ミニMAORI講座②
多くのマオリの伝承では、マオリ人の先祖は今からおよそ1000年前に、ハワ
イキ(Hawaiiki)と呼ばれるポリネシアの島から、カヌーに乗ってやって来た事に
なっている。具体的にどの島なのか興味がわくが、マオリ人の信仰では死者
はハワイキに行くそうなので、具体的な島である必要はないのかもしれない。
太平洋上の島に住む、ある種のネズミ(Pacific Rat)は、およそ1000年前に
ニュージーランドに来たといわれている。しかし、最近の研究では、もっと以前
にネズミが来たという証拠が見つかっている。場合によっては、更に1000年
遡るかもしれない。ネズミが泳げたと考える証拠はないので、ポリネシア人
の移動に伴って、ニュージーランドに来たと思われる。
ニュージーランドでは、1300年前後に大規模な海底火山の爆発があり、地層に
影響を与えている。この地層がハッキリしているため、考古学的な研究に役立
っている。この点からの研究によると、最も古いポリネシア人の移住がこれ以
前だったとしても、大半のマオリ人は、この直後にやって来たといえる。また、
初期の移住先は南島だったようだが、その後の大量の移住先は北島だった。
マオリ人はすぐに鳥や魚を捕る事を覚え、これをおよそ150年間のあいだ主食
とした。この間に人口も増えたようだ。しかし、こういった簡単に手に入る食糧
資源が乏しくなってしまったので、他の物を主食とせざるを得なくなった。
また、15世紀には気候の変化もあった。気温は常に低く、南風が国土を乾燥
させ、強風に影響で山火事が続き、残存していたモアを含んだ多くの動植物
を破滅させた。この時代をミニ氷河期と呼ぶ人もいる。したがって、シダの根
を探して食料とし、クマラ(サツマイモ)やタロイモの畑を作り、夏の間は海岸
で魚を捕るという生活になった。魚は保存のため薫製にされた。
簡単に捕獲できる鳥がいなくなったので、更に奥地まで分け入って鳥を採
取する事になり、この事がマオリ人の食料供給に対する態度を変化させた。
厳しい冬を乗り切るために、ますます多くの食料を貯蔵する必要が出てき
たからだ。
この結果、食料を得るために、より広い土地が必要とされるようになり、
マオリの歴史で初めて、土地の境界線をハッキリさせる必要が出てきた。
確執が生まれ、時には地域間で争いが起こった。マオリの村はすぐに
防御に適したスタイルになり、柵、物見櫓、濠が作られた。
16世紀に入って気温が上昇し、大量の雨と強風が森林や植物を破壊した。
洪水も増え、海岸は強風のため住みにくくなった。この気候の変化のため、
海岸の魚介類は大打撃を受け、食糧資源は更に乏しくなった。マオリ人は
更に内陸に移動し、新たな気候と生活環境に適応せざるを得なくなった。
~★MAORI彫刻未空の超思いつき講座にお付き合い頂き、誠にありがとうございました(笑)★~