオドロキだ。この「八百善」、
まるでキャッチバー商法のような逸話が残っている。だからネットサー
フィンは、フォ~ッ♪止~まらない(笑)
20060907
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