創設者A.E.シュテッグマン

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「口と足で描く芸術家協会」の創設者は、ポリオのため両手がマヒした口で描く
画家だった。彼の社会参加は口にペンをくわえ、驚くほどの速さで通り過ぎる
人々の横顔をスケッチして、売る事から始まった。

次に彼は、国中の学校や会社を訪ねて、作品を売った。しかし、口での描画の
点数には限りがある。そこで1932年、彼は自分の絵を印刷複製して売るため
に出版社を作った。

彼の名はA.E.シュテッグマン。ドイツ人だった。こうして世界で初めて、障害者
の絵が市場に出たのだ!

戦後1948年に再建された出版社は、自分自身のためではなく、病気や事故
のために両手を失って、口や足に頼る他の障害芸術家を援助するために、
出版事業を行う事を明確にしたものだった。

そして、互いに助け合うために人々は国境を越えて、彼の呼び掛けに応え、
1953年から1954年にかけて団結した。

1956年には、スイス経済圏で隣接したリヒテンシュタイン侯国の首都に、口と
足で描く芸術家協会が17名の会員により、登録協会として設立された。ここが
選ばれたのは政治、宗教、民族、世界観などの観点からも中立を守り、その上
障害を負った画家達の事業目的のために、財政的な安定を計るためであった。
   
1956年の設立と同時に行われた大掛かりな展覧会は、大衆の注目を集めた。
1960年、活動はヨーロッパからアフリカ大陸へと広がり、10月にはヨハネス
ブルグでの展覧会に続き活動が開始された。

1961年、日本でも初めての「口と足で描いた世界の美術展」が東京で開かれ、
日本での活動が始まった。第1号会員は、後に障害者の母と呼ばれた無手の
口筆画家、大石順教尼だった(←ひゅーひゅーぱふぱふドンドンドンドン♪)

時を同じくして、オーストラリア、ニュージーランドの大洋州でも活動が始まり、
口と足で描く芸術家の活動は、世界中で徐々に知られるようになっていった。

1964年アメリカ・ワシントンで、当時の大統領夫人の後援を得て展覧会が開かれ、
ここでも活動が開始した。翌年にはカナダ・トロント市で、代表者会議の1回目が
開かれ、人々が直面する問題が話された。

1966年、アルゼンチンでの展覧会を契機に、南アメリカ諸国にも活動が広がり
始めた。近年のアジアの国々を含め、協会は2005年、現在75の国々や地域
に参加している口と足で描く芸術家を持ち、逆境の芸術家達の生活や学習を
支えている。

協会は1996年、40周年をオーストリア・ウィーンでの大統領支援展覧会の開催
で祝った。協会の40余年の歴史は、展覧会、名誉、公の栄誉とメディアによる
その報道に埋め尽くされている。

(以上、「口と足で描く芸術家協会」のサイトより引用させて頂きました)
20060715
♪高岡古城公園内にある射水神社は改装中だったが、奥に進むとお堀に流れる水が気持ちイイ。朝からこ~んなにゆったりした気分になれるのは久しぶりだ。やはり、水が人に与える影響は相当に大きいと思う。

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