無手の法悦
口で絵を描くといえば、日本では星野富弘さんが有名だろうか。だが、私には
生涯忘れられない女性がいる。それが「無手の法悦(むてのしあわせ:春秋
社刊)」の著者、大石順教(じゅんきょう)という尼僧さんだ。
TV番組「知ってるつもり?」で紹介されたのが、彼女を知るきっかけだったと
思う。私は昔から尼僧の人生に大変興味があり、いつも尼僧が紹介される時は、
この番組を欠かさず見ていた。尼僧の人生は男性に翻弄され、どの人も波乱
万丈で壮絶だが、その中でもダントツなのが、この大石順教さんではないだ
ろうか?
明治時代の末頃、大阪で狂乱の父親による「堀江の6人斬り」という一家惨殺
の殺人事件があった。順教の母が男と駆け落ちし、嫉妬に狂った養父が真夜
中に日本刀で、残った家族を皆殺しにしたのだ。まるで映画八つ墓村だが、
決してフィクションではない(号泣)。
養父に両腕を切断されながら、かろうじてたった一人生き残った17歳の娘、
これこそがまさに奇跡であり、後の順教だ。当時はよね子という名前だった。
ここまで聞いただけでも想像を絶するのに、これから彼女の歩む人生はあま
りに過酷で、本当に本当に信じられなかった。しばらくこの話が忘れられず、
たまたま会社の面接で、「尊敬する人は誰ですか?」と言われた時、「大石
順教さんです!」と即答したのを今でもハッキリ覚えている。
もし機会があれば、是非「無手の法悦」を読んでほしい。ほんまもんで知ら
れる村瀬明道尼と並んで、順教さんは日本が誇る素晴らしい女性なのだ。
私が教科書を作ったら、真っ先に載せるのに(笑)。
パラリンピックなど想像もできない明治時代。福祉制度もなく両腕を失い、
家族を失ったよね子は見世物小屋に売られ、芸者をさせられながら、艱難
に耐えた。だが、あまりの辛さに出家を願い出ると、その寺の住職に「女と
して一通りの経験をしてからでなければ出家はさせない」と言われ、その
まま俗界に身を置く事となる。
そして妻となり母となって、やがて仏門に入り、大石順教として出家した。
自らの境遇に照らし、多くの身障者の救済のために生涯を捧げたのだ。
晩年の彼女の顔は、見ているだけで涙が出るほど清らかで美しい。まるで
観音様の微笑みだ。こういう人が本当の美人なのだ思う。
実はこの大石順教さんが、「口と足で描く芸術家協会」と関係が深かった
という事をサイトで知ってしまった。「無手の法悦」を読んだのは、もうかな
り昔なのだが、ここにきて驚くべきシンクロだ!